五月八日・2
恵那は林の中、隣に居る桜花の様子を窺っていた。
桜花は上方の枝に引っ掛けてあった輝石を眺め、それから辺りを見回す。
恵那には何の変わり映えもしない景色に見えた。
「何か判りました?」
「そうだな……期待通りのものは得られそうにないが……」
輝石をそのままにしておくということは、どうやら仕掛けた罠とやらにはまだ何の変化も見られないらしい。それきり口を閉ざしている桜花に、恵那は気がかりなことを尋ねた。
「あの、結界を使ったら判るんですよね?」
「結界を使った場合、どんな種類の物であっても必ずその場に存在する霊子に対しての反応が起こる。その反応は不可避の物で、どれだけ高度な技術を持っていたとしても例外は存在しない。技術の有無で異なるのは、結界の規模と干渉反応の残留時間だ。極一部の結界は技――」
「結界が使われた場合、あの石がその変化に対して反応を見せるっていうのは何となく判ったんですけど。そもそもどの位の距離まで感知するんですか?」
「……結界の展開箇所がここから離れている場合を危惧しているのか?」
少し残念そうな桜花に、恵那は小さく頷いた。
「可能性としては零とは言い切れない。結界というのは場所を要素とする、霊子を用いた術の一つだ。基本的には特定の場所でのみしか展開される事がない。物によるが、例えば転移結界で――」
「ここ以外には、仕掛けないんですか?」
「……」
桜花は諦めたようにため息をついて見せた。
「仕掛けようにも輝石がない。残念ながら、そう大量に扱える代物ではないからな。ただ、今回に限ってはこの場所だけで問題無い」
「他の場所は……?」
「結界には例外なく結点と呼ばれる基点となる場所がある。その基点からでなければ結界は展開出来ない。そして基点を短期間で移し変えることは非常に難しい。だから闇雲にあちらこちらで結界が張られることはない。もっとも、結点に関しては例外となる術者もいるのかもしれないが、幸い今回はそこまで高度な結界を扱う相手ではないようだ」
「……その結点って、どうやって見つけるんですか?」
「霊子の残留干渉を見ていれば、大抵は判る。ちなみに残留干渉を追えるかどうかは、霊子の場合と同じで生まれつきのものだ。経験でどうにかなるものではない。判らなくても気に病むことはなんら無いぞ」
恵那は桜花に諭された気がして、俯いてしまう。
果たして自分は桜花の役に立つことが出来ているのだろうか。
「……さて、それよりも……」
言って桜花が歩き出すのに気づき、恵那も慌てて後を追った。
「え、ど、どこへ行くんですか?」
「妙な揺らぎがある」
それだけ言うと、少し歩いたところで桜花は足を止めた。
恵那は訳が判らずに桜花の背中を眺めた。
いつもながらこの人は、あまり重要でないところでは長々と話すくせに、肝心なところでは説明を端折る。それが、自分を頼りにされていないように思えてしまい、少し悲しさを覚えてしまう。
「随分と雑だな……」
「え?」
桜花の視線を追うようにして、恵那は辺りを見回した。
そしてすぐに、桜花の言葉の意味を理解する。
目の前には不自然に抉られた地面があった。獣の爪を連想させるその跡は、四月の終わりにも目にしたが、その時は注意してみなければ判らないほど浅いものだった。だが、今目の前にあるそれは、明らかに人の目に留まる抉れ方をされていた。
「助かるといえば助かるが……」
今までとは異なる規模の痕跡を、怪訝に思う桜花の声がする。
そちらを見れば、桜花は眼帯を外して辺りを注視していた。
やがて眼帯を再び取り付けると、眉を寄せて考え込む仕草を見せる。
「どうしました?」
「いや……」
それきり口を噤む桜花に、今はそれ以上訊けはしないと、恵那は何気なく辺りを眺め回す。
不意に、視界に気になるものが映った。
地面に何かが落ちている。
恵那は屈みこみ、拾い上げた。
それは袖口の一部に見える、象牙色の布地だった。




