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貴方との婚約のおかげで幸せになりました!(なお、結婚相手は貴方ではない)

掲載日:2026/02/23

 私の婚約者、ケヴィン・シャノワーヌは傲慢で、暴力的な男だった。

 同じ爵位の家に生まれながら、女性である私を見下し、自分の想い通りに動かなければ人格の否定は勿論の事、すぐに暴力を振るった。

 この婚約は比較的幼い頃に交わされたものだった為、幼い頃の私は両親に助けを求めたりもした。


 しかし両親にとって最も優先すべきは我がリヴィエール侯爵家の存続、そして盤石な地位を築く事。

 その為には当時政治的な影響力を持っていたシャノワーヌ侯爵家との繋がりを途絶えさせる訳にはいかないと、私の助けは聞き入れてもらえなかった。


 誰も手を差し伸べてくれない。助けを求めても聞いてはくれない。

 そんな環境で育った私は、周囲に期待する事をやめた。

 悲しみも怒りも、期待から生まれる感情だ。

 ならばそれを押し殺してしまえばいい……と、私は徐々に心を閉ざすようになった。


 しかし、自分の心を守る為の選択すら、ケヴィンにとっては怒りの対象だったようだ。

 笑う事も泣く事もやめ、淡々と生きるようになった私を見て彼は『可愛げがない』だとか、『教養で婚約者より良い成績を収めているから見下しているのだろう』だとか、そのような事を言いだした。


 そんな理屈も何もあったようなものではない言いがかりと、それに付随して振るわれる暴力に長年耐えてきた私だったが。


 成長し、互いに王立学園へ通うようになってから少しして……彼は、浮気をするようになった。


 ジャネット・フランセル子爵令嬢。

 彼女の愛らしい見目と愛嬌に惹かれたらしい彼は初めは人目を避けて彼女と二人きりになっていたらしい。

 しかしその計らいすら、時が経つにつれて徐々に薄れていき、しまいには堂々と学園内で腕を組んで歩くようになった。


 そしてその時期から、何故か私がジャネット様を虐めている悪女であるという噂が流れ始める。

 その内容は非常に詳細で、まるでケヴィンが私に対して行ってきた行いを模倣したような噂に、女性特有の陰湿さを加えたようなものだった。

 十中八九、ケヴィンとジャネット様が手を組んで流した類の物だったのだろう。

 ……恐らくは、ケヴィンから私への当て付けと婚約破棄を正当化させたい二人の体の良い言い訳として用意されたのだと思う。



 私は交友関係も浅く、おまけに寡黙だった事もあり、この悪評を鵜のみにする人は残念ながら少なくなかった。

 そもそも誰にも期待はしていないから、何を思われようが構わないと思った……のだが。




「シャルリーヌ・ラグランジュ! お前との婚約を破棄する!!」


 中庭の真ん中、大勢の生徒の前。

 私はケヴィンに突き飛ばされてその場に崩れ落ちながら、そう告げられた。


 ケヴィンの傍では怯えるように彼にしがみ付くジャネット様がいる。


「お前はジャネットという俺の友を見下し、侮辱するような発言を繰り返した挙句、何度も暴行に及んだ! 今だってそうだ! お前は事故に見せかけて彼女を転ばせようとした!」


 身に覚えのない事ばかりを告げられる。

 勿論、今彼女に危害を加えようとしたという話も偽りだ。

 ジャネット様から突如、私に近づいて来たかと思えば悲鳴を上げ始め、すぐ傍に居たケヴィンが勢いよく私を突き飛ばした……というのが正しい筋書きだった。

 しかし、私の悪評はもっと前から大勢の耳に届いている。

 弁明しようとも耳を傾けて貰えるとは到底思えなかった。


「婚約解消の旨、承りました。後程、我が家に報せをお送りください」


 私はただ、婚約破棄を受け入れた。

 するとケヴィンが鼻で笑う。


「漸く自分の罪を認めたか! 愚かな女が!」

「いいえ。おっしゃっているような事は決して行っておりません」

「な、何だと……! 白々し――」

「――しかし、私が何を言おうと誰も聞く耳を持たない事も理解しております。ですから、これに関する問答はあまりに不毛かと」


 声を荒げるケヴィンに対し、どこまでも感情論を抜きに淡々と話す私。

 そんな私を見てケヴィンは顔を強張らせた。


「……ッ、そういう他人を見下している物言いが気に入らないと言っているんだ! 俺の言葉を何一つ理解できなかったようだな、シャルリーヌ!」

「それは大変申し訳ございませんでした」

「……ッハン、もういい。こいつと話すだけ無駄だ。行こう、ジャネット」

「え、ええ……!」


 どこまでも感情を見せない私に彼は苛立ちを見せたが、すぐに思い直したのか、鼻で笑うとジャネット様を連れてその場を去っていく。


 それを合図に、騒ぎを聞きつけて集まっていた野次馬の生徒達はぞろぞろと去っていく。

 一人、中庭に取り残された私は自分も校舎へ戻ろうとのろのろと動く。

 しかしその時、右足首に強い痛みを覚えた。


 痛みを感じた箇所を確認すれば、足首が真っ赤に腫れている。

 そういえばさっき突き飛ばされた時、大きく捻ったんだっけ、とどこか他人事のように思い出していた。


 更にそこへ、曇天からぽつぽつと雫が落ちる。

 雫の落ちる頻度は徐々に増していき、


 ……雨だ。

 そう思った時には土砂降りへと変わっていた。


 もし私が先の婚約破棄で傷心していたのであれば泣きっ面に蜂どころの騒ぎではなかっただろう。

 私は深い溜息を吐く。


 全身は既にびしょ濡れ。今更焦って屋内へ向かおうが大差はない。

 ならば足を気遣って慎重に動こうか、などと考えていた時。


 ぬかるんだ地面を踏みしめる音が聞こえた。

 それは私の前まで近づくと足を止める。


 大きな靴の爪先が見えた。


「おい」


 ぶっきらぼうな声がして私は顔を上げる。

 雨水を滴らせながら怪訝そうな顔をしている男子生徒が私を見下ろしていた。


「こんなところで何をしている」


 雨水を黒髪に滴らせながら、赤い瞳が私を見据えている。

 しかしそれからすぐに、私の顔を見た彼が小さく息を呑んだ。


「シャルリーヌ・ラグランジュ……」


 社交界でも広まっている悪女の名。


 どうやら私の事を知っているらしいお相手ではあるが、かくいう私も、彼の名を知っていた。

 辺境伯家嫡男の、アルフォンス・ド・リヴィエール様。


 学生という身分でありながら、騎士団を指揮して国境付近で発生した紛争に赴く武人でもあり、彼が立てた武勲はいくつもある。

 しかし、当人の不愛想な人柄や戦場での冷酷な噂も相まって、彼は『血塗れ』の辺境伯令息として社交界でも恐れられるような存在となっていた。


「ご機嫌よう、アルフォンス・ド・リヴィエール様」


 名を呼ばれたので応じておくと、アルフォンス様の怪訝そうな顔がより一層険しくなった。


「淡々と挨拶をしているような状態ではないと思うが……」


 そんな彼の言葉は途中で途切れた。

 代わりに彼は僅かに目を見開いたのち、長く深い溜息を吐く。


 そして徐に羽織っていた制服のジャケットを脱ぐと、それを私の頭に放った。


「羽織っておけ」

「一体何を……」


 その行いの意味を問おうとするも、私はすぐにそれを理解する。

 雨にうたれた事で、制服の白いシャツが透けていたのだ。

 体に張り付いたシャツからは肌色と、あとは数日前にケヴィンから振るわれた暴力による痣が見えていた。


「気が済んだらさっさと移動するんだな。生憎と、悲劇のヒロインを演じているような奴に手を差し伸べるような優しさをこちらは持っていない。残念だったな」


 何が残念なのか、と少し疑問に思った。

 そして考えを巡らせ、『ああ、彼は私が目立つ場所でへたり込む事で誰かの気を引こうとしている女にでも見えているのだろう』と思い至った。


 ……その結論に至った頃。

 アルフォンス様は既に私から背を向けて校舎へと戻りつつあった。


「自ら動かず、差し伸べる手を享受するだけの人間は嫌いだ」


 そう吐き捨てられる彼の言葉。

 普通の者であれば、腹立たしさの一つでも覚えたのだろうか。

 少なくとも私は彼の発言に一切の嫌悪を抱かなかった。


 だって、雨に打たれている私にジャケットを貸し与えてくれるような気遣いをくれたのは、彼が初めてだったから。

 直に雨に打たれるよりも幾分かマシな温もりが、何故か心地よいと思った。


 『嬉しい』。

 そんな思いを抱いたのはいつぶりだっただろう。

 私は初めて、自分の鼓動を意識した。

 普段より僅かに速まる心臓の音を。


 そして、遠ざかっていく背中を惜しいと思ってしまう。


 ――『期待しない』。

 そう思っていた私だけれど、だからこそ、期待してもいなかった優しさを向けられた事が、より嬉しく感じた。

 いくら感情を押さえ込んでいたところで、私の本質は人間。

 欲深く、甘美なものには依存してしまう人としての本能が、私の心を確かに突き動かした。


「あの」


 待って欲しい、と私は足に力を入れる。

 しかし地面がぬかるんでいた事、そして足を負傷していたこともあり、私はべしゃりと派手に転んだ。

 前方に俯せに倒れた私に驚いたのか、アルフォンス様がぎょっとして振り返る。


「おい」


 すっかり顔や服が泥だらけになってしまいながら、私は起き上がる。

 アルフォンス様はすっかり困惑していたが、私は気にせず口を開く。


「自ら動く者となれば、よろしいのですか」

「は?」

「悲劇のヒロインや自ら動かない者が嫌いという事は」

「少なくとも、己を害されながらも口を閉ざすような者を見たくはないな。……何が言いたい」


 何が言いたいのか。自分でも定かではない。

 だからふと思った事を口にする。


「貴方と関わる機会が欲しいです」

「な……っ」


 愕然としているアルフォンス様を私は真っ直ぐと見つめる。

 彼は言った。

 『己を害されながらも口を閉ざすような者を見たくはない』――これはつまり、助けを求められる事があるならば、手を差し伸べる余地もあるという事ではないだろうか。

 そう思い至った私は続けてこう言った。


「……助けをお借りしたいのです」




「怪我をしているなら先に言え」

「申し訳ありません。そういった発想がなく」


 医務室の中。

 養護教諭がいない室内で、私はアルフォンス様から右足首の手当てを受けていた。


 結果から言えば、私の推測は正しかったといえる。

 助けを求めれば、訳が分からないと言った顔をしつつもアルフォンス様は一先ず屋内へと手を差し出してくれた。


 ……尚その際に足の怪我を庇って立とうとしたところを目ざとく見つけられ、その後は横抱きにされながら医務室へ連行された、というのがここに至るまでの経緯である。


「それで? 貴方が俺に求める助けというのは?」

「そうですね……冤罪を晴らすお手伝いをお願いできますか」


 丁度手当てが終わり、顔を上げたアルフォンス様が目を瞬かせる。


「冤罪というのは?」

「私の悪評についてはご存じですか?」

「ああ。どこかの令嬢を虐げる陰湿な悪女だと」

「それが全て事実無根である、と言えば……信じていただけますか」


 アルフォンス様は少しの間口を閉ざした。

 そして考えるように顎を撫で、視線を彷徨わせてから……彼は言う。


「断言はしない。だが可能性としては十分あり得る話だろう。社交界の噂に誇張的な表現や偽りが混ざる事はよくある話だ。そして……少なくとも、貴女が何者かから暴行を受けているらしいという事実を俺は理解している」


 体の痣の事だろう。

 私は小さく頷いた。


 噂に左右されず、聞く耳を持ってくれる。

 私にとってはそれだけで充分、特別な事だと感じた。


 私は自分の境遇について、そして今日起きた事について詳細にアルフォンス様へ打ち明けた。

 彼はそれを静かに、そして真剣にきいてくれた。


 そして私が話し終えて数秒の間があった後に、彼は小さく頷く。



「貴女の希望がそれだというのならば、こちらも一つ提案をしよう」


 アルフォンス様はそういうと私に手を差し出した。


「俺と婚約をしないか」

「……え?」


 今度は私が驚かされる番だった。

 思わず目を剥きながらアルフォンス様の手を見つめる。


「貴女の話が事実だとするのならば、縁が切れるだろう今の婚約者からの暴行は減ると考えられるが……彼らが別の方法を用いたり、または噂を鵜吞みにした者が貴女に

悪意を持って接触してくる可能性もある。一方で我が家も俺自身も政界での立場は強い。俺という存在がそういう輩を牽制する役割を担えるだろう」

「……なるほど」

「そして貴女の言葉が偽りであり、噂通りの人物だったとしても問題はない。貴族の婚姻に愛は必要ないし、貴女の手綱を握るだけの力はあると自負している。おまけに悪女であるというのならば相応の態度で返せばいいだけの事……気を遣わないで済むのならばそれでも構わない」


 我が家の権威や評判があの悪評程度で落ちるものでもあるまい、と彼は続けた。

 ここまでの話を聞いて、私は先の提案にようやく合点がいった。


「アルフォンス様にとっても、私を婚約者として傍に置く事にはメリットがあるという事ですね」

「ああ。戦場に赴く事が多かったせいで見合いすらできていなくてな。そろそろ婚約者を決めなければと思っていたところだったからこそ、都合が良かったといえる」

「であれば正式な婚約破棄後に、喜んでお受けいたします」


 私にとってはあまりにも都合の良い話だった。

 あまりに喜び過ぎると先程のように怪訝な顔をされると思ったので、私はいつも通りを装って、あくまで利害の一致から……という手で彼の手を握り返すのだった。



***



 結果から言うと、私の好意はすぐに彼にバレた。


 ケヴィンとの婚約破棄後、すぐに婚約を交わした私達は驚く周囲の人々をよそに婚約者として時間を共に過ごすようになる。


 ある日の事。

 婚約者として定期的に設けられた顔合わせの日。

 リヴィエール辺境伯家へ訪れた私を客室に招いたアルフォンス様は使用人にお茶を用意させ、それを私へ与えてくれた。


「さっさと飲めばいい。外は寒かっただろう」

「よろしいのですか?」


 勧められたお茶を前にそう返せば、彼が眉間に皺を寄せた。


「客人が、差し出された茶を前にいちいち許可を求めるのか」

「あ……すみません。少なくともこのように良くしていただいた経験がなかったものですから」


 開いた口が塞がらないというような顔で視線を投げ続けるアルフォンス様をよそに、私はティーカップへ口を付ける。

 冷えた体を芯から温める様な、優しい感覚があった。

 香りも味も素敵だった。


「……美味しいです。ありがとうございます」


 上質な紅茶に対してもだが、何より気遣いが嬉しくて思わず満面の笑みを零せば、アルフォンス様は何故か深い溜息を吐いた。


「…………今度はもう少し良いものを用意させる」

「そんな。いただけるだけで充分ですよ」


 そう答えたものの、彼がその言葉に頷く事はなかった。




 別の日は、アルフォンス様が我が家にいらした。

 私達は庭園のベンチでぽつぽつと話しながら花を眺めていたが、学園の試験日を越えた直後だった事もあって疲労が溜まっていた私はあろうことか転寝をしてしまった。


 ハッと目が覚めると私は隣に座っているアルフォンス様の肩に寄り掛かっていたし、彼は自分のジャケットを私に掛けてくれていた。


「も、申し訳ありません……っ」

「別にいい。こちらも本を読んでいただけだから」


 アルフォンス様はそう言いながら開いていた本を閉じる。


「疲れているのなら今日は帰ろう」

「あ、い、いえ……!」


 自分でも信じられないような、大きな声が咄嗟に出た。

 私達は互いに目を見開きながら顔を見合わせる。


「あ……その、アルフォンス様さえよければ、もう少しゆっくりしていらしてください」


 恥ずかしさから顔に熱が溜まっていくのが分かる。

 アルフォンス様は目を何度か瞬かせた後、小さく笑った。


「そんな顔も出来るのか。貴女がそういうのであれば、もう少し長居していこう。……折角だ、庭園の案内を頼んでも?」

「も、勿論」


 アルフォンス様はそういうとベンチから立ち上がり、私に手を差し出す。

 私はそれに安堵しながら、彼の手を取った。


 庭園を歩く際中、彼は私に歩幅を合わせて歩いてくれていた。

 繋いでいる手後からも優しく、無理に引っ張ったりもしない。


「アルフォンス様は」

「何だ?」

「……アルフォンス様は、以前、自分を優しい人間ではないとおっしゃいましたが、私には寧ろ誰よりも優しく思えます」


 今だって、私の手を優しく引いて、けれど歩幅は合わせてくれて。

 客人のお茶を用意してくれて、居眠りをしても怒らず、そっと気に掛けてくれて。

 そんな事をいくつか挙げてみると、アルフォンス様は呆れたように肩を竦めた。


「それはどれも当然の事だ。俺が優しいからではない」

「では……その当然がない環境で育った私だからこそ、こうしてアルフォンス様の素敵な場所を沢山見つけられるようになったのですね」

「……なるほど。貴女に人たらしの才があったとは驚きだ」

「世辞などではありませんよ」

「だろうな。……流石に、俺に見せた純粋な姿全てが貴女の芝居だとは、もう思っていない」


 アルフォンス様はそう言うと、私の髪に触れる。


「多くの者が忘れてしまった細やかな喜びを感じられるだけの心が、貴女にはある。それは、貴女の大きな長所であり……そんな貴女が見せてくれる明るい笑みが、悪くないと思ってしまう」


 とても優しい笑みだった。

 私に触れる手も、とても気遣ってくれている事が分かる。

 ……やはりアルフォンス様はご自身が思っているよりもずっと繊細で優しいお方なのだろう。


 そんな事を言えばまた否定されてしまうと思ったので、私はその言葉を心に秘める事にした。




 そんなこんなで、アルフォンス様からも「俺が見ている限り、貴女は非常に分かりやすい人だ」という評価を貰った私は、まあ間違いなく彼への好意がバレてしまっている。

 それでも面倒臭がられる素振りはないので、彼にとって婚約解消の考えに至る要因ではないらしい事だけは悟る事が出来、内心で安心していた。


 また冤罪に関しては、当時晴らしたいとアルフォンス様に伝えたものの……何か具体的な行動をとるよりも先に社交界での私の悪評が薄れていってしまった。

 何故だろうかと不思議がっていると「貴女の魅力に大勢が気付き始めたのだろう」とアルフォンス様にはぐらかされてしまった。


 それから、私とは別の方向から社交界で恐れられていたアルフォンス様もまた、社交界での評価が少し変わりつつあった。

 夜会などにともに出席するうち、彼は良く笑ってくれるようになったのだ。


 アルフォンス様は、ご自身ではあまり自覚がないようだけれど、非常に端正なお顔立ちをしている。

 だからこそ、以前の近寄りがたさがなくなった分、主に女性から人気が高まったようであった。


 こうして、社交界で恐れられていた悪女と『血塗れの武人』はただただ幸福で穏やかな婚約生活をするだけで、新たな立場を確立させていく事となった。




 そうして、すっかり油断していた頃の事だった。


「ッキャア!」


 出席した夜会で。

 私の目の前で、ジャネット様が急に転んだ。

 丁度、アルフォンス様がご挨拶で私の傍を離れていた時の事だ。


 ジャネットは崩れ落ちたまま涙目で私を見上げる。


「っ、酷いです、シャルリーヌ様……っ」

「な……っ、シャルリーヌ、貴様!!」


 ジャネットの悲鳴を聞いて駆け付けたのはケヴィン。

 彼はジャネット様を抱き起しながら私を睨みつけた。


「少しは大人しくなったかと思えば……っ! 新たな嫁ぎ先を見つけて調子に乗り出したのか!」


 以前の私ならば、淡々と言葉を返しただろう。

 けれど今の私は……アルフォンス様に嫌われる事を恐れていた。


 ここで騒ぎを起こしたせいで私の信用がなくなったらどうしよう、だとか、迷惑を掛けるような女だと思われたらどうしようといった不安が過る。


 周囲の視線が自分に突き刺さっている。

 否定しなければ。

 そう思うものの、自分が選択を誤り、より自分の評価を下げるような事になったら――そんな不安があり、すぐには言葉が出なかった。


「どうした!? 前のように否定はしないのか――」

「失礼」


 その時だった。

 私は後方から抱き寄せられる。

 そしてそれと同時に、ケヴィンとジャネット様の前に大量の紙が投げつけられる。


「どうやら私の婚約者に噛みつくような者がいるらしい」


 私を抱き寄せたのはアルフォンス様だった。


「それに目を通してみろ」


 アルフォンス様は床に散らばった紙を示す。

 言われるがまま、ケヴィンとジャネット様は視線を落とし……そしてすぐに顔を青ざめていく。


「我が家の諜報部隊の一部に、当たらせていた調査の報告書だ――シャルリーヌの悪評の偽装について、のな」

「な――ッ」

「彼女のアリバイや証言、また逆に貴様らが裏で話していた偽装の計画について。その密告や具体的な動き方など――その全てが記されている」


 散らばった紙は野次馬の数名も拾っており、彼らは驚いたように周囲へ共有を始めた。

 ケヴィンとジャネット様は震えあがり、何も言えなくなった。

 一方で私も、驚きのあまり呆然としてしまう。


 調査の話など、彼から聞かされていなかった。

 そもそも婚約者として過ごす内、悪評が薄れて言った段階で私は彼に『助け』を求める事をしなくなっていたし、彼と幸せに過ごせるならそれでいいと心の底から思うようになっていた。


 ……だというのに。


「これまで彼女に着せられた罪は全てこの二人が仕組んだ事だ。そして、ケヴィン・シャノワーヌ。貴様はこの事実を勿論知っていながら、シャルリーヌが悪女だという事を理由に、制裁と称して彼女へ暴行の数々を振るった! これもすでに証言が取れている!」

「そ、そんな……ッ! 何かの間違いだ! アルフォンス殿、一度話を――」

「間違いだというのならば私のように確固たる証拠を揃えればいい。さすれば後は……周囲の者が自ずと判断を下すだろう」

「う、嘘よ……ッ、こんなの、こんなのぉ……っ!!」

「……耳障りだな。シャルリーヌ、行こう」

「は、はい、アルフォンス様……」


 私はアルフォンス様に肩を抱かれて、二人へ背を向ける。

 その時だった。


「ッ、シャルリーヌ! お前からもなんとか言え! そもそも元はと言えば、お前が俺の教育通りに動かなかったせいで――」

「ッ、貴様――」

「……アルフォンス様」


 その言葉に、珍しくアルフォンス様が激高を表情に滲ませる。

 私はそれを静かに制した。

 それから一度、ケヴィンへ振り返って、一礼する。


「ケヴィン。私、貴方には……少しだけ、感謝しているの」

「ッ、シャルリーヌ……!」


 彼の顔に期待が宿る。

 私はそれを、冷たく見据えた。


「貴方との婚約があったからこそ、私はささやかな幸せを忘れない人間になれた。愛する人と添い遂げる道を歩めるようになった」


 それから、軽蔑を滲ませた微笑みを顔に貼り付け。


「どうもありがとう、さようなら」


 怒りの絶叫が返されるのを無視し、私はアルフォンス様とその場を後にするのだった。




「何故、ここまでしてくださったのですか」


 リヴィエール辺境伯家の馬車に乗せられ、我が家へ送られる最中に私が問うと、アルフォンス様はこう言った。


「紛争に巻き込まれた地域で、何度か巻き込まれた民間人……主にこの世に絶望し、自ら生きる意志を失った者を助けようとしたことがある」


 彼は窓の縁に肘を付き、外を眺めている。


「ただそれは……俺のエゴである事が多く、大抵そういう者は無理に助けた先で俺を憎んだり、自害したりと、生きる事に嫌悪を示した」

「……だから、『助けを乞わない者は助けない』と?」


 私は雨の日の出会い。あの時の彼の発言を思い出していた。

 アルフォンス様は「鋭いな」と答える。


「良かれと思った行いが互いにとって望ましくない方へ転ぶ可能性がある……ならば善意の押し付けなどしない方がいい。そう思っていた。……だが」


 アルフォンス様は私へ視線を移すと、何かを思い出すように目を細めてから、プッと吹き出した。

 それから彼は、向かいの席を立って私の隣に座り、私の頬を優しく撫でる。


「……貴女が過去に『悪事を働いた女』だという事実が残るのは嫌だと思ったんだ。たとえ貴女が望んでいなくても、俺はあの冤罪を晴らしたいと……そんな思いを拭う事が出来なかった」

「…………アルフォンス様」

「俺は、貴女の、本当に些細な事で喜んでくれるその在り方に、とても救われた。貴女が俺の考えを変えたんだ。……あの日、冷たい言葉をぶつけた事、謝らせて欲しい」


 アルフォンス様は深く頭を下げてから、目元を和らげ、微笑んだ。


「……愛している、シャルリーヌ」

「…………わ、たしもです。アルフォンス様」


 その表情が、声が、言葉が、とても優しくて暖かい。


「やっぱり貴女は大袈裟だな」

「そんな事、ありません」


 幸せのあまり涙を流してしまう私を、彼が愛おしそうに撫でる。

 それから、私達は目と鼻の先で見つめ合い、笑い合って――


 ――深く、長い口づけに溺れるのだった。




 その数ヶ月後。

 私はアルフォンス様からプロポーズを受け、晴れて彼のお嫁さんとなり……辺境伯家からの支援の一切を断られて途方に暮れる両親をよそに、愛と幸せに溢れた新婚生活を送るのだった。

最後までお読みいただきありがとうございました!


もし楽しんでいただけた場合には是非とも

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また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!


それでは、ご縁がありましたらまたどこかで!

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