赤い作戦
「あのクソ校長に対抗するために――来週の展覧会を使う!」
腰に手を当てて堂々と声を発したエーシャさんは、その勢いのまま画用紙を引っ張り出して線を走らせる。
「展覧会――?」
目くばせし微かに頷く周囲の生徒と、ピンとこない私。
「来週の展覧会で、芸術科のライブドローイングを宣伝する!優先チケットを百枚配り終えること――これであいつも納得するはず!」
彼女に気圧されたのか、教室は再び静まり返っていた。
最初に口を開いたのは、キャンバスを両手に抱えたソメノさんだった。
「貴方の考えはよくわかりました。良いと思います……私が不参加で、なら」
「どういうこと?――あんたがこの科のエースでしょ!」
エーシャさんの言葉に彼女は俯く。その目は教室を一周し――最後に私に向けられた。
「ルリネ先生。あとは頼みましたよ」
「それって、どういう……」
「私の代わりに絵を描いてください。貴方の絵なら、きっと多くのお客さんを引き寄せられるでしょう」
ソメノさんはすっと立ち上がり、早足で美術室をあとにした。それを追いかけるように、エーシャさんも飛び出していく。
さっきまでより乾燥した空気に、マレ先生の声が響く。
「さ、生徒のきみたちは制作に戻るように……ルリネちゃん、きみはこっちにおいで」
モネアに「生徒を頼むよ」とウィンクした彼女は、私に向かって手招きした。
美術室前の廊下。腕を組んだマレ先生は、言葉をゆっくりと宙に吐く。
「ソメノ・ウィラート……最近何かあったのかな。エーシャとはずっと仲が良かったんだけど」
「そうなんですか?」
「意外でしょ?でも、あの子がああやって言えるのも、きっと信頼の証なんだよ」
思わず考え込んでしまう。素直に文句を口にできる人――私にとってのアウリス様みたいなものだろうか。
「そういえば……エーシャさんは芸術科の生徒ではないんですか?部外者、って」
私の問いかけに、マレ先生は吹き出した。
「そうだよ。あの子は本当は魔導科。親がちょっと厳しいらしいけど、負けられないからってここに通ってるんだ。――ソメノとは反対だね。彼女は……まさに期待の新星だ」
話を聞くうちに、ソメノさんの優秀さ、それからエーシャさんの勇敢さを知っていく。
エースと言われ芸術科の看板を背負うソメノさんと、ここの生徒でもないのに飛び込んでくる明るいエーシャさん。彼女たち二人が信頼しあっているなら、とても素敵だと思う――だけど。
「私がソメノさんの代わりに絵を描くって、それはいいんですか?」
少し大きな声を出してしまったことに気づき、慌てて口を塞ぐ。
「そうだね、油絵を乾かす時間のことも考えると、猶予はあと三日程度だ。最近あの子は絵を描いていなくてね。きみに一度任せよう」
そんな、と今度は小さく声が漏れる。
ただし、とマレ先生は笑いかけた。
「本番はあくまで文化祭だよ、ルリネちゃん。そこまでにあの子の本心を聞くことができれば――きみは最高の教師だ、違うかい?」
***
それから三日間、私はキャンバスに向かい続けた。朝は日が昇ると同時に起床、そのまま寝るまで校舎に籠って筆を動かす。
今回の絵の被写体は、思い出の場所であり彼女たちの舞台――美術室だ。
心情を表現するため、精密で繊細な描写を心がける。絵を休ませる間は、さらに別の絵に取り掛かった。
限界まで、時には飲まず食わずで動き続けたからだろうか――絵が完成した瞬間、ふっと意識が遠くなるような感覚に襲われる。
床が揺れ、上半身に力が入らなくなって――。
「――先生!ルリネ先生」
ゆっくりと目を開けると――息が届くくらいの距離に、ソメノさんの顔があった。
「……すみません。意識を失っていたみたいです」
ふと、彼女の目に光るものがあることに気づく。ソメノさんの手は小さく震え、声も少し掠れていた。
「すみません先生。……私が無理を言ったせいで」
「いえ、手伝えるならそれで――ソメノさんは優しいんですね」
私の言葉に、彼女は小さく目を見開く。そのまま小さく、でも確実に言葉を紡ぎ始めた。
「私は、自分に絵を描く資格があるか分からないんです。――両親が芸術家で、でも私自身そんなにやりたいと思ったことはなくて」
語り始めた彼女に私は何と声をかけられるのか、それが分からない。
「……だからエーシャを見ていると素敵だと思います。確かに私の絵は評価されるし、優等生だと言われる――でも、あの子の熱量は本物だから」
見ますか、と彼女は口にした。私が小さくうなずくと、大きなキャンバスを抱えて戻ってくる。
「これが、彼女の絵です。私の絵は、これに並べられない……素敵ですよね」
それは、キャンバス一面に描かれた赤い薔薇だった。大胆な筆遣いで、でも色の重ねられた箇所には繊細さが覗く。
呼吸している、と感じることを止められないくらい、生き生きとした絵だった。
私がそれに目を奪われたその一瞬で――ソメノさんは姿を消していた。




