第6話
「是明だ、入る」
俺は一番入りたくない場所へきてしまった。
アリサの黒一色の執務室――俺はここを「雨雲」と呼んでいる。
部屋に入った瞬間、空気が一段冷えた気がした。
黒い壁が音を吸い、足音すら沈む。
〈徴税印〉が微かに脈動していて、喉の奥がひりついた。
机に頬杖をつきながら、俺を立たせたまま質疑応答がはじまる。ああ、すわってもいいじゃんかよ。
「さて、存子とあなたが動いているということは、また神界がらみね? Yesかハイでこたえなさい?」
「ちょ、それってぜんぶ肯定だろうが」
「あら、そんな態度でよろしくって?」
アリサの胸元にある「徴税印」が光る。
それをさするようにして目線で刺すものだから、ちっと痛いじゃねぇか。
「クソ……YES。……はい」
「クソはいらないけど、まあいいでしょう。それで?」
このクソ女、それでいて誘導かよ。
「ああ、内容に気を付けて。下手なことをすれば、この世界から“退職”になるわ」
言い方をやわらげてるが、要するに“消す”ってことだ。
「回収課の封鎖が異様に早かった。そこで違和感が出た」
「なるほど、確かにそうね」
「回収課の現場には、局内のものじゃない魔力痕跡が残っていた。
それが“動いている証拠”だった。
それとは別に、監査課がなぜ回収課を確保し、自身の拠点で“保護”したのか――理屈が見えない」
「それは私も個別に調査を開始したわ。それで中で何をみたの?」
「破壊と魔力痕跡」
「他には?」
「神無大戦の匂いだ。魔獣化された“人”を見た。残念ながら粒子化したがな」
「なんですって」
アリサの指が、かすかに震えた。
けれど、次の瞬間には無表情に戻った。
ん? 前には黒い指輪なんてつけていたか?
ポコポコの店の流し物――そういう“裏の匂い”がした。
……笑えねぇな。
「今回は信じるわ。経験者のあなたが言うんだから。
それで、まだ何かつかんでいるんでしょ?」
「まだな、確証がなく調査中だ」
「わかったわ、無理しないで。続けて調査を頼みます。
神無にかかわることはすべて私に報告し、ほかへは秘匿して」
「なんでだ?」
「ええ、そうね。間者がいるわ。しかも神界からの。
今はまだだれかはわからない。だから気をつけてとしかいえないわ」
「なるほどな」
俺はとくに何かをうけたわけでもなく部屋をあとにした。
◇
廊下に出た瞬間、背中にじっとりと汗が浮いた。
「今の、変じゃなかったか?」
存子が一拍置いてから言う。
「はい。……揺れました。感情です。
そして“戻し”が早すぎます。――動揺を、塗りつぶす速度が」
「だよな。あの隠し方、慣れてやがる」
「是明さまは確かに存在を削られる可能性がありますが、
本気になればアリサなど一瞬で消せます」
「おいおい、ここで言うなっての」
「ご安心を。冗談です。半分だけ」
軽口のはずなのに、喉がひりつく。
その時、廊下の灯りが一瞬だけチカリと明滅した。……“合図”みたいだった。
「まあ、俺はまだこちら側の人でいたいからな。
それに、まだいる」
「魔獣ですか?」
「ああ。存在証明を強引に埋めこまれたキメラ的なやつがな」
「警戒は最大にします」
「ああ、頼んだぜ」
壁の端に、“誰かが立っていたような気配”だけが残ったが、振り返った時にはもう消えていた。
俺はアリサとのあと、一旦執務室へ戻るつもりだったんだが。
少し気になることがある。
「これで回収課は全滅か?」
「いえ、今回監視下におかれたのは数名です。他はヒアリングだけ受け釈放されています」
「まあ、それもそっか。となると二つだな」
「二つ? ですか?」
「ああ、一つは存子が感知した魔獣の行方。もう一つは、回収課の残ったヤツがどっち側かってことだ」
「なるほど、そういうことですか。残ったのが神側なら、もうかなり浸透していると」
「よくわかったな。そうだ。というより、めちゃくちゃヤベェと思うぞ」
「なぜです?」
「戦争は数だ。もし神側に寝返られてるなら、この時点でほぼ詰みだ」
今さら回収課に行っても尻尾はださないだろうし、アレか。
魔獣が仕掛けてきたら、そのときの反応で確認すっか。
今のところ俺、バレテねぇよな?
「あーやっぱ、ポコポコのところへいく」
「久々にあれですか?」
「ああ、あいつも喜ぶだろ?」
「Hですね」
「……冗談言うな。今、空気が変だ」
ん?
空気が一瞬、ひしゃげた。
見えない“何か”が路地を横切る。
次の瞬間――壁が内側から押し潰され、レンガが砕け散った。
目に見えねぇのに、影だけがある。
空気が“踏まれた”みてぇに沈んだ。
今いる路地は、見た感じ足跡もなければ生臭くもない。
赤茶色のレンガでつくられたここら辺では普通な一角だ。
いや、前言撤回。
異常だらけだな。
なんだ! 見えねぇ巨大な何かが通り抜けやがった。
バキッ、ボコッと破砕音が続き、路面が踏みつぶされ、壁は内側から押されて湾曲していく。
まずい。
あっちの方角。
俺は急いだ。
間に合ってくれ!
ポコポコ!
◇
――そのころ、ポコポコは。
「なんか今日は、是明に会えそうな予感」
胸の内がそわそわしてた。
ほんとは、ちょっと不安。
でもなんていおうかな。
あたしのことが好きすぎて、また来るにきまっている。
最初は無視っしょ。もうこれ、完璧。
困ってたら言い訳させてあげるの。
あれ? なんか今日、地震多い気が。
え? え? え?
え? 見えない何かが来る?
空気? なにこれ?
こんなの、魔獣じゃない。
――来る。
何か“大きな肉の塊”にぶつかった。
あたし今、空とんでるし。
視界が回転して、地面と空が入れ替わった。
でも――
景色だけが遅れて、音だけが後から追いかけてきた。
身体は空に置き去りで、心臓だけが先に痛む。
なんでだろ、胸がぎゅっとして……涙が出てきた。
是明の声が聞こえる気がする。
凄く胸が苦しい。
え?
なんで、ごっふっ。
え?
くるしいよ。
血がでちゃった。
あれ? あれ?
あたし是明の腕の中にいる。
なんで?
温かいでも寒い。
眠くなってきちゃった。
是明……そばにいてもいいんだからね。
◇
クソッ!
「ポコポコー!」
何かに撥ねられて空中にほうりだされたポコポコ。
俺は、踏み込んだ。
音が遅れて追いかけてくる。
俺だけが、先にいる。
血まみれのポコポコを空中で抱き寄せた。
まだだ。
これじゃポーション飲ませられない。
仕方ない。
やるか。
俺は口に含んだ。
ポコポコに口移しする。
飲み込んでくれ。
ごくっ。
よし! もう一回。
ごくっ。
瞼がうごきだした。
「……噛むな」
これならもう大丈夫だろ。
「ぜ、みょう……」
「もう大丈夫だ。安心しろ俺がいる」
「うん」
さて。あの魔獣にはお仕置きしないとな。
ああ、でもこれじゃばれちまうかもな。
是界はヤベェんだよな。
でもな、俺がオレであるために。
両掌を胸骨の前で力強く、打ち鳴らす。
「是界ッ!」
――存在証明を燃やす禁術。世界がとまる。
視界の端が欠け、腕が一瞬透けた。一回やるたび、俺が減る。それでも――今は守る。
是零掌の波動が全身に行き渡り、金色の粒子が全身をおおう。
こうなったら止められない是!
手甲の光る刃が生えだしてくる。
空間が歪んでいるが。
わずかにヤツの目が光る。
行くぞ!
音を置き去りに世界を駆ける。
それでいい。今は守る。
手甲の刃に手ごたえあり。
手甲の光刃を横一線に振り抜く。
噴き出した血が身体をかたどる。
横にすべり切り裂く。
これは“炉”だ。燃やして燃やして、俺が減る。
「グギャー!」
ヤツが倒れた。
次第に姿が見え始めた。
巨大なトカゲ状の魔獣だ。
体は黄土色。
こりゃ目立つな。
ぐったりして動けないヤツに決める。
一対一で俺に勝とうなんざ、三秒はえぇよ。
「是零掌!」
存在証明を奪う。
湾曲した空間から取り出した。
次の瞬間。
外皮が粒子化していき、徐々に消えていく。
俺は、壁面にもたれて座っているポコポコを見て少しほっとした。
まあ、あいつが無事ならそれでいいか。
ポコポコのもとへ歩く。
「よっ、元気か?」
さっきまで血まみれだったくせに、
ほんの数秒で呼吸を取り戻して、こいつはまた口を開く。
「ねぇねぇ是明。
もしかして“存在”ヤバいんじゃない?
消えちゃう前に、なにか遺言ある? ほらほら、はやくぅ」
「はぁ。お前、お礼とか無いの? ……お礼とか?」
「ふーん? 是明キスしたじゃん?」
「あれは不可抗力だ。お前それで回復したじゃん」
「あたしの奪った」
「えーそれ今いう? 死ぬかと思ったぞ」
「ねぇどーすんの?」
「はあ、それよかさ。アレあるか?」
「なによ、話そらさないで」
「いやな。この惨状だと、是贋がな」
「ん~在庫あったかな。またドンパチやんの?」
スマポが光りだす。
「あっ」
思わず声がでちまった。
「え?」
ポコポコも同じだ。
「ヤベ、ポコポコはよ頼む」
何がおきるのかわかったのか、さっきとはうって変わって猛ダッシュで店の奥へ引っ込んだ。
やっぱばれちまうよな。
ん~こんな時、在香がいると多少は楽なんだが。
今のでストックは一枚。
最低ラインの“二枚”までは、もう一体仕留める必要がある。
あと一枚――。
なんとしても取らなきゃヤバイ。
空気が、ピリピリと震えた。
ああ、間に合わねぇかもしれねぇ。




