第9話:『決戦、獅子の心』
コロッセオを埋め尽くす観衆の熱狂が、地響きとなって足元から伝わってくる。
王都ギルド対抗戦、決勝。
王族や各ギルドのマスターが見守る特等席。その中央に座る国王の宣言で、私たちの最後の戦いの火蓋が切られた。
対峙する「獅子の心」のメンバーは、以前と変わらず、氷のように冷たい闘気を放っている。その中心に立つ仮面の剣士ゼノンは、その視線をただ一人、父アルドにだけ注いでいた。
試合開始のゴングが鳴り響く。
だが、ゼノンは動かなかった。彼は剣を鞘に納めたまま、ゆっくりと父に語りかけた。その声は、拡声の魔法によって、コロッセオの隅々まで響き渡る。
「師よ。……いや、アルド。貴様は、あの日のことを覚えているか? 魔王の城で、俺を『囮』にして逃げた、あの日のことを」
ギルドのメンバーたちの顔がこわばる。観衆も、英雄の知られざる過去の暴露に、水を打ったように静まり返った。
「貴様は、俺を見捨てた。俺の未来も、誇りも、全てを奪った。今、この場で俺と一対一で戦え。そして、あの日の卑劣な選択が、どれほどの間違いだったかを、その身で思い知るがいい!」
それは、あまりにも残酷な挑発だった。父の最も深い傷をえぐり、彼を個人的な復讐の舞台に引きずり込もうという、狡猾な罠だ。
以前の父なら、激昂して飛びかかっていたかもしれない。
だが、今の父は違った。
彼は、ゼノンの挑発を真正面から受け止めると、静かに、しかし力強く答えた。
「……断る」
その一言に、ゼノンの肩がわずかに揺れた。
「俺は、『黎明の鐘』のリーダーだ。俺の仕事は、個人的な感傷に浸ることじゃない。このチームを、勝利に導くことだ。……俺は、もう二度と、仲間を犠牲にはしない」
父の言葉は、リーダーとしての決意表明だった。彼の背後で、私たち全員の士気が、燃え上がるように高まっていくのが分かった。
ゼノンの仮面の下で、何かが激しく揺らいだのを、私は見た。
「……そうか。ならば、貴様の守りたいその『仲間』とやらを、一人残らず、目の前で叩き潰してやる!」
ゼノンが叫び、ついに剣を抜いた。
「全軍、突撃!」
「獅子の心」のメンバーが、完璧な陣形で襲いかかってくる。
だが、私たちはもう、あの時の私たちではない。
「――作戦『新生・黎明』、開始!」
私の号令が、戦場に響き渡る。
全ては、練習通りだった。
「ゼノンの初動、右へ三歩! 狙いはバルガス!」
カイトの雷鳴のような報告!
「させないわ!」
「させません!」
セシルの牽制魔法『アースバインド』と、フィンの身体強化魔法『ヘイスト』が同時に発動! 敵の4人の足が一瞬だけ鈍り、バルガスのスピードが限界を超える!
「うおおおおおっ! 道を開けろォ!」
バルガスは敵の攻撃を一切顧みず、ただ前へ、ゼノンへの道をこじ開けるためだけに、巨大な肉壁となって突進する!
その巨体を止めようと、敵の戦士二人が立ちはだかるが、バルガスは構わず二人まとめて吹き飛ばした。
そして、生まれた。
ほんの一瞬、コンマ数秒の、ゼノンへと至る「道」が。
「――いけっ、お父さん!」
「雷鳴」が、迸った。
父アルドの剣が、もはや目では追えないほどの速度で、その道を駆け抜ける。
ゼノンは、驚愕に目を見開いていた。彼の完璧な予測と指示を、私たちの無謀なまでの連携が、完全に上回ったのだ。
彼は咄嗟に剣で受け止めるが、父の一撃は、彼の防御ごと、その体を大きく吹き飛ばした。
「ぐっ……おのれぇ……!」
初めて膝をついたゼノン。初めて乱れた「獅子の心」の陣形。
コロッセオが、どよめきに揺れる。
やった! 作戦は成功した!
誰もが勝利を確信した、その時だった。
「……許さない」
地を這うような、低い声が響いた。
ゼノンが、ゆっくりと立ち上がる。彼の体から、禍々しい紫色のオーラが立ち上り始めた。
「俺の完璧な戦術を……俺の世界を、土足で踏み荒らすことなど……絶対に許さない!」
彼は、懐から禍々しく光る黒い宝石――魔王の遺した呪物――を取り出した。
リアナの警告が、脳裏をよぎる。
「やめろ、ゼノン! その力に手を出せば、お前はもうお前でなくなるぞ!」
父が叫ぶが、もう遅い。
ゼノンは、その呪物を、自らの胸に突き立てた。
「ギィイイイイイイイアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
人間のものではない絶叫が、コロッセオを震撼させた。
ゼノンの体はみるみるうちに膨張し、鎧が砕け散る。仮面が割れ、その下から現れたのは、魔王の呪いに蝕まれた、醜く焼け爛れた素顔だった。
彼の力は増大し、もはや理性などない、破壊の衝動だけの化け物へと変貌していた。
「危ない!」
暴走したゼノンが放った衝撃波に、バルガスとカイトが吹き飛ばされ、倒れる。
「セシル! フィン!」
セシルの魔法も、フィンの補助も、暴走したゼノンには通じない。二人もまた、いとも簡単に打ちのめされた。
戦場に残されたのは、父と、私だけだった。
絶望的な状況。観衆は悲鳴を上げ、誰もが「黎明の鐘」の終わりを確信していた。
だが、父は諦めていなかった。
彼は、暴走するゼノンの前に、静かに立ちはだかった。
そして、私を振り返った。その目には、恐怖も絶望もなかった。ただ、絶対的な信頼だけが宿っていた。
「ユナ」
父が、私の名を呼んだ。
「――マネジメントを、頼む!」
その言葉を合図に、父は最後の戦いへと、一人で駆けていった。
父娘の、そして、「黎明の鐘」の、全てを懸けた戦いが、今、始まる。