第7話:『父の罪とイノベーションの種』
「指示をくれ。俺たちは、どうすれば『獅子の心』に勝てる?」
父アルドのその問いに、ギルドの空気は再び熱を帯びた。絶望は、明確な目標とリーダーの覚悟によって、希望へと変わる。私たちは、敗北の夜から再び立ち上がった。
私の仕事は、敗戦の分析から始まった。
ギルドの作戦室に閉じこもり、トーナメント運営から取り寄せた試合の記録映像(魔法水晶に記録されたものだ)を、何度も、何度も見返した。メンバーたちの動き、敵の動き、そのすべてを時系列でチャートに落とし込み、敗因を徹底的に洗い出す。
「獅子の心」は、強い。個々の実力もさることながら、その連携はまるで一人の人間が手足を動かすように完璧だ。私たちの付け入る隙は、どこにもないように見えた。
分析を進める中で、私の心に一つの疑問が引っかかった。
――仮面の剣士、ゼノン。
父は彼を「育ててしまった」と言った。試合中、ゼノンは父を「師よ」と呼んだ。二人の間には、単なるライバル以上の、深い因縁があることは明らかだ。だが、父はその詳細を語ろうとしない。
彼の過去に、そして二人の間に何があったのか。それを知ることが、勝利への鍵になるかもしれない。
私は、父の過去をより深く知る人物に会うことを決意した。リアナは協力的とは思えない。ならば、もう一人。かつて英雄パーティ「黎明の鐘」に所属していたという、大賢者様だ。
***
賢者ゲオルグは、引退後、王立アカデミーの名誉教授として、静かな余生を送っていた。私が訪ねると、彼は書庫の奥で、優しそうな笑顔で迎えてくれた。
「おお、アルドの娘御か。大きくなったな。ユナ、と言ったかな」
私は単刀直入に尋ねた。
「父と、ゼノンという剣士の間に、何があったのですか?」
その名を聞いた瞬間、ゲオルグの柔和な表情が曇った。彼は重い溜め息をつくと、静かに語り始めた。
「……やはり、知らねばならぬ時が来たか。アルドが、あやつと再び向き合う時が」
ゲオルグの話は、衝撃的なものだった。
ゼノンは、かつてアルドが唯一取った弟子だった。才能に溢れ、誰よりもアルドを尊敬し、その背中を追いかけていた若者だったという。
問題は、魔王との最終決戦の時に起きた。
「我々は、魔王の城に突入した。だが、魔王の仕掛けた罠にかかり、パーティは分断されてしまった。アルドと、まだ若かったゼノンが、魔王の親衛隊に囲まれてしもうたのじゃ」
ゲオルグは、辛そうに目を伏せた。
「多勢に無勢。二人とも生き残ることは不可能じゃった。アルドは、リーダーとして、非情な選択を迫られた」
「……どんな、選択を?」
「ゼノンを、囮にしたのじゃ」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「『俺が魔王を討つ。お前はここで、時間を稼げ』。そう言って、アルドはたった一人で魔王の元へ向かった。ゼノンは、師の命令を信じ、絶望的な状況でたった一人、親衛隊の足止めをした。我々が魔王を討ち、駆けつけた時には……そこに彼の姿はなく、大量の血痕だけが残されておった」
私たちは、ゼノンは死んだと思っていた。だが、彼は生きていたのだ。師に見捨てられたという、深い絶望と憎しみを抱えて。
「アルドは……そのことを、ずっと悔いておる。英雄として賞賛される裏で、一人の有望な若者の未来を犠牲にした罪の意識に、ずっと苛まれておるのじゃ。彼が酒に溺れたのも、全てはそこから始まっておる」
ギルドに戻った私は、父と向き合った。彼がなぜゼノンの名を聞いただけであれほど動揺したのか、今なら分かる。
私は、ゲオルグから聞いた全てを、静かに父に伝えた。父は、ただ黙って、俯いていた。その広い背中が、今にも崩れ落ちそうなくらい、小さく見えた。
「……そうか。賢者様は、そこまで話したか」
父の声は、ひどくか細かった。
「俺が……俺が、あいつの人生を狂わせた。俺は英雄などではない。ただの、卑怯者だ」
父は、その日から剣を握れなくなった。
リーダーとして立ち直ったはずの彼の心は、自分の過去の罪の「詳細」という、あまりにも重い事実に、完全に折られてしまったのだ。弟子を見捨てた罪悪感が、彼の腕から剣を振るう力を奪ってしまった。
***
ギルドの空気は、再び鉛のように重くなった。リーダーが戦意を失った今、どうすればいいのか。メンバーたちの顔にも、戸惑いと不安が広がっていた。
だが、私は諦めなかった。
父が罪の意識に苛まれている間も、私は作戦室に籠もり、来る日も来る日も「獅子の心」との試合映像を見続けた。
負けると分かっている試合を、何度も、何度も。
そして、数百回目かの再生をしていた、その時だった。
私は、ある「違和感」に気づいた。
「獅子の心」の連携は、完璧だ。あまりにも、完璧すぎる。まるで、事前にプログラムされた動きのように、寸分の狂いもない。
それはつまり……予測不能な事態への対応力が、極端に低いのではないか?
彼らは、個々の判断で動いているのではない。ゼノンという絶対的な司令塔の指示通りに動いているだけだ。ならば、その指示系統を破壊するか、あるいは、指示の予測を超える動きをすれば、あの完璧な連携は、一瞬で崩壊するはずだ。
これだ! これが、私たちの『勝利の種』だ!
鳥肌が立った。全身の血が、沸騰するような感覚。
私はすぐに、新しい戦術の設計図を羊皮紙に書き殴った。それは、今までの私たちの戦い方を、根底から覆すような、あまりにも無謀で、ハイリスクな作戦だった。
私はその設計図を握りしめ、道場に閉じこもっている父の元へ向かった。
父は、道場の隅で、ただ虚空を見つめて座り込んでいた。
「お父さん」
私の声に、父はゆっくりと顔を上げた。その目は、光を失っている。
「……もう、やめにしてくれ、ユナ。俺に、あいつと戦う資格はない」
「資格なんて、どうでもいい!」
私は、彼の目の前に、新しい戦術の設計図を叩きつけた。
「これが、私が見つけた、『獅子の心』を打ち破るための『イノベーション』よ!」
父は、力なく設計図に目を落とす。その突拍子もない内容に、彼の眉がわずかに動いた。
「これがあれば、私たちは勝てる。勝つ可能性がある」
私は、父の前に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
「でも、この作戦を成功させるためには……どうしても、お父さんの力が必要なの! あなたの、あの『雷鳴』と呼ばれた、神業の一撃が!」
私は父の手を、両手で強く握りしめた。
「罪を償いたいなら、逃げないで! 弟子と向き合って! そして、私たちを勝利に導いて! それが、あなたの、リーダーとしての、本当の贖罪でしょう!?」