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第5話:『組織の目標と個人の目標』

「……他の誰かと、比べないでください!」


フィンの悲痛な叫びは、まるで時を止める魔法のようだった。

父アルドは、ただ呆然とフィンを見つめている。彼の顔から、いつもの傲慢さや苛立ちが消え、深い戸惑いと、そして、今まで見たこともないほどの後悔の色が浮かんでいた。


そうだ、お父さん。気づいて。

目の前にいるのは、あなたの栄光の過去を彩った幻の仲間じゃない。傷つきやすく、不器用で、それでも必死に今を生きている、かけがえのない「今の仲間」なんだ。


フィンの目からこぼれた涙が、アルドの手の甲に落ちた。その温かさに、父はハッと我に返る。

「……すま、なかった」

父の口から絞り出されたのは、誰 もが耳を疑うような、率直な謝罪の言葉だった。

「フィン……。お前の言う通りだ。俺が、間違っていた」

その言葉を聞いて、フィンは堰を切ったように泣きじゃくり始めた。バルガスがその小さな背中を優しく撫で、カイトがそっとハンカチを差し出す。セシルはふいと顔をそむけたが、その横顔はどこか柔らかかった。


私は、その光景を静かに見つめていた。

ギルドが、また一つ変わろうとしている。しかし、それは脆い変化だ。感傷だけでは、組織は動かない。この変化を、本物の強さに変えるためには、もっと強固な「土台」が必要だ。


私の脳裏に、【経営学マネジメント】が次の課題を提示する。

――『組織の目標と個人の欲求を、いかにして統合するか』

ドラッカーは説く。組織は、そこに属する人間が自己実現を達成するための道具でなければならない、と。組織の成功が、個人の成功に直結してこそ、人は自発的に、そして最大限の力を発揮する。


今の「黎明の鐘」に必要なのは、それだ。


***


翌日から、私は「マネージャー」として、ギルドメンバー一人ひとりとの個人面談を始めた。もちろん、前世で言うところの「1 on 1ミーティング」だ。


最初は、バルガス。

「俺の目標? そんなの決まってんだろ! 金だよ、金! でっけえクエストを成功させて、山ほどの金貨を稼いで、毎晩うめえ酒と肉を腹いっぱい食う! それが一番だ!」

単純明快。彼の動機は分かりやすくていい。


次は、カイト。

「ぼ、僕の目標は……まずは、ギルドに作った借金を返すこと……。あとは、その……僕みたいな臆病者でも、誰かの役に立てるんだって、証明したい、かな。この前のゴブリン退治みたいに」

彼は少し照れながらも、はっきりと答えた。金銭的な目標と、自己肯定感の充足。


そして、セシル。

彼女はプライド高く答えた。「決まっているでしょう。私の魔法の才能を、王国中の人間に認めさせることよ。歴史に名を残す大魔法使いとして、名誉を手に入れるの。そのためなら、どんな努力も惜しまないわ」

彼女にとっての報酬は、金ではなく名声だ。


気弱なフィンは、こう言った。

「僕は……みんなのいる、このギルドが好きなんです。ここが、僕の初めてできた『居場所』だから。だから、僕の治癒魔法で、みんなを守れるようになりたい。それだけです」

彼が求めるのは、所属意識と貢献実感。


最後に、父アルド。

彼は傷が癒えた腕をさすりながら、自嘲気味に言った。

「俺の目標、か……。そんなもん、もうねえよ。昔は、魔王を倒して平和を取り戻すってのがあったがな。とっくに終わっちまった」

「じゃあ、なぜギルドを続けてるの?」

「……さあな。意地、みてえなもんかもな」

その目は、遠い過去を見ていた。


全員の面談を終え、私は確信した。

彼らの目標は、一見バラバラだ。金、名声、自己肯定感、居場所、そして過去の清算。だが、その全てを同時に達成できる道が、一つだけある。


***


その日の夕方、私はメンバー全員をギルドのホールに集めた。

作戦会議でもないのに全員が集まるのは珍しく、皆、不思議そうな顔をしている。父アルドも、腕を組んで壁際に立っていた。


私は、ホールの真ん中に立ち、宣言した。

「今日は、『黎明の鐘』の、新しい目標を決めたいと思います」


ざわ、と空気が揺れる。

「目標って……今まで通り、依頼をこなしてくだけじゃねえのか?」

バルガスの問いに、私は首を振った。

「それは『作業』よ。私たちが目指すのは、もっと大きな『事業』。そのための具体的な旗印が必要なの」


私は全員の顔を、一人ひとり、ゆっくりと見渡した。

「バルガスは、たくさんのお金が欲しい。セシルは、歴史に残る名誉が欲しい。カイトは、借金を返して、自分に自信を持ちたい。フィンは、このギルドという居場所を守り、みんなの役に立ちたい。そして、お父さんは……失った過去の栄光を取り戻したいんじゃないの?」


私の言葉に、全員が息を呑んだ。

父は、図星を突かれたように、ぐっと言葉に詰まった。


「これらの目標は、バラバラに見える。でも、たった一つのことを成し遂げれば、全て同時に手に入れることができるわ」

私は、声を張り上げた。


「――『王都ギルド対抗戦での優勝』よ!」


「優勝すれば、莫大な賞金が手に入るわ、バルガス! 優勝ギルドの名誉は、歴史に刻まれるでしょう、セシル! 借金なんてすぐ返せるし、あなたはギルドを勝利に導いた最高の斥候として尊敬されるわ、カイト! そしてフィン、優勝すればこのギルドは安泰よ。あなたの居場所は、誰にも脅かされない! 」


そして、私は父に向き直った。

「お父さん。トーナメントで優勝すれば、あなたは『過去の英雄』じゃなくなる。『今、この王国で最も強いギルドを率いる、現在の英雄』になるのよ! 落ちぶれたなんて、もう誰も言わせない!」


私の言葉は、魔法のように彼らの心に染み込んでいった。

そうだ、トーナメント優勝は、ただの名誉じゃない。それは、金であり、自信であり、居場所であり、そして、再生の証なのだ。

彼らの個人的な欲望と、ギルドという組織の目標が、完全に一つに重なった瞬間だった。


「……やってやるぜ」

最初に口を開いたのは、バルガスだった。その目は、金貨の山を見つけた時のようにギラギラしている。

「面白そうじゃない。私の名を轟かせる、最高の舞台だわ」セシルが不敵に笑う。

カイトとフィンも、強く頷いた。


そして、父アルドが、ゆっくりと壁から離れ、私たちの輪に加わった。

彼は私の頭に、ごしごしと無骨な手を置いた。

「……面白い。やってやろうじゃねえか、マネージャー」

その顔には、もう迷いはなかった。私が幼い頃に見た、太陽のような笑顔が、そこにはあった。


バラバラだった心が、一つの旗印の下に集う。

「黎明の鐘」が、初めて本当の意味で「チーム」になった瞬間だった。


その頃――。

王都で最も豪華なギルドハウス、『獅子の心』(ライオンハート)の最上階。

ギルドマスターの前に、一人の男が膝をついていた。全身を黒い鎧で覆い、顔には感情を窺わせない銀の仮面をつけている。


「――例の『黎明の鐘』の件、耳に入っております」

仮面の剣士ゼノンが、静かに告げた。

「あの落ちぶれたアルドのギルドが、最近妙に羽振りがいいとか。トーナメントにも出場するそうですね」


ギルドマスターが面白そうに問う。「ほう、気になるか、ゼノン」


仮面の下で、ゼノンの口元が歪んだ。


「ええ……。とても」

「アルドが、動き出したようです。面白い……潰しに行きましょうか。あの男が築き上げた全てを、この手で」

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