第4話:『過去からの訪問者』
「相変わらずね、アルド。あんたのギルドは、見ていて反吐が出るわ」
月光を背に、リアナの冷たい声が森に響いた。彼女は軽やかに木から飛び降りると、もう一体のヴァルグ・ワイバーンに素早く向き直る。
「セシル! アーク・サンダーはまだ!?」
私が叫ぶと、セシルはハッと我に返り、再び魔力を集中させた。
「リアナ! 左に避けろ!」
父アルドが叫ぶ。リアナはアルドの言葉を無視するように、しかし完璧なタイミングでワイバーンの突進をかわし、流れるような動作で矢を番えた。
「――落ちなさい」
放たれた三本の矢は、三条の光となってワイバーンの首、翼の付け根、心臓を寸分の狂いもなく貫いた。巨体が地響きを立てて倒れ、森に静寂が戻る。圧巻の弓技だった。
私たちは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「す……すごい……」
カイトが呟く。これが、元英雄パーティの実力。父と肩を並べて戦った、本物の強者。
リアナは倒れたワイバーンに一瞥もくれず、私たちの方へ歩み寄ってきた。その射るような視線は、父アルドに注がれている。
「私の助けがなけりゃ、ワイバーンごときに遅れをとるとは。聞いてはいたが、落ちぶれたものね、雷鳴のアルド」
「……リアナ」
「あんたたち、最近じゃクエストも失敗が多いそうじゃない。笑わせないで。そんな馴れ合いごっこで、英雄の名を汚すのはやめてちょうだい」
彼女の言葉は、氷の刃のように鋭く、私たちの胸に突き刺さった。
「用は済んだわ」
リアナはそう吐き捨てると、私たちに背を向け、森の闇に消えようとした。
「待って!」
私は、たまらず叫んでいた。彼女を行かせてはいけない。直感がそう告げていた。
私の声に、リアナは足を止めたが、振り向きはしない。
「……何? 小娘」
「私はユナ。アルドの娘です」
私は一歩前に出た。私の脳裏に、スキル【経営学】が一つのキーワードを提示する。――『真摯さ(Integrity)』。ドラッカーが、マネージャーに最も不可欠な資質として挙げたものだ。小手先の弁論では、彼女の心は動かせない。
「助けてくれて、ありがとうございます。あなたがいなければ、私たちは危ない所でした。そのことには、心から感謝します」
私は深く頭を下げた。
「でも、あなたの言葉は受け入れられません。私たちは、馴れ合いごっこをしているつもりはありません」
私は顔を上げた。リアナが、少しだけこちらに顔を向けているのが分かった。
「今の父が、あなたの目にどう映っているかは分かります。ギルドが落ちぶれているのも事実です。でも、私は信じてる。父は、まだ英雄の心を失ってはいない。そして、このギルドは、必ずもう一度立ち上がれる」
私の言葉に、嘘はなかった。
「私は、このギルドのマネージャーとして、父をもう一度、あなたの隣に立てるくらいの英雄に戻してみせます。だから……見ていてください」
しばしの沈黙。
やがて、リアナはふっと息を漏らした。
「……面白いことを言うじゃない、アルドの娘。その口が、どこまで保つか見物させてもらうわ」
彼女はそれだけ言うと、今度こそ森の闇へと姿を消した。
***
ギルドへの帰り道、誰もが口を閉ざしていた。リアナの登場と彼女の言葉が、重くのしかかっていたのだ。
特に、父アルドの様子がおかしかった。彼はいつも以上に無口で、その横顔には焦りの色が浮かんでいた。
かつての仲間、リアナの圧倒的な実力。
そして、そのリアナと対等に渡り合った、娘のユナ。
彼のプライドが、この状況を許さなかったのだろう。自分が何もできず、ただ守られ、娘に出し抜かれたという事実。英雄「雷鳴のアルド」としての己の存在価値が、揺らいでいた。
翌日、事件は起きた。
父が、ギルドの掲示板にあった最高難易度の討伐依頼――「古代遺跡のミノタウロス・ロード討伐」の依頼書を、誰にも告げずに剥ぎ取って、一人でギルドを出て行ったのだ。
「お父さん!」
私が止める間もなかった。彼は、自分の力を証明するために、無謀な賭けに出たのだ。
夕暮れ時、父は帰ってきた。
しかし、その姿は酷いものだった。鎧は砕け、体中から血を流し、肩を借りなければ歩けないほどの深手を負っていた。
「大将!」
「アルドさん!」
バルガスとカイトが駆け寄り、彼を支える。
「……フィン! フィンはいるか!」
私が叫ぶと、ギルドの奥の厨房から、小柄な少年が慌てて飛び出してきた。ハーフリングの治癒術師、フィンだ。温厚で心優しいが、極度の気弱で、大量の血を見ると気分が悪くなるのが彼の欠点だった。
「は、はい! アルドさん、こ、こちらへ!」
フィンは青ざめながらも、必死に父を椅子に座らせ、治癒魔法の準備を始めた。彼の掌から、温かい翠色の光が放たれ、父の傷を包み込んでいく。
だが、傷はあまりに深い。フィンの額に、玉のような汗が浮かぶ。
「……ちっ。時間がかかりすぎだ」
アルドが、苦痛に顔を歪めながら悪態をついた。
「昔の仲間なら、こんな傷、一瞬で……」
その無神経な一言は、致命的だった。
フィンの肩が、びくりと震えた。彼の顔から、さらに血の気が引いていく。治癒の光が、わずかに揺らいだ。
私は、父の口を塞ぎたい衝動に駆られた。違う、お父さん。言ってはいけない。
だが、アルドは気づかない。
「おい、フィン! まだか! お前の治癒魔法は、そんなものなのか!」
その時だった。
それまで黙って治療を続けていたフィンが、顔を上げた。その目は潤み、しかし、強い光を宿していた。
「……無理です」
か細い、しかし、はっきりとした声だった。
「僕では……あなたの昔の仲間だった、大治癒術師様の代わりにはなれません……!」
フィンの悲痛な叫びが、しんと静まり返ったギルドに響き渡った。
「でも……!」
彼は涙をこらえ、さらに声を張り上げた。
「でも、僕だって『黎明の鐘』のギルドの一員なんです! 僕にできる、僕だけのやり方で……あなたを助けたいんです! だから……だから、他の誰かと比べないでください!」
その言葉は、アルドをハンマーで殴りつけたような衝撃を与えた。
父は、初めて自分の過ちに気づいたかのように、呆然とフィンを見つめていた。