第10話:『我々の事業は何か?』
「――マネジメントを、頼む!」
父のその言葉は、私への絶対的な信頼の証だった。
もう、私に迷いはない。私の仕事は、この絶望的な状況を分析し、勝利への道筋を、たとえ針の穴ほどに細くとも、見つけ出すことだ。
父アルドは、暴走するゼノンの猛攻を、紙一重で捌き続けていた。その姿は、かつての全盛期を彷彿とさせる、まさに「雷鳴」の剣技。だが、相手は人ならざる力を得た化け物だ。防戦一方の状況では、体力が尽きるのは時間の問題だった。
「ゼノン! 目を覚ませ!」
父は剣を交えながら、叫び続けた。
「俺は、お前を見捨てた! どんな理由があろうと、それは許されることじゃない! 師として、リーダーとして、俺は間違っていた! すまなかった!」
心からの謝罪。だが、その言葉は、理性を失ったゼノンには届かない。
私は、後方で目を凝らし続けた。暴走し、獣のように荒れ狂うゼノンの動きを、ただひたすらに観察し、分析する。
一見、無秩序に見える破壊の連続。だが、どんなカオスの中にも、必ずパターンは存在する。私の【経営学】スキルが、膨大な戦闘データを処理し、意味のある情報を抽出しようと高速で回転していた。
そして、見つけた。
「……お父さん!」
私は叫んだ。「ゼノンの攻撃は、左側からのものが八割を占めているわ! 彼は無意識に、呪いで爛れた顔の右側をかばっている!」
リアナの言っていた「弱点」。それは、物理的なものではなく、彼の心に刻まれた傷そのものだった。
「そして、彼の最大の大技の後、必ず1.5秒の硬直時間がある! 狙うなら、そこしかない!」
「……1.5秒、か!」
父の目に、光が戻った。
「分かった! ユナ、最高のマネジメントだ!」
父は、大きく息を吸い込んだ。そして、わざと隙を見せるように、大きく踏み込んだ。
「終わりだ、アルドォォォォ!」
ゼノンは、その隙を見逃さず、持てる全ての魔力を込めた、最大の一撃を父に向かって放った。
父は、その攻撃を、まともに受けた。
凄まじい衝撃波がコロッセオを揺るがし、土煙が舞い上がる。
「アルド!」
「大将!」
倒れていた仲間たちが悲鳴を上げる。観衆も、英雄の死を確信して息を呑んだ。
だが、土煙が晴れた時、そこに立っていたのは、ボロボロになりながらも、決して倒れない父の姿だった。彼は、自らの体を盾にして、その一撃を受け止めたのだ。
そして、訪れる、1.5秒の静寂。
「……お前の呪いは」
父は、血を吐きながらも、その剣を構えた。剣先が狙うのは、ゼノンの心臓ではない。彼の胸で、禍々しく光る、呪いの源――黒い宝石。
「俺が、断ち切る!」
父の最後の力が、剣に集束する。それは、ただの力ではない。バルガスの不屈の闘志、カイトの勇気、セシルの誇り、フィンの優しさ、そして、私の分析。仲間全員の想いを乗せた、渾身の一撃だった。
「雷鳴」が、走った。
父の剣は、ゼノンの体をすり抜けるようにして、寸分の狂いもなく、黒い宝石だけを貫いた。
パリン、と軽い音がして、呪物が砕け散る。
ゼノンの体から紫色のオーラが霧散し、彼は元の姿に戻って、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
しん、と静まり返ったコロッセオ。
やがて、審判が震える声で高らかに宣言した。
「しょ、勝者、『黎明の鐘』!!」
その瞬間、割れんばかりの歓声が、私たちを包み込んだ。
***
数日後。
父は、王都の療養所に、ゼノンを見舞っていた。意識を取り戻したゼノンは、ただ静かに、父の話を聞いていたという。二人がどんな言葉を交わしたのか、父は語らなかった。だが、ギルドに戻ってきた父の顔は、長い呪縛から解き放たれたように、晴れやかだった。
「黎明の鐘」は、一夜にして伝説となった。
優勝賞金でギルドの借金はなくなり、バルガスは毎晩のように宴を開き、セシルの名は歴史に刻まれ、カイトとフィンはギルドの英雄として子供たちの尊敬を集めた。
それぞれの個人的な目標は、達成された。
その夜、祝勝会で賑わうギルドのホールで、私はメンバーに、あの最初の問いを、もう一度投げかけた。
「ねえ、みんな。私たちの『事業』って、なんだろう?」
最初に答えたのは、カイトだった。
「人を……助けること、かな。僕たちみたいに、ダメダメだった誰かにも、希望を与えること」
「そうね。絶望してる人間に、逆転劇を見せてやることよ」セシルが不敵に笑う。
「仲間と、こうして笑いあうことじゃねえか?」バルガスがジョッキを掲げる。
「みんなの居場所を、守ることです」フィンが優しく微笑んだ。
全員の答えを聞いて、父は満足げに頷いた。そして、私の頭を、大きな手で優しく撫でた。
「俺たちの事業は……」
父は、ギルドの仲間たちを、そして私を、愛おしそうに見渡して言った。
「――家族だ」
その言葉は、どんな経営理論よりも、温かく、そして力強く、私の心に響いた。
私たちのマネジメントは、ついに、その答えにたどり着いたのだ。
***
【エピローグ】
伝説となった「黎明の鐘」には、王都中から依頼が殺到していた。
私はマネージャーとして、相変わらず忙しくメンバーに指示を飛ばし、ギルドの運営を回している。それは、前世で嫌というほどやった仕事のはずなのに、今は最高に楽しくて、やりがいに満ちていた。
そんなある日、私の元に、王家の紋章が入った一通の手紙が届いた。
差出人は、この国の国王陛下。
手紙には、こう書かれていた。
「――英雄ユナ殿。貴殿の卓越した『マネジメント』の手腕に、深く感銘を受けた。つきましては、一度王宮にお越しいただきたい。この王国全体の、今後の『マネジメント』について、ご相談したい儀がある」
私は、その手紙を手に、にやりと笑った。
どうやら、私の次の仕事は、この国そのものを「マネジメント」することになりそうだ。
私たちの物語は、まだ始まったばかりだ。
(完)