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第1話:『邂逅とマネジメント』

私の最初の記憶は、黄金色の光に満ちていた。

父の髪の色だ。陽の光を浴びて輝くそれは、まるで獅子のたてがみのようだった。人々は父を「雷鳴のアルド」と呼んだ。王国を闇から救った、伝説の英雄。それが、私の父だった。


物心ついた頃の私は、父の背中が世界のすべてだった。

魔王を討ち滅ぼした英雄パーティ『黎明の鐘』(ドーンブレイカー・ベル)のギルドマスター。王都の目抜き通りをパレードすれば、窓という窓から花びらが舞い、民衆の喝采が地鳴りのように響いた。その中心で、たくましい腕に私を抱き上げ、誇らしげに笑う父。私はそれがたまらなく好きだった。


ギルドはいつも活気に満ちていた。皮肉屋だけど誰より正確に矢を射るエルフのリアナお姉ちゃん。豪快に笑い、私を軽々と肩に乗せてくれるドワーフのバルガスおじさん。いつも穏やかな賢者様。父の仲間たちは、私にとって第二の家族だった。彼らがクエストから帰還するたびに開かれる宴は、ギルド中に笑顔と音楽を響かせた。母は私が生まれてすぐに亡くなったと聞いたけれど、寂しいと感じたことは一度もなかった。


父は、私の誇りだった。私の太陽だった。

けれど、太陽は、永遠には輝き続けない。


平和な時代が訪れると、英雄の役割は少しずつ失われていった。魔王という絶対的な悪がいなくなり、世界は退屈で、些細な揉め事に満ちた日常を取り戻した。高難易度のクエストは激減し、英雄たちの強大な力は、ゴブリン退治や家畜の捜索といった細々とした依頼には不釣り合いになっていく。


最初にギルドを去ったのは、賢者様だった。「私の知識は、これからの世を生きる子供たちのために使いたい」。そう言って、王立アカデミーの教師になった。次にリアナお姉ちゃんが「馴れ合いは性に合わない」と、ソロ活動に戻っていった。一人、また一人と、かつての仲間たちが「黎明の鐘」のエンブレムを置いていく。


そのたびに、父の背中から光が失われていくのを、私は感じていた。

宴の回数が減り、代わりに酒瓶の数が増えていった。父の口からは、仲間への愚痴や、過去の栄光を懐かしむ言葉ばかりが漏れるようになった。


「あいつらがいれば、こんな依頼……」

「俺だって、昔は、ドラゴンだって一人で……」


そして、父の背中は小さくなり、黄金色だった髪は輝きを失い、ただのくすんだ金髪になった。私が10歳になる頃には、ギルド「黎明の鐘」は、かつての栄光の残骸と、父の溜め息、そして酒の匂いが染みついただけの、寂れた場所に成り果てていた。


父は、もう私の英雄ではなかった。


***


そして今日、私は15歳になった。

王都では、15歳は成人と見なされる。大聖堂で神の祝福を受け、「スキル」を授かる「成人の儀」が行われる日だ。スキルとは、神が人に与える天賦の才。戦闘系、魔法系、生産系……その種類は様々で、授かったスキルがその後の人生を大きく左右する。


私は13歳頃から少しづつ、父のギルド「黎明の鐘」の受付嬢を手伝い始めた。

このまま受付嬢のままで良いのか。

それとも授かるスキルにより、私の生活も変わっていくのだろうか。


「ユナ、行くぞ」


不機嫌そうな父の声に、私は無言で頷いた。儀式用の簡素なドレスに着替えた私と、昨日から飲みっぱなしなのか、まだ酒の匂いをまとわせた父。親子二人、冷え切った沈黙だけが私たちの間を行き来する。


大聖堂は、同じように15歳を迎えた少年少女とその親たちでごった返していた。希望と不安に満ちた彼らの熱気が、ステンドグラスから差し込む光を揺らしているように見える。

かつて、父もこの場所で「雷鳴の剣技」というユニークスキルを授かり、英雄への道を歩み始めたのだという。


「……お父さんは、私にどんなスキルを望む?」


つい、口から言葉がこぼれた。何年もまともに交わしていない、父への問いかけ。父は一瞬驚いたように私を見ると、ふいと顔をそむけて吐き捨てた。


「……何でもいい。お前の好きにしろ」


期待など、していなかった。それでも、胸の奥が小さく軋む。心のどこかで、まだあの頃の父を求めている自分がいる。黄金の光を放っていた、私の英雄を。


「――ユナ・フォン・アルストロメリア」


神官の厳かな声に名前を呼ばれ、私は祭壇へと進み出る。冷たい石の床に膝をつき、祈りを捧げるように頭を垂れた。神官が祝詞を唱え始めると、私の掌の中心が、じんわりと温かくなっていく。光が灯り、複雑で幾何学的な紋様が浮かび上がった。見たこともない、不思議な紋章。


その瞬間だった。


ズキン、と脳の芯を直接鷲掴みにされたような激痛が走った。

視界が真っ白になり、耳鳴りが世界を支配する。そして、洪水のように、奔流のように、膨大な「記憶」が私の中に流れ込んできた。


――満員電車。人の汗の匂い。揺れる吊り革。

――鳴りやまないオフィスの電話。パソコンのディスプレイに映る無数のエクセルシート。

――「まだ終わらないのか!」「言い訳はいい!」「責任取れ!」上司の罵声。

――積み重なる書類の山。栄養ドリンクの味。冷え切ったコンビニ弁当。

――そして、会社の床に突っ伏し、急速に遠のいていく意識……。


「あ……ぁ……」


そうだ。

私は、ユナである前に、別の誰かだった。

日本という国で、OLをしていた。会社のために身を粉にして働き、心身をすり減らし、そして……過労で、死んだのだ。


「私……死んで……生まれ、変わった……?」


混乱する思考の海の中で、無機質な声が、脳内に直接響き渡った。


《ユニークスキル【経営学マネジメント】を授けます》


「……けいえいがく?」


聞き慣れた、しかしこの世界ではあまりにも異質なその言葉を呟いた瞬間、洪水は収まり、激痛は嘘のように消え去った。

目を開けると、心配そうに私を覗き込む神官の顔があった。


「大丈夫かな、ユナ嬢。少し顔色が悪いようだが」

「……はい、大丈夫です」


ふらつく足で立ち上がり、父の元へ戻る。父は私の掌の紋章を一瞥したが、興味もなさそうに「終わったか」とだけ言った。

前世の記憶と、異世界の現実。二つの人格が混ざり合い、私の頭はまだぐちゃぐちゃだった。しかし、一つだけはっきりしていることがあった。


私は、ユナとして15年間生きてきた。そして、前世の「私」として、約30年の知識と経験を持っている。特に、「組織」というものについて、嫌というほど学んできた。


その「新しい目」で、私は自分の帰るべき場所――ギルド「黎明の鐘」を、そして父を、改めて見つめ直すことになる。


***


ギルドの扉を開けると、むわりと立ち込める安酒と埃の匂いが鼻をついた。昼間だというのに薄暗い酒場ホールでは、案の定、うちのギルドが抱える「問題児」たちが、クエストの失敗を巡って言い争いをしていた。


「だから言っただろ! あの罠は俺のせいじゃねえって!」

岩のような体躯を揺らして叫ぶのは、ドワーフの重戦士バルガス。単純明快で力自慢だが、頭を使うのが大の苦手。彼のせいで壊したギルドの備品は数知れない。


「僕の索敵を無視して突っ込むからだよ! あそこは危険だって言ったのに!」

カウンターの隅で震えながら反論するのは、獣人の盗賊カイト。身軽で耳は良いが、心臓はノミより小さい。危険を察知すると、仲間を置いて真っ先に逃げ出すのが彼の得意技だ。


「そもそも、あなたたちの火力が低すぎるのが問題なのよ。私が詠唱を完了するまで、敵の一匹も足止めできないなんて」

腕を組んで二人を見下すのは、人間の魔法使いセシル。魔法学校を首席で卒業した才媛だが、プライドが高く協調性はゼロ。彼女がパーティを組むと、必ず仲間割れが起きる。


責任のなすりつけ合い。非生産的な議論。明確なリーダーシップの欠如。

前世の記憶が蘇った私には、その光景が、かつて勤めていたブラック企業の不毛な会議と、気味の悪いほどそっくりに見えた。


そして、その元凶であるギルドマスター――私の父、アルドは、カウンターの隅で黙って杯を傾けているだけだった。彼らの諍いを止めるでもなく、裁定を下すでもなく、ただ現実から逃げるように。

その姿は、もはや英雄の面影など微塵もない。部下の失敗に知らんぷりを決め込み、過去の成功体験ばかりを語る、前世のダメな部長そのものだった。


前世の私は、そんな組織に絶望し、心身を壊して死んだ。

今世の私は、そんな組織で15年間、父への失望と共に生きてきた。

もう、たくさんだ。


腹の底から、何かがこみ上げてきた。それは怒りであり、悲しみであり、そして、このままではいけないという強烈な焦燥感だった。


「――もう、うんざり!!!!」


私の張り上げた声が、ギルド中に響き渡った。

バルガスも、カイトも、セシルも、そして父でさえも、驚いて私の方を見る。今まで、父の前では猫のように縮こまっていた娘が、突然吠えたのだ。無理もない。


私はまっすぐにカウンターへ進み、父の前に立った。

父の目が、戸惑いに揺れている。

「ユナ……? どうした、急に大声など……」


「お父さん」


私は父の言葉を遮り、彼の目を真っ直ぐに見据えた。前世の記憶と、15年分の想いを、全て言葉に乗せる。


「私を、このギルドのマネージャーにして」


しん、とギルドが静まり返った。

数秒の沈黙の後、最初にそれを破ったのは、父の乾いた笑い声だった。


「は……はは。マネージャー? 何を言っているんだ、お前は。成人の儀で頭でもおかしくなったか。ままごとは自分の部屋でやれ」


ああ、そうだ。この人は、いつもこうだ。人の話をまともに聞かず、頭ごなしに否定する。昔から、ずっと。

だが、今の私はもう、それに怯えるだけの娘ではない。


「ままごとじゃないわ。本気よ」

私は怯まなかった。ユニークスキル【経営学(マネジ-メント)】が、私の思考をクリアにし、言葉に力を与えてくれる。

「じゃあ聞くけど、お父さん。ギルドマスターとして答えて。このギルドの『顧客』って、誰?」


「……はあ?」

父は心底意味が分からないという顔をした。

「顧客? そんなもの、決まっているだろう。クエストの依頼主に決まっている」

「俺は金くれるやつだと思うぜ!」とバルガスが同意する。

「街の平和を守ってるんだから、住民のみなさん、とか?」とカイトがおずおずと答えた。

セシルは「くだらない」と鼻を鳴らした。


バラバラな答え。組織の目的が共有されていない、何よりの証拠だ。


私は深呼吸をして、彼ら全員を見渡した。そして、静かに、しかし誰にでも聞こえるように、はっきりと告げた。


「全員、不正解。だから、このギルドはダメなのよ」


ギルドの空気が、凍りついた。

落ちこぼれの冒険者たちも、酒に溺れた元英雄も、ただの娘だと思っていた私の、その毅然とした態度に言葉を失っている。


これが、私の宣戦布告だ。

この澱んだギルドに、父の失われた心に、そして、もう二度と組織に殺されたりしないと誓う、私自身への。


私は父をもう一度見据え、最後のカードを切った。


「いいわ。私にマネジメントを任せるかどうか、最初の『成果』で判断して」


私はカウンターの隅で震えている獣人の盗賊を、びしりと指差した。


「最初の課題は――このギルドで一番のお荷物で、最大の負債である、臆病者のカイトを戦力化することよ!」


「えええええええ!?」


カイトの甲高い悲鳴が、新しい物語の始まりを告げるファンファーレのように、薄暗いギルドに響き渡った。

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