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海洋散骨

作者: 伊野爽音

夫が死んだ。35歳の若さでトラックに轢かれてあっけなく逝ってしまった。夫は信仰心のない人だったから、骨は海に撒いてくれと常々言っていた。だからその通りにした。わずらわしい親戚もいないので事は簡単に運んだ。


5月9日の朝、私と夫を乗せた船は夫の故郷の海へと進み出た。5月の海はキラキラと輝き、死というものを感じさせなかった。この船には私たちの他に3組の家族が乗っている。みな、海に歓声をあげている。私だけが沈鬱な表情をしている。


しばらくすると船は止まり、順番にセレモニーを行うことになった。最初の家族は祖母を海に撒くらしい。大往生だったようだ。見送る家族も明るく「おばあちゃんまたね」などと声をかけている。


そうして他の2組も見守り、ついに私たちの番が来た。言われるがままに事前に砕いた夫の骨を海に撒く。夫は白いもやを水面にたゆたわせ、そして消えていった。それを見届け、用意された花を海に撒いた。それで終わりだった。


私の手元に夫は残らなかった。お墓もない。信仰心のない夫は天国などに興味はないだろう。きっと死んでも会えない。そう思って帰りの船でひとり泣いた。


それからは日常が戻ってきた。しかし最愛の夫を失った喪失感は拭えなかった。養う家族がいれば張り合いも生まれたのだろうが、あいにく子どもはいない。職場の人も私を腫れ物に触るように扱う。私のがらんどうは埋まらない。


しばらくして暑い夏がやってきた。ある日雨が降った。ぼんやりと傘をさし帰っていると夫の声が聞こえた。一度は気のせいかと思った。しかしもういちど聞こえた。私は辺りを見渡し、そして雨粒の中に夫を見つけた。


水滴の中にぼんやり浮かび上がる夫。私は傘を投げ捨て、ありったけの夫を手のひらに掬い、家へと走った。


洗面器に夫を入れる。たしかに夫の顔が浮かび上がっている。私はずっと夫を見つめ続けていた。しかしわずかな雨水は時間とともに空気に溶けて消えていった。


再び夫を失った。私は洗面器を抱えて泣いた。どれだけ泣いたかわからない。ボロボロになった顔を洗おうと立ち上がり蛇口をひねった。


勢いよく流れ出る水の中に夫はいた。私は慌ててバケツを取り、夫を集めた。バケツを覗くとかすかに微笑む夫がいた。


夫は海に還り、大気をめぐって再び私のところに帰ってきた。私はもう1人ではない。水があれば夫に会えるのだから。

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