第四話「篝火」
帝都中央、禁衛魔導の結界に守られた静謐な空間。
灰色と白を基調とした謁見の間ではなく、あえて選ばれた、かつて訓練場として使われていた一室。
その片隅で、ふたりの影が向かい合っていた。
「こうして話すことが出来るのは何年振りだろうな、アルメリア」
穏やかな声音だが、それがどれほどの威厳を持つ者のものか、明らかだった。
ガラクシア帝国七代目皇帝、ゼラ・カーディナルバレット。
ガラクシアの弾丸と称される男。
「この部屋をお選びになるとは、少々意外でした」
アルメリアは微笑みながらも、敬意を崩さずにいた。
かつて技を教えた師でありながら、今は忠義を尽くす団長の一人として彼女は佇む。
「ここでお前に叩き込まれたこと、懐かしいな。
足運び、視線の置き方、人の壊し方、それと──初めて怒られた日の事もな」
「ふふ…まだお気に召していないのですね」
「…少しだけ、な」
ゼラは冗談めかして笑った。だがその笑みもすぐに消えた。
「…それと、最近になってようやく分かった。…あの頃の俺は無知だったんだな」
ゼラは軽く肩をすくめる。
その仕草はどこか少年時代の名残を感じさせた。
「“強くなる”という言葉が、あの頃の俺にはただの憧れだった。
だが、いくつもの戦場を超えて思う。……本当に強い者とは、どこまで戦いを引き受ける覚悟がある者かだと」
アルメリアはそっと視線を逸らす。
その瞳の奥に、かつて彼が流した血と涙を知る者だけが持つ、静かな痛みがあった。
「陛下は、今でも人を殺すとき、躊躇なさるのですか?」
眼差しが鋭くなる。
「躊躇して、ガラクシアが死ぬのなら──俺は迷わん。
だが、忘れてはいない。命の重さも、後悔も…アルメリア、お前に教わったからな」
「私は教えたつもりなどありませんよ。陛下自ら知ったのです。血と時間の痛みの中で」
しばらくの深い沈黙が流れた。
「──本題に入ろうか」
アルメリアが背筋を伸ばす。
空気が一変する。
「…ガラクシアは先代よりも強くなった。俺も皇帝としての責務を果たしてきたつもりだ。だが今、我々は問われている。紡いできた力の真意を」
「…ネイアスの件ですね」
「ああそうだ。あれは理を超えている。進化し、適応し、こちらの一手を確実に潰してこようとしているのだ。──だが」
ゼラの目が細くなる。
「それでも我が敵である以上、必ず根絶やしにする。帝国を穢す存在を、この手で地に伏せさせる。それが皇帝の責務だ」
その言葉に恐れは無かった。ただ、静かな決意だけが。
「陛下のご覚悟、しかと賜りました。
ですが、あれは従来の兵力だけでは対応しきれない場面も出てくる事でしょう」
「構わん。道がなければ創る。ガラクシアはそう紡がれてきた。
我が剣も、我が鎧も、我が命も、そのためにある」
それがこの国を背負う者の覚悟だった。
「──実の所、私も気がかりがございます」
「…ほう」
「イドラ隊の報告記録と戦闘記録を見返すたび……何か、”理屈では測れない危機”のようなものが、胸に引っ掛かります。
兵法では説明出来ない、戦術でも覆せない感覚的な違和感が」
ゼラはしばらく黙り込み、やがて言う。
「……だからこそ、俺たちは人間であることを誇りに思うべきだ。思考も、感情も、その感覚も。全てが武器になる。
それが我ら人間だ」
アルメリアは静かに、深く頭を下げる。
「創られた道が”誇り”へと続くよう──私も尽力いたします」
「ああ、頼りにしている」
ゼラの声はかつての少年ではなく、それは帝国を統べる”皇帝”の声だった。
◇
ガラクシアの中枢で決意が交わされていたその頃。
第五星団前線基地の食堂では、いつも通りの騒がしい声が響いていた。
「だから違うってば!今日は私の記録の方が上だった!」
「…はぁ?お前、節穴か?どう見たって俺の方が撃破数多かったろ」
「ぷぷぷ、撃破数って言っても雑魚個体ばっか狙ってたじゃん。
私はしっかり指揮官級個体を三体も倒したんだから」
「…雑魚個体じゃねぇよ!いいぜ、そこまで言うんだったら表出ろ!」
アリエスとバランの口喧嘩は、既にイドラ隊の風物詩だった。
向かい合って身を乗り出す二人に、周囲は半ば呆れている。
「はいはい、はいはい。
仲良しなのは良いけど、そう言うのは自分達の部屋でやりなよ」
バンがティーカップに口をつけながら言った。
「仲良くない!」
「良くねぇよ!」
全く同時に返す二人に、隣に座っているセーナが呟く。
「…してるでしょ、どう見ても」
そう言われた二人はしばらくの間、石のように固まった。
「…セーナってそういう所鋭いよね」
「……ふつうに、見てれば分かる」
その言い方があまりにも淡々としていて、反論の余地すら無かった。
「セーナ、今日の強化魔法ってもしかして新技?」
バンが声をかける。
セーナはスプーンを止めて簡潔に答える。
「うん、そう。よく分かったね」
「やっぱり。二人の動きが良くなってた」
「……気付かれたくなかったけど」
「僕の目は誤魔化せないよ」
セーナは再びスプーンでスープを掬う。
それだけの会話だったが、十分だった。
淡白なやり取りに、隊としての信頼が滲んでいる。
その時、食堂の扉が静かに開く。
「隊長」
誰よりも早く気配を察したセーナが呟く。
現れたのは最も欠かせない存在──イドラ・グラシエル少尉。
「休憩は終わりだ。十五分後、第五訓練地区に集合。
模擬戦の新パターンを試す。ネイアスを模した魔導兵が相手だ」
「げ…またあのゴーレムかよ」
「ああ、バランがぶっ飛ばされてたやつ」
「うるせぇ、それは敢えてだよ」
「はいはい」
二人の言い合いに、イドラの表情は微動だにしない。
だが声の圧が一段階上がった。
「模擬戦とはいえ気を抜くなよ。ここで崩れるようなら本物に殺される」
一瞬で空気が変わった。
全員の表情が引き締まる。
冗談の裏にある現実の”恐怖”を忘れてはいなかった。
「そういえば隊長」
「なんだ?」
「皆、新技開発しましたよ」
「そうか、課題一クリアだな。
模擬戦で使えるか?」
「ええ、もちろんです」
◇
訓練場。
強化結界に囲まれた広い空間に、銀の外骨格をまとった四足の模擬魔導兵が立ちはだかる。
ネイアスの行動パターンをもとに、再現された実戦形式の試作兵。
「演習開始」
イドラの声と同時に、全員が動き出す。
バンが展開した魔法障壁が、アリエスとバランを囲うように流れる。バランが先陣を切り、力を込めて地を蹴る。
セーナの魔力が全員の脚力と反応速度を一段階引き上げる。
アリエスは一呼吸ののち、正面から火球を放った。
模擬兵の動きは鋭く、魔法を弾き、軌道を変える。
ほんの少しの遅れが命取りになるような緊張感。
イドラは黙ってそれを見守っていた。
(……全体の動きが改善されている。反応速度、強化魔法の切り替え、連携。確実に進化している)
今はただ、命を削ってでも準備を重ねるしかなかった。
──静けさの中で、戦いの音が鳴り始める。
遠くない未来、その“音”が本物になる時が来る。
それでも彼女たちは、立ち向かうしかない。