恋愛実験、はじめました! 恋愛初心者の俺たちが、実験から本物の恋を見つけるまで
「ねぇやまちゃん」
「ん? なに」
「恋って──なに?」
「コイ? 真鯉緋鯉錦鯉」
不意に真剣な声音で親友の灯里から話しかけられたので、動揺を隠そうとつまらないボケをかましてみる。
「そっちのコイじゃなくて。人を好きになる恋の方だよ」
「灯里さんよ、それ、俺に聞く?」
「だってやまちゃんのほかに仲いい男の子なんていないんだし、しかたなくない?」
「それにしたって適材適所ってもんがあるだろう」
恋人いない歴イコール年齢で、初恋は小学2年のとき隣の席にいたゆかりちゃんでした。それ以来恋らしい恋は一つもしていないので、灯里の力にはなれそうもないのだが。
友咲灯里と俺、山岸朋晃は高校1年のときに知り合った。入学式直後、たまたま席が近く、彼女の持っていたポーチがニチアサの女子向けアニメのキャラ物だったのがきっかけで話が弾んだのだ。
「高校生男子が女児向け魔女っ子アニメ見るんだ。いわゆる大きいお友達ってやつ?」
「ちっ、違うよ。まだ幼い妹に無理やり見せられているだけだよ。日曜日は親も起きてくるの遅いから、俺が妹の相手をしているだけだぞ」
「ほーん。そうかそうか、話半分で信じてあげよう」
「いや全部信じろや」
それが初めての会話ではないくらいに息がぴったりで話が盛り上がった。そうやってお互いに高校生活で初めての友達になったのだ。あれからもう2年も経ったのかと思うと感慨深いな。
この灯里なのだが、女子の中では一番とは言わないがだいぶ上位の可愛さを誇っている。聞いた話では結構男子からの人気も高いらしいという。
ただ人気はあっても恋愛絡みの話には疎いのか、浮いた話は一度も聞いたことはない。どちらかというと色恋沙汰には冷めている方だと周囲には思われるみたいなフシもある。
他の女の子たちがよく話しているような恋バナやかっこいい芸能人などの話にもあまり興味がないみたいな雰囲気だし、事実女子の友達ともそういう話をしている場面を見たことがない。
そんな灯里が恋の話を俺に振ってくる日が来ようとは、夢にも思ってみなかった。
「何かあったのか?」
「……誰にも言わない?」
「俺が灯里の嫌がるようなことしたことあるか?」
「あるけど?」
「え、ああ。そうか。それは申し訳ない。それで、どうしたんだ?」
「まあいいや。じゃあ話すけど──」
昨日の放課後に校舎の屋上に呼び出されたらしい。呼び出したのは3組の楠木何某とかいう男。よく知らないやつだが、俺よりもちょっとだけ顔の造作が整っているようなやつだった気がしなくもない。
「──で、告られたわけだ」
「うん」
「それで、OKしたのか?」
「してない。そもそも彼がどこの誰だかも知らないし、付き合うっていうのもよくわからないんだもん」
そもそも恋愛に興味が薄い上に、誰だかわからない男子に告白されても「うん」と首を縦に振ることは難しいだろう。
「でもね、付き合うとか恋とかって何なんだろうってことを昨晩考えてみるきっかけにはなったんだ。結局わかんなかったけど」
「それでさっきの質問なのか」
「そう。それで、やまちゃんはどう思う? なんでもいいから言ってもらいたいな」
「んー、そう言われてもなぁ」
漫画やラノベに出てくる恋愛は都合よく描かれているだろうから参考にはならないと思っている。つまりは自分自身の経験でしか語れないってことなのだろうが、俺にはそれがまったくないため語りようがないんだよね。
「ねぇ、どうせふたりとも恋とか付き合うとかわからないんだし、いっそ二人で試しに付き合ってみるのもいいんじゃない?」
と灯里が突然に提案してきた。
「え?」
「だってさ、お互い経験ないんでしょ? だったら実験的にやってみれば、なんかわかるかもしれないじゃん」
「いや、でもそれは……」
戸惑う俺をよそに、灯里は話を進めていく。
「別に本気で付き合うわけじゃないし。お試しってことで」
結局、不承不承ながら俺は灯里の提案を受け入れることにした。
「じゃあ、今日から実験的に付き合うってことでいいの?」
「うん。よろしくね、やまちゃん」
照れくさそうに微笑む灯里の表情に、思わず目が釘付けになってしまう。昨日までと同じ顔なのに、なんだか違って見える。
放課後、いつものように一緒に帰り道を歩いていると、妙な緊張感が漂っていた。普段なら他愛もない会話で盛り上がるのに、今日は二人とも黙りがちだ。
「なんか、変な感じだね」
「そうだな。でも何が違うのかよくわからないや」
「うーん……」
灯里は考え込むように空を見上げる。その仕草も、今までと同じはずなのに、どこか新鮮に映る。
「恋人って、こういう感じなのかな?」
「さあ。ただの友達の時と、具体的に何が違うのかわからないよな」
「でも、なんとなくドキドキする」
「それ、実験だって意識してるからじゃない?」
「そうかも。でも、やまちゃんのこと意識しちゃうのは確かだよ」
そう言われて、俺も自分の気持ちを整理してみる。確かに灯里のことを普段以上に意識している。ちょっとした仕草や表情の変化も、いつもより強く心に響いてくる。
これが恋というものなのだろうか。それとも、ただの気の持ちようの問題なのか。答えはまだ見えない。
あれから一週間が経った。
最初は気恥ずかしさばかりが先立っていたが、今では少しずつ「恋人」という関係に慣れてきた気がする。それでも、完全に自然体というわけにはいかない。
「おはよう、やまちゃん」
朝、教室で顔を合わせる時の灯里の笑顔に、以前より強く心が揺さぶられる。周りのクラスメイトも、俺たちの関係の変化に気づいているようだ。特に女子たちの視線が気になる。
昨日の帰り道、思い切って灯里の手を握ってみた。友達の時にも手を繋いだことはあったはずなのに、今回は全然違った。手のひらから伝わる温もりに、心臓が早鐘を打ち、頭がクラクラするような幸福感に包まれた。
『灯里、俺のこと、どう思ってる?』
そんな質問が頭をよぎるようになった。実験のはずなのに、いつの間にか本気で考えている自分がいる。
これが恋というものなのだろうか。それとも単なる錯覚なのか。答えはまだ見つからない。ただ、確実に言えるのは、一週間前とは何かが変わってしまったということだ。
一ヶ月が経過した。
実験は今も続いているが、二人の関係は確実に変化している。手を繋ぐことにも自然と慣れ、むしろ繋がないと物足りなく感じるようになった。
休日には映画を見に行ったり、カフェでお茶をしたり。友達同士の時にも似たようなことはしていたはずなのに、今はまるで違う。一緒にいるだけで胸が高鳴り、時間があっという間に過ぎていく。
「今日も楽しかったね」と灯里が言うたびに、その笑顔に魅せられてしまう。
気がつけば、授業中も休み時間も、頭の中は灯里のことでいっぱいだ。彼女の髪の揺れる様子、教科書を開くときの指先の動き、少し困ったように眉を寄せる表情。どんな些細な仕草も、心に深く刻み込まれていく。
もう自分でも否定できない。これは実験なんかじゃない。
俺は、灯里のことが好きなんだ。友達としてじゃなく、一人の女の子として、心の底から惹かれている。
最近は灯里との距離がどんどん近くなっている。手を繋ぐだけでなく、腕を組んできたり、時には抱きしめてきたりと、自然と密着する機会が増えてきた。
そんな中で、俺の中に新たな感情が芽生え始めていた。
キスしたい。
その思いは日に日に強くなっていく。下校途中、灯里の横顔を見つめているとつい唇に目が行ってしまう。でも、すぐに自分を戒める。これは実験だ。そんなことをしたら、取り返しがつかなくなってしまう。
「やまちゃん、どうかした?」
「え? ああ、なんでもない」
灯里の問いかけに慌てて視線を逸らす。彼女の方を見られない。この気持ちがバレてしまいそうで怖い。
でも、もしかしたら灯里も……。
時々見せる甘えるような仕草や、頬を染める表情。あれは演技なのだろうか。それとも本当に俺のことを好きになってくれているのだろうか。
そう考えると、胸が締め付けられるような切なさを覚える。実験のはずが、いつの間にか本気になってしまった俺。灯里の気持ちを知りたいのに、確かめる勇気が出ない。
このまま実験を続けていていいのだろうか。答えが見つからないまま、想いは募るばかりだ。
二ヶ月が経過した。
俺の中で、もう限界が近づいていた。
『実験はもう終わりにしたい』
その言葉を何度も心の中で繰り返す。でも、実際に口に出すことはできない。今の関係が壊れてしまうのが怖いんだ。
下校途中、いつものように手を繋いで歩く。この温もりが、この距離感が、全て「実験」という名目で成り立っている。けれど、俺の気持ちは既に実験の域を超えていた。
本当の恋人同士になりたい。そう思う気持ちは日に日に強くなっている。でも、その一歩が踏み出せない。
もし灯里が「実験だから」と割り切っていたら? もし、この関係を本気にされることを望んでいなかったら?
そんな不安が、言葉を飲み込ませる。結局、今日も何も言えないまま、別れ際の「また明日」を交わすことしかできなかった。
三ヶ月が経過した。
もう限界だ。
灯里のことを考えると、胸が締め付けられるような痛みを感じる。授業中も集中できず、夜も眠れない。この「実験」という建前が、俺の心を少しずつ蝕んでいく。
最近では、灯里の笑顔を見るのも辛い。この関係は偽物なんだと、その事実が突き刺さってくる。友達以上、恋人未満。その曖昧な距離感に、もう耐えられない。
高校生の恋愛は三ヶ月で破綻することが多いと聞く。確かに今の俺たちも、このままでは破綻するだろう。いや、むしろそれを望んでいる自分さえいる。
「もういっそのこと、フッてくれないかな」
そんな思いが頭をよぎる。でも、それは本心じゃない。本当は、もっと違う結末を望んでいる。
灯里のことが好きだ。好きで、好きで、たまらない。
この想いを、もう隠し続けることはできない。実験なんて言葉で誤魔化すことも、できない。
だから、明日。
放課後、灯里に全てを話そう。この三ヶ月で芽生えた本物の想いを、正直に伝えよう。
たとえ実験として始まったとしても、俺の気持ちは本物だということを。
放課後。俺はかつてないほど緊張していた。灯里は俺のことをどう思っているのだろうか。やはりただの友達としか思っていないかもしれない。好きだなんて言われたら迷惑かもしれない。
余計なことばかりが頭から離れない。
でももう決めたことだ。
屋上で待ち合わせをした。
放課後の校舎は静かで、風だけが吹き抜けていく。手すりに寄りかかりながら、俺は空を見上げた。
「どんな顔をして来るんだろう」
何も知らない灯里は、いつもと同じ笑顔で来るのだろうか。それとも、何か察して緊張した面持ちで来るのだろうか。
「もしかして、気づいているのかな…」
この三ヶ月の間に、俺の気持ちは少しずつ灯里に伝わっていたかもしれない。そう思うと、余計に胸が締め付けられる。
『ごめんね、待った?』
そんな風に、いつもの調子で声をかけてくるのだろうか。想像するだけで、心臓の鼓動が早くなる。
決めた。灯里が来たら、すぐに告白しよう。他の話をしていたら、この決意が揺らいでしまいそうだ。
風に吹かれながら、俺は扉の方を見つめ続けた。
「おまたせ。どうしたの? わざわざこんなところに呼び出して」
灯里は俺の眼の前に立ってそんなことをいう。でも少しだけその目に緊張の色が見えるのは気の所為だろうか。
俺はそのまま灯里の顔を見つめる。
「だ、大事な話がある」
「……うん」
俺は灯里の手を取る。
「灯里、俺は灯里のことが好きだ」
「え?」
灯里は驚きの声を上げる。
「実験とかそういうんじゃなくて、本心から灯里のことが好きなんだ」
俺は灯里の手を握りしめる。
「あ、灯里は俺のことどう思っている?」
「……うん。好きだよ、わたしも」
灯里の言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。
「本当に?」
「うん。実験とか関係なく、わたしもやまちゃんのことが好き」
灯里は頬を赤く染めながら、俺の手をぎゅっと握り返してくる。
「いつ頃から?」
「えっと……たぶん、最初からだと思う。『実験』を始めるずっと前から。自分じゃ気づいていなかったけど。普段のやまちゃんの優しさが、すごく嬉しかったから」
灯里の瞳が潤んでいる。俺も同じように、感情が溢れそうだった。
「俺も……灯里の笑顔を見るたびに、もっと近くにいたいって思ってた」
風が二人の間を通り抜けていく。夕暮れの光が、灯里の髪を優しく照らしていた。
俺は灯里の頬に手を添え、ゆっくりと顔を近づけていく。灯里も目を閉じて、俺の方に身を寄せてきた。
そして──柔らかな唇が重なる。
甘くて、優しいキスだった。
まるで時が止まったかのような、永遠とも思える一瞬。
それは、俺たちの新しい恋の始まりだった。
ありがとうございました。