009.襲い来る朱き怪鳥
◇◇◇
注文した品が届き、俺とアイリスの前に置かれた。この世界特有のナントカっていう動物のステーキだ。アイリスがそれにすると言うので、俺も同じものにした。目測四百グラムくらいありそうで、見た目はサーロインステーキに似ている。ちなみに、待っている間に水をがぶ飲みしたのは言うまでもない。
「まあ、美味しそうですね!」
アイリスは可憐な笑顔で掌を合わせ、今にも涎を垂らすのではないかと思うほど興奮している。青い瞳がキラッキラ。いや待て待て、この子、四百グラムのステーキを食べるというのか? 意外とワイルドなんだな。言われてみれば、びっくりするくらい小柄な女性大食いファイターも居る。アイリスはもしかしたらその類かもしれない。
「いただきます」
つい習慣で言った俺を、アイリスが不思議そうな目で見る。「なんですか、それ」と言いたげだ。そっか、これも日本特有だったな。
「うん、美味い」
味もサーロインステーキとほぼ同じだ。強いて言うなら、ナントカって動物のものらしき匂いがあるくらいだろうか。だがそれもマイナスに働くわけじゃない。牛とか羊とかのあの独特な匂いと同じで、一種の「味」となっている。だけど、う〜ん。
「……米が恋しいなぁ」
思わず呟いた。この店では、パンという選択肢しかない。
「ヨシキ様は、お米がお好きなのですか?」
言質取ったり。この世界にも米はある!
「うん、パンよりかは断然」
「そうなのですね。残念ですが、我がグロースでは、お米は滅多に見られません」
「我が?」
「あっその……故郷、という意味で」
アイリスは時折、何かを隠しているかのような言動をする。今もそうだ。
「ところで、アイリスは今日どうする予定だったんだ?」
彼女は今朝方、勘当を言い渡されたと話していた。
「隣町に行こうと思っていました。すぐそこで魔物に遭遇して、頓挫してしまったわけですが……」
「そうだったんだ。隣町に、何か伝手でもあるのか?」
泊めてくれる友達とか、親戚とか、そういう類だ。
「いえ、隣町は通過点に過ぎません。私は、旅をしたいと思っているのです」
「旅?」
「ええ。グロース王国の外に、四大都市と総称される国々がありますでしょう? その四箇所を巡り、自分の知見を広げたいのです。それで、スキルなど無くともお父様やお母様、お姉様方に認めて頂ければ……と、思いまして」
「アイリス……凄いな、君は」
立派な子だ。家族に捨てられてもなお、自分は家族を捨てずに認めてもらおうとしている。そしてなにより、旅に出るという行動を起こしているのだから。
「そ、そんな……! ヨシキ様に比べれば私など。そ、それに、旅は幼い頃からの夢でした。勘当がちょうどいい機会だと思ったまでです」
どんな精神力? 将来は大物になりそうな予感がする。などと関心している間に、アイリスは大きく切った肉を頬張った。モグモグモグモグと細かい動きで噛んでいる。ふと、昔ゴールデンハムスターを飼っていた記憶が蘇ってきた。
「ヨシキ様は? ご予定は決まっていらっしゃるのですか?」
「ああ、いや、俺は……」
どうしたもんか。逆算して考えてみよう。最終目標は女神モイラさんの羽衣の下を触ることだとして、その為には魔王を討伐しなければならない。その為には……どうすりゃいいんだ。少し考え、俺に必要なのは情報だと気付く。何も知らないんじゃ、計画なんて何も立てられない。
「なあアイリス。知っての通り、俺はあの……極度の世間知らずなんだ」
「ええ」
そこはお世辞でもいいから否定して欲しかった。
「どこか情報収集──もとい、勉強できる場所は無いか?」
「お勉強ですか、そうですね……」
俺の問いを聞き、顎に手を当てて考え始めたアイリス。数秒そうしていた。やがて「ああ」と言いながら左掌に右拳をポン。何か思いついたようだ。
「それでしたら──」
彼女が何か教えてくれようとしたその時、不意に怒号が聞こえた。誰か暴れているのかと店内を見渡していると、店の中ではなく外から叫び声がしていることに気付いた。
「敵襲、敵襲!」
おまけに、カンカンと鐘の音まで聞こえてきた。飯屋のお客はパニック状態。店員が必死に落ち着かせようとしているが、「敵襲」と聞いただけでもう収集不可能な状態となっている。
「アイリス、これはいったい?」
「魔物です、ヨシキ様。魔物が街を襲ってきているのです」
「何だって……?」
魔物だか端物だか知らないが、人のお食事タイムを邪魔しやがってこの野郎! そう憤っていると、十月末の渋谷よろしくドえらい騒ぎの店に騎士が入って来て言う。
「何方も落ち着いてください! 今度の襲撃はさほど大きなものではありません。すぐに鎮圧が可能です」
口ぶりからして、襲撃は珍しい事じゃないみたいだ。良かった、アイリスに従って町まで来ておいて大正解。
「落ち着いて、冷静に! 我々の避難誘導に従ってください!」
店内の状況は少しまともになった。少し、な。大人しく騎士の話を聞こうとする人が六割、まだドギマギしている人が四割といったところだろうか。
「これより、皆様は我々の先導で安全な所にひ──」
避難する。騎士がそう言いかけた刹那、工場で働いていた俺でさえも耳を塞ぎたくなるような、バカでかい音が轟いた。或いは、聞き慣れない音だからそう感じたのかもしれない。とにかく、騎士が立っていたその真上の壁と天井が崩れ落ちたのである。
「な、なんだ、この魔物──」
逆に静まり返った店内で、騎士が呟いた。大穴から覗いていたのは、鳥である。朱くて有り得ないほど巨大な鳥だ。オオタカなんて比にならない。某狩猟ゲームのワイバーンの如くデカい。その割には全体的に丸みがあって、神秘的な雰囲気さえある。だがその行為は、神秘とは真逆であった。
「や、やめろ、やめ、ぐあああああっ!」
鳥は、鋭い爪のあるその脚で以て騎士を掴み……無惨にも鎧ごと握り潰したのである。血飛沫が舞い、肉塊となった彼が再び床と邂逅する。床が赤く濡れた。店内は再び大パニックに陥る。落ち着いていた六割が、そうでなかった四割に加わって大騒ぎ。我先にと店から走り去ろうとしている。というか、走り去っている。既に十人以上が勝手に店を飛び出し、町へ。
「ああ、ああ、そんな、アレは……!」
アイリスは両手で口元を覆い、そう呟きながら震えている。そりゃあそうだ。こんな光景、怖すぎる。小鬼如きでああだこうだ言っていた自分がアホらしくなってきた。鳥は未だそこに居て、物色するように人間を見ている。次の獲物を探しているように見える。
「アイリス、俺らも逃げよう。ここに居ちゃ、皆仲良く肉塊だ」
「そんな、そんな……どうして…………」
俺が声をかけても、彼女はまだ鳥を見ながら震えている。
「アイリス!」
「……っ! は、はい!」
彼女の意識が鳥から離れたのを確認し、俺はペンを出した。
「──描画!」
キャップを外し、太く「T」を描いた。その長い方を手に取り、大きめのハンマーとして使う。即ち、壁をぶっ壊して外に出るのだ。こんな状況で、わざわざ長蛇の列に並ぶことは無い。
「行くぞ!」
十分な穴が空いた。ろくにアイリスの返事も聞かず、彼女の腕を引いて外へ出る。その間にも、数人が鳥によって肉塊へ変えられていた。