005.美文字講座の成果あり!
◇◇◇
全身に痛みを感じながら、女神モイラさんに何と謝ろうか考えていた。呆れられるかな。地獄行きにされるかな。女の子を助けようとしたんだし、小さな願いくらいだったら叶えてくれるかな。女性の叫び声が聞こえたのは、そんな時の事だった。女神モイラさんの叱責……ではないな。もう少し幼く、女神様にしては神聖さを欠いた声だ。
「やめなさい、やめなさい!」
さっき聞いた悲鳴に近い。それ即ち、あの少女の声である。
「その方から離れなさい、蹴るのをやめなさい」
目を開けると、女の子が小鬼の頭を両手でポカポカ叩いているのが見えた。無論、小鬼はノーダメージである。
「君、やめるん……だ。逃げろ、俺が……囮になっている、うちに……!」
声を絞り彼女に伝えた。
「逃げません! 恩人様を置いて逃げるなど! 見捨てることなど、私には……!」
だが少女はやめない。どいつもこいつも。死に際の人間の言うことくらい素直に聞けってんだ。
「いいから、逃げろ……。君には、帰る……場所が、あるだろ? お父さんや、お母さんの、所へ──」
「ありません」
少女はキッパリと言った。はは、そんなまさか。俺じゃあるまいし。
「私はとうに、勘当された身。今更帰る場所など、ありません!」
この子は、家族と絶縁状態。それを知った途端、俺は少女に対して強烈な想いを抱いた。親近感だろうか、何だろうか。分からないが、とにかく俺は彼女を悲しませたくない。俺がボコボコにされて君が泣くと言うのなら、俺は、俺は……立ち上がって、小鬼共を倒すのみ!!!
「よっこらせ……っと」
蹴られながら、おっさんみたいに立ち上がる。まだ二十一なんだけどな……。
「恩人様……!」
少女が歓喜の声を上げる。いや、喚起かもしれない。なぜと言って、俺は現に彼女の声により呼び覚まされたからだ。
「離れてな、お嬢さん」
彼女が数歩下がったのを確認。まだ蹴りは続いている。痛いと言えば痛い。それでも俺は、ペンのキャップをはずした。俺は一度、下半身をドラム缶と柱に潰された人間だぞ。小鬼の蹴り如きが何だと言うんだ。
「……描画!」
よく考えてみたら分かった。さっきの棒がクソザコナメクジだった理由が。この能力で描いた物の性能は、描画力に比例する。俺の美術の最高成績は二だ。つまり絵が壊滅的に下手なのである。絵を描いたのに「絵を描きなさい」と怒られたのを、今でも覚えている。ならば、絵が書けないのならば、「文字」で殴るまで。
「覚悟しろよ、小鬼共」
かつて、油性ペン製造工場の作業員だった俺。作業はキツいし、溶剤は臭いし、上司はクソだし……。そんなんだから、勿論転職を考えた。そのために資格の勉強をしようと、資格取得講座「ウィーキャン」の資料を貰うところまでいったのだが、小難しい文字の羅列にビビってしまった。それでも、なにか行動しなければ。そう思い、迷いに迷った挙句、俺が受講したのは美文字講座である。それが何の役に立つんだと言われたら、サッパリ分からない。分からなかった。
だがまさかこんな所で、異世界で、こうも役立とうとは……!!
「いでよ、『卍』!!!」
なんとなく武器っぽい文字、卍。美文字講座で培われた、平均を大きく超えるクオリティの卍が今具現化した。交差部分を手に取り、未だ俺を蹴り続ける小鬼の頭頂を殴りつけてやる。
「グギャア?!」
すると驚くことに、小鬼は紫とも緑とも言える奇妙な液体を散らしながら倒れ、そのまま動かなくなった。卍マジ最強卍。その様子を見て慄いた二匹は、蹴るのをやめて一歩また一歩と下がっていく。今にも背中を向けて走り出しそうだ。
「逃がすか!」
十数歩の距離を詰めることはせず、卍をブーメランみたいにして投げてやる。ものの見事にカーブを描いて飛んだ卍は、二匹の小鬼の頸に致命傷を追わせて戻ってきた。キャッチするのが怖すぎたが、役目を終えた卍は俺の手元に戻る前に霧散した。やったぞ。まさか、俺がゴブリン退治を成し遂げるなんて……!
「あ、あの!」
そこへ、離れていた少女が駆け寄ってきた。可憐な長いスカートを風になびかせて、時折躓きながら。
「恩人様、本当に、本当にありがとうございます! この恩は決して──恩人様?」
世界が回る。ダメだ、もう立っていられない。
「はは、君が無事で……何より、だ……」
景色が暗転する前、俺が最後に聞いたのは「ドサッ」という重い音と少女の叫び声であった──。






