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004.喝を入れる悲痛な叫び

◇◇◇



 暑さと乾きと切なさと、とにかく絶望を抱きながら更に歩いた。もう干からびそうだ。目の前の景色が歪んでいてクラクラする。千鳥足になり始めた。十四連勤した時の最後の方みたいだなと思っていると、そんな俺に喝を入れるかのような声──()()が聞こえた。人の叫ぶ声はもう懲り懲りなんだが……。


「きゃああ、やめて、やめて!」


 女性、もっと言えば女の子。何者かに襲われているのだろうか、悲痛な叫びである。


「助けて、何方(どなた)か助けてください!」


 助けて欲しいのは俺の方なんだがなと毒を吐きながら周囲を見渡す。声が聞こえたのは、俺から見て右にある大きな木の方からだ。行ってみよう。


「ったく、誰だよ女の子を怖がらせてんの、は……」


思わず息を飲んだ。現場を見てしまったからだ。


「そっか……。忘れてたけどここ、地球とは全く違う異世界なんだよな……」


 木の下に可憐なドレスを着た金髪の女の子が居て、その周囲に輩がいる。輩と言っても、ヤンキーではない。()()だ。ゴブリンとでも言うのだろうか。小学校低学年くらいの身長で、全身の肌が緑、耳が大きく目は血走り、牙のある口からは涎を垂らしている。身につけているのは腰蓑(こしみの)オンリーという変態仕様だ。


 それが三匹も居て、頭を抱えてしゃがみこむ少女を細い木の棒でバシバシ叩いている。大したダメージにはならなそうだが、痛いものは痛い。それに、長いこと続ければ皮膚が切れてしまうかもしれない。


「おい、やめろ!」


小鬼共に向かって叫んだ。だが反応は無い。


「クソ、無視かよ」


 女の子だけが青い瞳でチラッと俺を見た。涙目だった。小さな声で「どうかお助けを」と聞こえた気がする。ハチャメチャに可愛い子だ。鼻の下を伸ばしてないで、何とかして助けてやらないと……。奴らは相変わらず寄って集って女の子を叩き続けていている。ネット民かよ。こうなったら──スキル発動!


「描画!!」


 油性ペンのキャップを外し、目の前の空間にキュッキュッと音を鳴らしながら描いていく。ものの数秒で描き上がったのは、棍棒──のつもりだ。木製バットと言われれば、確かにそうも見えるが。とにかく、枠を書いて中を塗りつぶした棒である。溶剤の臭いを懐かしく思いながら手に取り、小鬼共に向かっていく。奴らはまだ女の子を叩いている。


「オラァ! 上司め、上司め、オラァ!」


 嫌いな上司の顔を小鬼に重ね、とりあえず一匹を数回殴りつけてやった。


しかし──


「き、効いてない……?」


 小鬼は「グガ?」とか言いながらゆっくり振り向く。やっと俺に気付いたのか、誰だお前と言いたげに首を傾げる。他の二匹も俺を見ていた。


「ギャア、ギャア!」


 次の瞬間、小鬼たちのヘイトは俺へ。待ってくれ、俺はタンクが出来るほど防御力も体力も優れてないぞ。ベシベシ、ベシベシと木の棒が当たる。思ったより痛い。あの子はいつからこんな攻撃に耐えていたのだろう。そう思うと腹が立ってきて、怒りのままに叫んだ。


「おぉぉぉぉぉぉぉい! いい加減にしろ!」


 声を裏返しながら放った感情だけの声は、小鬼を威嚇するには十分だったらしい。奴らの攻撃が止まった。よし、今だ!


「まずはお前だバカヤロウこの野郎!」


 わざと嗄れた声を作って言った。再び上司の顔を思い浮かべ、描画した棒を叩きつける。だが小鬼は「ケケケ」と笑っている。ダメージになっていないようだ。そんな馬鹿な話があるか? 特別鍛えているわけじゃないが、五年以上の工場勤務で培った腕力がそれなりにあるつもりだ。


「こんちくしょう!!!」


 思い切り、全身全霊の力を込めて叩いた。バキッと音がする。小鬼の頭が砕ける音なら良かったのだが、残念ながら砕けたのは棒である。


「う、うそだろ……?!」


 最悪だ。このスキルで描いたもの、小鬼にさえ通用しない。こんなんでどうやって魔王を倒せって言うんだよ。


「ケケケ、ケーッケッケッケ」

「あ?」


小鬼に高笑いされた。


「お前……」


砕けた棒を捨て、代わりに拳を強く握る。


そして──


「お前、なに笑とんねん!!!!」


 全力パンチで小鬼の顔面をぶっ叩いてやった。ヘラヘラ笑いながら残業を命じてきた時の部長を思い出しながら。なんだお前、自分は定時上がりて美人の事務員さんと遊びに行くクセに! 奥さんと娘も居るクセに!! ……私情が入ったが、今の拳は少女を救うためのものだ。そういう事にしておいてくれ。


「グギャ?!」


 棒で殴っても微動だにしなかった小鬼だが、今度は少し反応があった。だがそれも、少し怯んだだけに過ぎない。決定打には欠けている。それに怒りの感情は瞬間的なものであるため、さっきのパンチほどの威力を出すにはまた別の何かで怒らないといけない。


「ギギギギ!」


殴ってやった小鬼が歯軋りを始めた。しかも涎が飛び散っている。汚ぇな!


「なんだお前、やんのかこの──」

「後ろです!」


 女の子の警告が聞こえたその瞬間、背中に衝撃が走った。痛いとかよりも驚きがデカい。そうだ、俺の相手は小鬼三匹だった。冷静さを欠いて目の前の一匹に執着していたが、こいつらはわざわざサシで戦ってくれるような、優しい存在じゃないのだと実感した。


「うっ、痛え──あっ」


 前につんのめったその隙に、前にいた小鬼──さっき殴ったやつが殴り返してきた。みぞおちに小さな拳が入る。威力は相当なもので、意識が飛びかけた。コイツら、女の子にはちょっかい掛けて遊んでただけみたいだ。戦うとなったら、こうも強いのか……。


「ああ、そんな!」


 少女の声も歪んで聞こえる。同時に「ケケケ」と笑う三匹の声も耳に届いた。口の中には鉄の味が広がっている。気づいた時には俺は地面に倒れていて、小鬼たちの蹴りをくらい続けていた。


 痛い、痛い、痛い。


 意識が遠のく。ああ、俺はこのまま死ぬのか。異世界転生して早々、こんな小鬼に終わらされるのか。あはは……。第二の人生は、なんともみっともない終わり方だったな。しかも、そんな終わり方を女の子に見られて……。あはは、あはは……。

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