010.さすれば、かの存在とて
◇◇◇
外は少し涼しい。長袖長ズボンの作業着でちょうどいいくらいである。昼間あんなに暑かったとは思えない気温だ。町の入口の方では、人の怒号と魔物の鳴き声、そして金属音が鳴り響いている。きっと、激しい戦闘が行われているのだろう。
「ヨシキ様、お城の方へ逃げましょう!」
アイリスが言う。
「ああ、それが良いかもな」
彼女に道を案内してもらいながら逃げ惑う。こんなの、転生初日の夜に起きていいイベントじゃない。魔王討つってレベルじゃねぇぞ。
「まずい、アイリス。鳥が飛んだぞ」
ピャアアアという大きな鳴き声と、バサバサと羽撃く音が聞こえた。店にいた人、いったいどのくらいが無事なのだろうか。気になりはするが、今は自分たちのことで精一杯だ。
「ええ。どこか、どこか隠れる場所は」
二人でキョロキョロしながら町中を駆け回る。所々のガス灯が倒れているのが見えた。ここまで魔物が来ていたのだろうか。もしくは逃げていた人が衝突したか。どちらにせよ、今いる場所も安全ではないということだ。
「お二方、お怪我はありませんか?」
そこへ騎士が現れる。彼らは三人で行動を共にしているようだ。鎧には、小鬼の時に見たのと同じ液体の飛沫が付着している。
「ええ、怪我はございません」
「俺も大丈夫です」
いやまあ、あるにはあるが。
「それよりも、お気を付け下さい騎士様方。鳥型の存在が襲ってきていて、既に少なくとも騎士様がお一人亡くなっております」
急に大人びたアイリスが言う。
「かしこまりました。ご忠告感謝──」
ピャアアアと、間近で聞こえた。脊髄反射で振り返る。
「魔物だ!」
騎士が叫んだ。そこに居たのはさっきの鳥だ。まさか俺たちを追ってきたのか? 特にヘイトを買った覚えは無いが?!
「ここは我らが。どこか、遠くへ!」
「お願いいたします。さあ参りましょう、ヨシキ様!」
「お、おう」
またもアイリスに手を引かれ、城方面へ向かって走り出す。三人の騎士が足止めしてくれるのなら、かなり時間を稼げるはずだ。これで一安心……と思っていたのだが。
「お二方、鳥がそちらへ!」
走りながら振り向く。鳥は確かに騎士たちをガン無視して俺たちの方へ。ピャアアアと鳴く。
「アイリス! 俺のことはいい、全力で逃げろ!」
「えっ、え? しかしヨシキ様は──」
「いいから早く行け! ダッシュだ、ダッシュ!」
先にアイリスを行かせ、油性ペンを手に持って振り返る。嘴をこっちに突き出していて、滑空の勢いそのまま突き刺そうという魂胆が見え見えだ。へっ。こういう時のために、使えそうな文字を考えておいで良かったぜ……!
「おい糞鳥! くらえ、『Q』だっ!」
大きめに丸を描き、そこから取っ手のように棒を生やす。棒を手に持ち、丸の部分を首に引っ掛けて──だが、鳥はピャアアアと大声で泣きながら宙返り。爪が俺の顔面の目の前を通る。危うく某拳法漫画のキャラのようになるところだった。そうかと思うと、鳥は再び嘴を突き出した格好になり、俺の頭上を通り過ぎる。
「なっ、こいつ、俺を無視した……?」
鳥が滑空する先には──アイリスがいる。
「アイリス、アイリス!!」
「あっ──」
くそ、間に合え──描画! 大急ぎでなるべく綺麗な「卍」を描く。それを小鬼の時のように──
「行けっ!」
ブーメランとして投げてやった。アイリスのスピードが落ちている。追いつかれるのは時間の問題というか、もう確実に追いつかれるだろう。卍が速いか鳥が速いか、一か八かだ。卍に加え、剣を抜いた騎士も鳥を追いかけている。俺は俺で、走ってアイリスを追う。鳥がピャアアアと喚いた。彼女をロックオンしたらしい。
「切り裂け、卍!!!」
届いた。卍は鳥に複数の傷をつけていく。攻撃が翼にまで及ぶと、敵は地面に落下。なんとか啄まれずに済んだアイリスだが、鳥が落ちた衝撃で転倒した。騎士三人は鳥、俺はアイリスの元へ。
「アイリス、無事か? 怪我は無いか?」
「は、はいヨシキ様。私は大丈夫です」
「良かった、いい走りだったぞ」
手を差し出し、彼女を起こした。土を払っている。せっかく新調したのに、もう汚れてしまったな。だが彼女は気にせず、鳥の方を見た。
「アイリス、ここは騎士さんに任せて逃げよう」
彼女の腕を引く。だが、アイリスは何故か動かない。
「アイリス?」
もう聞き慣れた鳥の鳴き声が響く。
「あいつ、もう傷が癒えてやがる」
卍が付けたはずの傷は、どうしてかもう無い。驚異的な再生能力を持った魔物ってことか。
「魔物めっ!」
騎士が縦切りを見舞う。だが、鳥は恐るべきスピードでカウンター。
「ぐあああああっ!」
翼の先にある刃のような器官で、騎士の鎧ごと切り裂いて重症を負わせてしまった。彼は地面に倒れ、数秒後に呻きも動きもしなくなる。
「貴様、よくも!」
「アイリス? 早く逃げよう、騎士が止めてくれている間に!」
「……いけません」
「え?」
一歩、また一歩とアイリスは鳥に近付いていく。
「アイリス?」
「いけません。彼女を傷付けては、いけません」
そうブツブツと呟く彼女は、今までで最も力強い目をしている。何かに突き動かされるかのように、ゆっくりと、ゆっくりと鳥の方へ。
「ぎゃあああああ!」
そうしている間に、騎士がまた一人死んだ。翼の先端で胸を貫かれたのだ。数秒後振り回された後、彼は地面に激突させられる。
「アイリス? アイリス、どうしたんだよ?!」
「いけません。彼女を傷付けては、いけないのです」
ピャアアアと、鳥が鳴いた。翼による振り払い攻撃を受け、生き残りの騎士一人が吹っ飛ばされる。壁にぶつかった彼は、力なく崩れ落ちる。だが立ち上がろうとしている。亡くなってはいないようだ。問題は様子がおかしいアイリスだが……。
「落ち着いてください。気を確かに持ってください。戻って来てください。ズュードフォーゲル」
「アイ、リス……?」
彼女が何を言っているのか、俺には少しも理解できない。まるで、彼女は鳥と知り合いであるかのようだ。──ピャアと、鳥がアイリスに返事をした……?
「戻ってください。さすれば、かの存在とて──」
アイリスがそう語りかけるが、鳥は尚も吠えた。そもそも魔物に言葉が通じるのか、という話ではあるのだが……。
「聞いてください。聞いてください、ズュードフォーゲル!」
まずい、敵はアイリスに絆されるどころか目を血走らせている。翼を広げて、嘴でアイリスを啄む準備中だ。対話で何とかなる相手じゃないんだ。日本でも、いや地球でもそうだった。暴力に頼らず話し合いで解決しよう。それは確かに理想的で美しいのかもしれない。だが、所詮は綺麗事。話し合いなど通じない相手もいる。そういう相手は、やはり力で黙らせるほか無いのだ。
「──描画!」
「ヨ、ヨシキ様!」
空中に描いた「卍」を手に取り、ぶん投げた。高速で回りながら鳥に迫る。もう間もなく頸を捉える。苦戦したし、死者は出たが、なんとか勝利を──。そう安堵したのも束の間、現実はそう甘くないのだと叱責するように鳥が鳴く。その瞬間、鳥は鳥とは思えない速度で身を翻し、脚の爪で卍をキャッチ。卍はいとも容易く砕け散る。
「や、やばい──っ!」
その卍が砕ける様を見ていた俺は、首を使ったキリンみたいな打撃が迫っているのに直前まで気付かなかった。
「ぐああっ?!」
「ヨシキ様!」
無論回避などできるはずもなく直撃。脇腹に激痛が走ると共に、俺は大きく吹っ飛ばされた。




