異国の地にて
それから半月後。
「やっと着いたか」
冬の乾いた寒風吹きすさぶ、チエン半島南端の港町フソウに、軽めの旅装に身を包んだセイが降り立つ。
蒸気船から船着き場へ降り立ったセイはうんと伸びをして、狭い船内に閉じ込められていたストレスを、曇り気味の昼空へと発散した。
昔ながらの木造家屋に混じって、現代的な石造りの建物が混じる街並みを、潮の香りを帯びた海風が駆け抜ける。
緑深い山で暮らして来たセイにとって、フソウの街は潮気の混じった空気のにおいや湿度なども含め、異国情緒を抱かせるに十分であった。
しかしここで観光目的に走るほど、流されやすい性格ではない。
気を取り直し、船着き場の周辺を見渡す。
同じ船から降りて来た人間を出迎える者、これから乗り込む予定の船を待つ者、荷物の積み込みや積み下ろしを行う港湾関係者。
様々な人種の中より目当ての人物を探し出そうと目を凝らす。
シズクと邂逅を果たした日から数日の後、セイは一念発起して誘いを受けることにした。
口車に乗るのが癪だという気は無かった。むしろ機会ときっかけを与えてくれたことに対してシズクに感謝したくらいだ。
そう思わせるのも、彼女のカリスマのなせる技なのかもしれないとも考えたが、それは些細なこと。
とにかく父の理論の正しさを知らしめるべく、セイ・オージノは軍での勤務を決めた。
早速、荷をまとめたセイは数日かけてシズクの示した連絡先を訪ねる。そこで出会った、シズクに雇われているという褐色肌で細マッチョな青年から、旅券と共にとんでもない伝言を受け取る。
―軍属として登録は済ませてある。至急半島に渡り、所定の場所へ向かうように。迎えの者にはこちらから連絡しておく―
狐に化かされたような心持になり、脳裏にしてやったりと不敵に笑うシズクの顔が浮かんだものだ。勘か読みかはわからないが、いずれにしろシズクはセイが誘いに乗ると確信し、準備を進めていたらしい。
ただただ、とんでもない人物だと驚嘆を覚えながら、セイは行先である半島への船旅を経て現在に至る。
周囲に広がる老若男女の渦の中より、旅券と共に渡された紙にあった迎えの人物を探す。
とはいえ先に連絡済で、半島最南端の港町であるここフソウの港で待つとしか記されていないので、どんな相手なのか全くわからないのだが。
「まさか、あの子か?」
一通り周囲を探して、やがて見定めた一人の人物は船着き場から少し離れた場所で、周囲をきょろきょろと見回している女性だった。
それもただの女性ではない。彼女は皇主国陸軍正式の、中央に五つのボタンを持つカーキ色の軍服と軍帽、それらと同じ色をした膝上くらいまでの丈のスカートを穿いていた。
皇主国軍には少なからず女性士官や女性兵士はいるとはいえ、やはり全体的には珍しいといえる。
だが特筆すべきはそこではない。
「……新兵を驚かせるっていう、あれか?」
そんなまことしやかに存在すると言われている、陸軍内の噂を思い出す。
なぜならその女性士官と思しき人物は、明らかに背丈が成人に見えないのだ。
見かけ年齢はおおよそ八歳から九歳、顔も何もかも小さくその相貌はあどけなさが残る。
時折人ごみに翻弄される危なっかしさや、雪のように白く傷一つない肌、おおよそ軍に似つかわしくない結び目の高いブルネットのツインテールなどから、どう見ても子供に軍服を着せているようにしか思えない。
「……一応、行ってみるか」
悪戯ならばきっとアプローチをかければ、近くに潜んでいるであろう本物の迎えが出てくるだろう。そもそも手がかりがない以上は、とにかく当たって砕けろで行くしかない。
決心して親を探す迷子のごとく、不安げに周囲を見回す小柄な少女へと歩み寄っていく。
十歩ほどの距離に近づいた時、向こうもこちらに気付いたのか、疑問と僅かな予感が混じった不思議そうな顔をした。
「すいません。私はセイ・オージノと申しますが――」
「セイ・オージノさん!? よかった、やっと会えた!」
礼儀として名乗ってから相手に尋ねようと思ったところ、食い気味に少女は反応した。
太陽のように明るい笑顔を浮かべ、先ほどまで顔に滲ませていた暗い表情を吹き飛ばす。
「あ、すみません! 申し遅れました」
あどけなさの残る声で告げた彼女は、左右がそれぞれ黒と茶色をした真ん丸の瞳をセイに向けながらピシッと敬礼をした。
東の言葉でいうオッドアイに珍しさを覚えると共に、少女の様になった所作や、途端に引き締まった雰囲気に少し緊張する。
「お初にお目にかかります、セイ・オージノ殿。自分はヤシマ皇主国陸軍曹長、リリナ・エイリと申します。貴殿をお迎えに上がりました」
可愛らしい声でのしっかりとした口上にセイは我を疑う。
こんな自分よりも年下の、いたいけな女の子が部下を何人も持つ軍人だというのだ。
にわかには信じられないが、堂に入った名乗りや身のこなしが妙な説得力を持たせる。
「あの、どうかされましたか?」
「いえ、その……」
悪戯か影武者だと思っていたとも言えず、言葉に窮する。
「もしかして、こんな子供がーとか、本当に軍人さん? とか、悪戯じゃないのかなーとか考えてませんか?」
見透かされていた。
「言っておきますけど、これでもわたしは十六歳なんです。ちゃんと正式な手続きを踏んで軍にも入っているんですよ!」
気を悪くしたのか、プリプリとした様子で説明し出すところから、外見に伴う子ども扱いがコンプレックスであると同時に、それが日常茶飯事なのだと察せられる。
「申し訳ありません。曹長殿」
彼女のモノとは明らかに見劣りする、イマイチ締まらない敬礼と共に非礼を詫びる。
「わかればよろしい」
リリナはエッヘンと腰に手を当てて満足げに胸を張る。
その仕草がより子供っぽさを引き立てているという事実を、セイは心の奥底に仕舞うことにした。
「じゃあさっそく基地まで案内するね」
「よろしくお願いします、曹長殿」
「リリナでいいよ。階級も敬語もいらない。お互い歳も近いし」
厳格な規律と規則で成り立つ軍組織でそれはどうなのかという疑問と、恐らく上官になるであろう少女の命令にも似た言葉の板挟みに合う。
「ほら、職務中はともかく、平時まで堅苦しいと参っちゃうでしょ? だからね」
どうやら彼女なりの考え合ってのことのようだ。
「わかったよ、リリナ」
「うん、よろしくね。セイ」
その後、セイは港街を抜け、郊外に停められた一台の荷馬車へとリリナに案内される。
「お、やっと来たか」
天幕付の馬車の乗り手がひょっこり顔を出しながら、待ちくたびれたような声をあげた。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「全くだ。大方人ごみに紛れて見つけてもらえなかったってとこか?」
後頭部でまとめた赤毛の髪を僅かに揺らし、軽い身のこなしで馬車から降りてきたのは、リリナと同じ皇主国陸軍の制服を着た細身の女性だった。
「そんなんじゃない! ちゃんと船が着く前に行って、降り場の真ん前にいたもん!」
「じゃあ親を出迎えに来た子供だと思われて声をかけてもらえなかったんだな」
そう告げる女性は背が高く、リリナが背伸びしても胸に顔が届くかというくらいであった。スカートではなく、男物っぽい厚手の制服ズボンを履いているのもまた、大人っぽさを演出している。
「もう! ナキの意地悪!」
からかわれてムキになるリリナを窘めつつ、女性がセイの方に歩み寄る。
「ども。皇主国陸軍軍曹、ナキ・ハスワだ。以後お見知りおきを」
軽いノリだが、無礼というよりさっぱりとした気持ちの良さを感じさせる挨拶と共に、ナキは白い歯を見せる。
「初めまして。セイ・オージノです」
挨拶し返すと、小動物のようなクリッとしたリリナのとは違う、アーモンドのような楕円形のナキの瞳が上下した。それはセイを舐めるように観察しているようにも思え、反射的に身構えてしまう。
「ふーん、細いけどそこまで貧弱じゃないな」
「ちょっと、初対面の人に失礼だよ」
腕を組んで一人うんうんと納得するナキをリリナが軽く叱る。
「こいつは失敬。まあとにかくよろしく頼むわ、セイ」
フランクさ全開のナキに、階級社会と縁遠い生活を送って来た身としては、親しみやすさと共に好感を抱いた。
「こちらこそよろしくお願いします」
その後、ナキが操る馬車に揺られながら、彼女からも敬語無し名前呼びの許可のもと、三人で談笑に興じる。軍に入るということで、ここ数日張り詰めていた気持ちが、おかげでいい具合に解きほぐされた。
幸先よくいい仲間にも出会え、やっていけそうな自信を覚えつつも、セイは気を引き締めた。彼女らのような存在は特別なのだと。
厳しい軍隊組織内でのオアシスを確保した上で、今後やってくるであろう息苦しい上下関係と激務に内心備えた――。