戦乱の足音
シズクの一言は、セイに複雑な感情を抱かせる。
ある意味では渡りに船、だが同時に御免こうむるという拒絶の感情を、怒りと共に湧き上がらせる。
それが同時に襲ってきて、もどかしい気持ちになってしまう。
反応に困ってセイが沈黙する中、燃え盛る薪がパチパチと弾ける音と、外に吹く空っ風が戸を揺らす音だけが室内を僅かばかり賑わした。
「貴殿の気持ちはわかっているつもりだ。何を今更、どの口がと思っているのだろう」
その通りなのだが、軍関係者からそれを言われるのが、どうにも腹が立つ。
しかし相手は皇族、この国で一番偉い人間だ。いくら道理が通らなくとも、命が惜しくば耐え忍ばなくてはならない。
死ねば元も子もない。父から教わった教訓が怒号を上げたい気持ちをぐっと堪えさせる。
「それでも今、我が国には貴殿の力が必要なのだ」
「殿下。私の気持ちがわかるとおっしゃるのなら、父のことは当然ご存じですよね?」
「ああ、だからこそ貴殿に頼みに来た。キョウ・オージノ中佐の意志と知識を継いでいるであろう貴殿に」
シズクはそう言いながら、部屋の壁際にある図面や、論文が重ねられた座卓を指差す。
明らかな軍事資料の前に、知らぬ存ぜぬはこれで通用しなくなった。
「知っていて、私が了承するとお思いなのですか? 私の父は軍に見放されたようなモノなんですよ?」
数年前に水面下で起きた軍内部の権力闘争。それに巻き込まれたセイの父親キョウは軍を放逐され、失意の内に没した。
「承知している。だが今は貴殿の力が必要だ」
「何のために私の力が必要なのですか?」
「今、大陸に戦争が近づいている。その時に備え、兵站担当として部門強化を頼みたい」
「他にも専門家はいるはずですよ」
「それがオージノ中佐だった。我々はこの狭い国土での戦争を繰り返して来た歴史ゆえ、長大な出征に際した兵站の技術も、その重要性を熟知した者もいない。彼以外はな」
「それで僕に白羽の矢が立ったと?」
「彼の息子である貴殿ならば問題ない」
「買いかぶり過ぎですよ。僕は研究しているとはいえ、実績の無い一般人です」
否定的な言葉を並べてみるも、内心では頑なだった心が揺らいできている。
自身を買ってくれるのは正直嬉しい。それが軍才を評価される時代のヒロインであり、国の最高権力者である皇族に連なる者であればなおさらだ。
それでも父を見捨てたのもまた国であり、そのトップはやはり彼女達。そういったこともあって、やはり素直に誘いを受け入れられない。
現状は了承三割、拒否七割といった所だ。
「貴殿はクローツ商会を知っているか?」
シズクがわざとらしく、唐突に話の流れを変えて来て一瞬戸惑うも、次の瞬間にはもしやという予感めいた何かを感じる。
「最近繁盛しているようだ。特に商品がよく動き、在庫を抱えることも少ないという」
一見繋がりのない話に思えるが、セイは関係性と共に彼女が言いたいことを理解した。
「あれは貴殿の入れ知恵、いやそんな言い方は失礼だな。貴殿の戦略であろう」
「何のことでしょうか?」
未だ胸の内に宿した国家や軍に対する不信感から、不敬ともとれる態度をするが、彼女は意に介さないような様子で冷静に話し続ける。
「クローツ商会会長の息子、ヒアン・クローツは貴殿の高等学校の学友で、今も交流があるらしいな。彼が貴殿からの助言を商会に持ち込み、此度の利益を生み出したのは調査済みだ」
事前調査を済ませていた手際の良さには、さすが才女だと素直に舌を巻いた。
「私が欲しいのは、その物の流れに通じた貴殿の力だ」
「確かに私はクローツ商会に力をお貸ししました。ですが商いと戦争は違います」
「同じだ。物、金、人が動き、世の中に大きな流れを生む。世の理という面では同じだ」
皇女は自信を持って断じた。暴論にも思えるが、何故か納得できる感覚と、心の奥にまで届く言葉の力強さがあった。
これがカリスマと言われる彼女の力なのかもしれない。
「改めて問おう、貴殿の力を貸してはくれないか? 無論、見返りは充分に用意しよう」
「随分と大盤振る舞いですね。そこまでして戦火を広げるための戦争をしたいのですか?」
散々誘いに消極的だったのは、何も父の件だけではない。
もう一つ大きな理由をあげるなら、大陸での積極攻勢を公の場で主張するシズクらタカ派が嫌いということだ。
戦いとは振り払う火の粉を払うためだけにすべき。戦争とは大量の資材や人命を消費する非効率極まりないモノとして教わり、また自ら学んだ上でセイ自身そう結論付けている。
そういう観点で、大陸への出征はいたずらに戦火と周辺諸国との軋轢を生むだけの無駄な行為に見えるのだ。
「貴殿は私が戦好きのように思っているようだが、それは違う。私が主張する戦争はあくまでこの国と国民を守るためのモノだけだ。それに今回の出征は防衛戦争だと断言しよう」
防衛戦争という名目なら、当然攻めてくる敵がいるということになる。
その敵としてシズクが名を挙げたのは北の大国、ロムーア帝国だ。
「我が軍が駐留するチエン半島。その北部、大陸との付け根にあたる地域にあるのがマーシア民国。それは知っているな」
手帳サイズのヤシマ皇主国周辺地図を取り出し、指差ししながらシズクは説明する。
「最近民国内の情勢が不安定でな。恐らく近いうちに内戦となる。そうなればロムーアは間違いなく出てくる。奴らは世界に覇を唱えるため長年不凍港を欲しがっているからな」
ロムーアは大陸の北部に位置する横に長い国家。その国土は四季がはっきりしているヤシマとは違い、年間を通して気温が低い。故に現在、帝国領内の港はどこも冬には氷が張って使えなくなるのだ。
「だがそうなると、我が国が治める半島とロムーアが接することとなる。奴らは拡大政策で長年の不作から来る国民感情を誤魔化している。今度は半島を狙うと言い出しかねない」
「半島を攻めれば次は――」
セイが話に参加する姿勢を見せると、シズクは神妙な顔で僅かに頷く。
「我が国は近代化して間もない小国だ。潰されても国際社会で非難するものは少ない。ならば己の身は己で守るしかない。マーシアを傀儡にしてでも緩衝地帯を生まなくてはならない。それが国の方針なのは報道などで出ている通りだ」
そう語る彼女の顔は、この戦いが厳しいモノになるのを示すように険しかった。だが言葉には不安や恐れはなく、気合と決意がひしひしと伝わってくる。
「聖戦などとはいわん。私は軍人として、国と国民を守るために自軍の兵士と共に戦場に向かい、その過程で死地に兵を送る。その責任はもちろん負うが、それ以前に犠牲が出る事態になる以上、一人でも減らす努力をしなくてはならない」
「そのために、僕が必要だと」
静かに頷く彼女の、切れ長の瞳の奥に確固たる決意の光が見えた。それはセイの胸に内にくすぶっていた想いを照らし出したように思える。
「ぜひとも力を貸してほしい。貴殿の力を発揮する場を与えることが報酬の一つだ」
金銀財宝や爵位ではなく働き場が報酬。
ブラック案件に聞こえるが、セイにはその意味と重要性がわかった。
「貴殿が父上のやり方で結果を残せば、貴殿の父の理論や技術が正しかったと証明できる。汚名をそそぐ、いい機会になるのではないか」
論より証拠とは世の常。しかし実践の場はある程度の地位や実績がないと与えられない。
だがこの皇女は、それをいきなり与えるというのだ。
「どうして貴女はそこまで」
「私は利用できるモノを利用しようとしているだけだ。己の目的の為にな」
不敵に、悪ぶったように語ったシズクは、真っ直ぐにセイを見つめたまま告げる。
「だから貴殿も利用しろ、セイ・オージノ。皇女という看板を恐れず、この私を道具として、父上の無念を晴らすために利用しろ」
突風を纏ったかのようなその言葉を受け、セイは衝撃と共に呆気にとられる。
己のことを使えと平然と言い切る、上からだが説得力はある言葉に圧倒されたせいだ。
「私が言いたいのはこれで全てだ」
そんなセイを余所に、シズクは手帳を取り出し、何やら殴り書きする。そのページを破ると、自らが座る座布団の横に置き、徐に立ち上がる。
「気が向いたらそこを訪ねろ。馳走になった」
軍帽を被り直し、彼女はセイの横を抜けて戸の方へ向かおうとする。その素早い行動に慌てて反応して、見送るべくセイは後に続いた。
「では失礼する。いい返事を期待しているぞ」
僅かに口元を緩めると、シズクは自らドアを開けた。
夕暮れに向かおうとする空の下、冷たい風にコートの裾を揺らしながら、だが彼女はそれに負けること無く力強い足取りで帰っていく。
その見かけ以上に大きく、たくましく見える背中から、セイは目が離せなかった……。