来訪者
翌日。一晩セイと語り明かしたヒアンは昼を前に帰路についた。
一人残された形となったセイは部屋の中央にある囲炉裏の前に座り、ぼんやりと静かに燃える火を見つめ、己の将来について考えた。
ヒアンも含め、高等学校を出た同級生は皆、それぞれの道に進んでいた。大学校や専修学校に進み、己の道を行くための技を磨く者。あるいはそのまま仕事についている者。
義務教育終了と同時に陸海軍の幼年学校に飛び込んだ同学年の者なら、順調であれば士官学校に進み、任官間近となっている頃のはず。
かくいうセイも、一度は軍を志そうとしていた。
断念したのは別に虚弱体質だとか、前線勤務が嫌だからではない。今でも食料集めの為に頻繁に山へ入り、猟銃での狩りや山菜取りなどフィールドワークを欠かしていなかった。
ただ軍に入るならやりたいことがある。とある軍人のごとく理知的に、最小限の犠牲で味方を勝利に導き、国と愛する人を守る。
しかしそんなかつて抱いた夢と熱意も冷め切り、今ではこうして自堕落とも評せる隠遁生活を送っていた。
並の生活には数年困らない程度の親の遺産と、ヒアンの手伝いで得た報酬があるので、今すぐシャカリキになって働く必要はない。
だがそれもいつまでも続くものではなかったし、人並みの夢はあった。
いつかは結婚して子供も欲しい。そんな穏やかで細やかな幸せには、やはり定職がいる。
そう考えていると、セイの視線が正面で揺らめく火から部屋の右側へとずれた。
そこには壁に寄せて置かれた木目の書棚と座卓が明りを受け、薄暗い中に浮かび上がっている。棚には古今東西の地理・歴史・文化などの書籍が並び、入りきらない分は棚の前に山積みにされていた。
その隣の座卓の上や周囲には図面や手書きの地図、論文のようなものが整然と、あるいは雑に重ねられている。
これが、かつてセイが抱いた情熱の源にして、未だ他の道へ向かうことを阻む枷とも言えるモノであった。
「ん?」
セイの意識の先がまた別の所に向かう。家の外だ。
「来客か? こんなに立て続けとは珍しい」
確かに人の気配を感じる。そして耳を澄ませば、少し湿り気を含んだ地面を力強く踏みしめる音を聞き取った。
親友のヒアンですら数か月に一度しか来ない。麓の村の人間にも知人はおれど、訪ねてくるような間柄の者はいなかった。
「それともヒアンの奴、忘れ物でもしたか?」
近づいてくる音と気配に一応警戒するも、世捨て人まがいな自分をこの世から消したい人間もいないだろうと高を括りつつ、出迎えるべく扉の前に立つ。
つっかえ棒を外さないまま待っていると、気配がドア板を挟んだすぐ向こうに来た。
「失礼する」
コンコンコンと木のドアを叩く音に続き、どこか凛とした感じのする、澄んだ女性の声が耳朶を打つ。
高さや感じからして同年代か少し上くらいか。
少なくともドア前には他に気配はないこと、いつでも取れる位置に猟銃があるのを確認するとつっかえ棒を外し、ドアをスライドさせる。
すると、赤と黄色で彩られた秋山の木々を背景に立つ、一人の女性が眼前に現れた。
ここぞというタイミングでそよ風が吹き、黒紅色の長い髪がふわりと浮き上がる。それに乗ってほんのり甘い、花のような香りが鼻腔をくすぐってきた。
「お初にお目にかかる」
女性の、その薄桃色の唇から紡がれた言葉に間違いはない。
だが初対面にも関わらず、セイは軍服とコートを見事に着こなす彼女を知っていた。
「皇女……殿下」
セイが面食らったのも無理はない。
昨日話題に上がった、物語の中の英雄を具現化したような存在が、目の前にいるのだから……。