嵐の前の静けさ
「「かんぱーい」」
人里離れた山中に立つ、木造の質素な家の真ん中。部屋をほんのりと照らし出す囲炉裏を挟みながら、セイ・オージノとヒアン・クローツは楽しげに乾杯する。
「三か月ぶりだな」
若々しさを感じさせるウルフカットの青年、ヒアンがセイに告げ、陶器の湯呑みを口に運ぶ。
「前の打ち合わせからそんなに経つのか」
セイは意外に思いつつ、無意識に自身の少しツンツンした黒髪に触れる。親友からの言葉に、自身と周囲の時間の流れの差を感じていたのだ。
「その口ぶりじゃ、思った以上に時間が経っていたみたいだな。普通、こんな山奥に一人だと時間の流れが遅く感じるんじゃないのか」
「また色々と資料の整理や研究をしていたからね。時間を忘れていたよ」
「お前が義務教育を終えたのはいつだ?」
「五年前の十三歳の時。ついでに高等学校を卒業したのは二年前。それくらいはわかるよ」
「何にしても世の中の流れを知らないと、えらい目に遭うぞ」
「ちゃんと新聞は読んでいるよ。麓の村にはよく買出しにも行くし、浮世離れした生活をしているつもりはない」
ここまで言って、ようやく保留にしていた碗の茶を流し込む。
乾杯としゃれ込んだが、二人とも酒を飲めるようになるまで後二年ほどかかるので、善良な国民として法に則った行動をしていた。
「それより事業の方は?」
「お前の発案した計画のおかげで大分無駄がカットできた。母さんも感謝していたぞ」
「我が国が誇る、現代の女傑に認められるとは光栄だね」
「ついでに商売の傍ら、俺達兄妹を女で一つで育て上げた賢母でもある」
囲炉裏にくべた木が焼かれ、パチパチと爆ぜるのをBGMにしつつ、着物の下にシャツという書生姿の二人は談笑を楽しむ。
「そういや、姫将軍がまた出世したらしいな」
ヒアンのこの一言で、セイの脳裏に一人の女性の姿が浮かぶ。
シズク・カラト・ヤシマ。
二人の住むこの島国、ヤシマ皇主国の最高指導者である皇主の娘の一人にして、現在は軍に籍を置く軍人だ。
継承順位も低く、そもそも男系を重んずるこの国の皇族において、そこまで注目を集める人物ではない。
少なくとも数年前までは。
「身分を隠して士官学校に入り、実力で主席卒業」
持ち合わせた才能とそれを磨き上げた努力の女性。その激動の半生を、まるでずっと見守って来た人間のように、しみじみとヒアンは語る。
「そして極めつけはあの事件だ。運命ってのは数奇なもんだ」
酒が入った大人の自慢話よろしく楽しげな語りに、乗せられたセイも彼女が辿った運命とその経過を聞きながら、映像として脳裏に浮かべる。
島国ヤシマ皇主国から海を隔てて北方、巨大な大陸ルアンシムの西岸にあるチエン半島。そこは数十年前から皇主国の間接統治状態となっていた。
「皇主国の支配から脱却を目指す革命派が蜂起したのは、もう三年も前か。情報だけだったが、大使館のある都市も大混乱だと聞いて、騒乱は全土に広がるとあの時は思ったよ」
「当時名もなき士官候補生。救国の志を胸に、同志を率いていざ立ち上がらん」
身振り手振りを加えての親友の口上に、間違って酒を出してしまったかとセイは不安になる。ともあれ面白いのは事実であり、昔からの彼のこんなノリが好きなので、このまま話させることにした。
シズクは当時士官候補生。エリートとして軍へ正式入隊するための最終段階の研修に大陸駐留軍の元へ来ていた。
そんな時に起きた暴動で再編中の正規軍は大混乱に陥る。だが彼女は有志を募り独断で出撃、市街で機動戦・ゲリラ戦を繰り広げ、正規軍が立ち直るまで敵を食い止めてみせた。
「その功績が認められ、入隊と同時に昇進。さらに救国の英雄という看板までついて、今では時代のヒロイン。まるで昔の英雄物語みたいだ」
そう締めくくりつつ感嘆に浸りながら、セイは茶を啜った。
運命という名の荒波を切り裂き、凛として突き進むその生き様には痛快さを覚える。
「それに美人だしな。一度でいいからお目にかかってみたいところだ」
学生時代にプレイボーイでそこそこ名を馳せたヒアンが、何事か想像しながら楽しそうに顔をニヤつかせる。
決して邪な感情からではなく、子供が面白い遊びを思いついた時に見せる、無邪気で悪意のないモノだというのは、長年の付き合いからすぐにわかった。
「ヒアンの実家の伝手で何とかできないのか?」
「ウチはそれなりにデカいとはいえ新興だしな。それに軍とは接点がない。この国最高の大口取引相手だから、ぜひとも知り合いになりたいんだが」
「じゃあ、街でお忍び中の彼女とバッタリを狙うかい?」
「そりゃ軽小説の読み過ぎだぞ」
「わかったか。お前でも軽小説を読むんだな」
半世紀ほど前から始まった、遠く東の先進国との交流で伝わった様々な物の中には活版印刷機もあった。昔から識字率が高かったお国柄も手伝い、ヤシマ皇主国の出版業界は今活気づいている。
その中で若年層にもわかりやすいような砕けた文章と、現実に非現実を多分に持ち込んだりし、突飛だが独創性に富んだ新興の小説ジャンルが軽小説だ。
「流行にはとりあえず触れるのが我がクローツ家の家訓だ。今は何が飯の種になるかわからんしな。蒸気機関車も電話も仕入れて売るとか、冗談交じりに母さんは言っていたぞ」
「姫将軍の絵でも売れば? 壁にどーんと貼れるくらい大きな奴。汽車より安上がりだ」
「おおっ! それいいかもな!」
本気とも冗談ともとれない、ひどく曖昧な会話をこの後も繰り返し、男二人は茶と合間に挟んだ軽い食事と共に話に酔いしれた……。