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ガチオタクの主人公、学校では無口で陰キャだが?しかし……

 薄暗い、いやほぼ真っ暗な部屋の中。パソコンの前で、薄ら気味が悪い笑みを浮かべ、二次元の美少女を堪能している"奴"がいる。


 


 部屋の中の音と言えば、不規則かつ頻繁に鳴り響くマウスのクリック音だけだ。


 奴はヘッドホンを付け、画面の中の美少女キャラの喜怒哀楽を堪能している。


 


 部屋の壁は一面に、いや見える壁すべてに美少女ポスターが張り巡らされ、あろうことか、天井にまで一面美少女パラダイスだ。


 


 部屋というものは立方体であって、立方体の内側の表面積は有限であるがして、残された面は底面のみ。だが…


 


 床には美少女、ではなくゴミの山であった。


 


 床にポスターなどを貼ることは容易ではあるが、察するに床に貼ってしまえば踏み絵同然。そのようなバチ当たりな行為は奴にとって耐えがたいものであろう。


 


 床を見渡せば、ペットボトルや空き缶、スナック菓子の袋や、いつ食べたのであろうか不明な汁だけ残ったカップラーメン。挙句の果てには、カピカピになり果ててもはや見る影もない、丼物の形状をした容器の中に入っている"何か"である。




 その"何か"は、遠めからは茶色い物体にしか見えないがよくよく見ると、白い粉を吹いている。


 


 そうカビである。


 


 においのほどは、外にさえ漏れ出てなく、周辺住民への危害はまったくもってないが、中に入った人間の鼻をへし曲げ、呼吸困難に陥らせるほどであるに違いない。




 四方の一角には、美少女を模ったフィギュアが飾ってあり、一辺には天井ほどあろうかという本棚に、ぎっしりとライトノベルや、漫画、同人誌。ありとあらゆるジャンルの書物を蔵している。


 


 一つ共通することは、すべて二次元に関するということだけであり、中には"18禁"と言われるものもありそうである。


 


 そんな部屋に、合計1000人以上はいそうな、二次元の美少女たちは笑みを絶やさず、奴を、この部屋を死角なく見つめている。


 


 彼女らを無視するように、パソコンのモニターの中の美少女に夢中の中、インターホンのベルが奴を夢から引きずり出す。


 


「うっせえなーー」


 


 ため息交じりに発する怒りに満ち溢れた言葉。だが奴は口は動いても、パソコンの前に座る彼の体は、ビクとも動かない。


 


 数秒後にまたベルが鳴る。




 次は、言葉すら発さなかったが、奴の足元がどうやら騒がしくなっていき、下の階に響くくらいに貧乏ゆすりをしている。


 


 再びベルが鳴るが、それでも、行動に移そうとしない。


 


 はたまた再びベルが鳴るが、それは鳴るというよりなり続けるといった方が正しい。家中をベルが響き渡り、鳴りやまず、容赦なく奴の部屋にも響き渡っている。


 


 奴は突然の来訪を無視してやり過ごそうと思ったのだろうが、インターホンを鳴らしている人は根気強い。


 とうとう奴は、重い腰を上げゴミまみれの床をかき分けながら、廊下へとつながる自身の部屋の扉へと歩いていく。


 


「あぁーーーーーー!!なんなんだよ。こんな真昼間に!!」


 


 真夜中で怒るならわかるが、真昼間は常識である。


 


「痛っああああああああああああああ!あぁああぁーーーあ」


 


 ゴミまみれの床に、突然うずくまり足の裏を抑える。


 どうやら、床に散りばめられたゴミで見えなかったのか、ペットボトルのキャップを右足で踏んでしまい、数十秒は動けない様子である。自業自得の撒菱だ。


 


 インターホンのベルが20回くらいなり続けたところで、ようやく扉を開け廊下へ出る。少し残る右足の痛みを庇いながら進み、突き当りの階段を下る。目の前に玄関が見え、扉のすりガラスには人影が見える。


 


 左手で鍵を回し開け、右手をドアノブにかけ、扉を押し開けようとした瞬間。掴んだドアノブが自身が押す速さよりも先に勝手に動く。


 


 カチャ


 


 自身が開けようとしたタイミングよりワンテンポ早く扉が開き、重心をドアノブにかけていたせいで、おのずと体が外に吸い出される。


 崩れた重心を立て直そうと右足を前に出す。さっき痛めた右足を。


 奴の口元がこばわる。


 


「こんにちわ。郵便です。矢場さんのお宅で?」




「あっ。はい。」


 


 まさかの来訪者は郵便屋さんである。郵便屋さんの立場で、人の家に対して、あれだけ根気強くインターホンを鳴らしていればクレームものだが、さすがである。


 


 「書留です。サインか印鑑をお願いします。」


 


「じゃあサインで」


 


 肩にかけているカバンから、茶色い封筒を差し出し、ボールペンを渡し、


 


「ここにフルネームでお願いします。」


 


 "矢場賢人"と、郵便屋が差し出した受領書にサインする奴。




 イラつきを顔に出しながらサインをする裏腹、相手は営業スマイルで、


 


「ありがとうございましたーーー」


 


 嫌味を込めるかのよう、元気に言い残し次の配達へ向かうのだった。


 


「誰だよ。こんな封筒家に送りつけたやつ。」


 


 小言をぶつぶつ言い部屋に戻りながら、宛名を見る。


 


 "矢場賢人"


 


「チッ。俺宛かよ。メールとかSNSが普及している時代に紙で送ってくんなよ。」


 


 今にも破って燃やしたい衝動を抑え、封筒の裏面を確認する。


 


「時代遅れの送り先はだーれだ。」


 


 "私立高宮高校"


 


 送り先を確認し封筒の封を盛大に破り、中身を確認する。数枚いろいろと書かれた書類が入っていたが賢人が気になるのはただ一つ。気になるものだけを取り出し、目を通す。


 


 それを見た瞬間。賢人の表情が一気に変わる。




 「うひょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。よっしゃああああああああああ」


 


 さっきまでの怒りキレ散らかしていた態度はどこへ行ったのか。近所迷惑になるレベルの奇声を発し、謎の奇妙なダンスじみた動きをして、体全身を使って喜んでいる。




これほど喜ぶ訳には理由があった。




中学校2年生まで不登校だった彼は、秋葉原の高校に行くためだけに、苦痛であった学校へと、中学校3年生から、死ぬ気で通ったのだからである。




「オタクの聖地。秋葉原が俺を待っている!」


 


 その内容とは"合格通知書"であった。




 "私立高宮高校"とは、賢人が住みたくてしょうがない秋葉原にある高校である。なぜならば、彼はオタクだから。そもそも校風やらそういったもので高校を決めたのではなく、ただただ立地している場所だけが決め手であった。


 


 盛大に騒ぎながら部屋に入りかけていたが、華麗に右足を軸に180度ターンを決めて駆け足で階段を下る。先ほどの痛みはすでに消え去ったようである。向かった先は台所。


 


 キッチン下の収納スペースの両開きの扉を全開に開け、袋を一枚づつ取り出す。ヒト一人は入れようかという大きな袋だ。袋には、"燃えるゴミ" "燃えないゴミ"とそれぞれ書いてある。


 


 二枚の袋を手に持ちまた駆け足で階段を上る。


 扉を開けると膝をつき、なんと目の前のごみを拾い始める。


 


 田舎の暗いオタクライフに終止符を討つように…


 


 燃えるゴミは形態がどうであれ燃えるゴミなので、袋に入れてしまえばいい。ただ、燃えないゴミという厄介者が彼の前に立ちはばかる。


 


「この緑茶ペットボトル中身入ってんじゃん」


 


 恐る恐るペットボトルのふたを開け、興味本位で中身を匂ってみる。


 


「おおえええええええええええ。くっせーーーー。腐ってんじゃん」




 においに耐えかねたのか、ペットボトルを指先でつまみ持ち、階段を下り洗面所へ向かう。


 


 そこでペットボトルを逆さにし、ドポドポと中身を出す。そこで衝撃の光景を目にすることになる。


 中身はカビが繁殖し、サラサラな液体ではなく、どろどろした液体。


 底には沈殿物がたまりゼリー状と化している。たまらず嗚咽が出る。




「おえええ。くっさ。きもっ。」


 


 自身が長きに渡り放置した結果の産物に目を避ける。


 ペットボトルをすすぎ部屋に戻り、燃えない袋の中に入れる。


 そういった作業を15分行ったころには、2つの袋はいっぱいになる。


 2つの袋をいっぱいにしたところで、部屋のごみは畳1畳しか片付いていない。




 途方もない作業だが、秋葉原に住めるというモチベーションだけが彼のペースを落とさない。




 そもそも彼は、整理整頓やらが出来ないと言うわけではなく、"オタクの部屋はゴミまみれ"という、よくあるイメージを具現化していただけであった。




 日が暮れかけたころ、床には輝くフローリングが見え、ほこり一つ落ちていない。本人は気づいていないようだが、家の中の毒ガス室と言えるくらいの臭いは半滅している。




「とりあえず荷造りをするスペースは確保できたな」


 


 額に書いた汗を手で拭いながら、満足げにつぶやく。




 汗ばんだシャツをパタパタさせ、キッチンへ向かう。冷凍庫の氷をコップに入れ水道の蛇口から水を注ぐ。それを水を欲した魚のようにゴクゴクと飲み干す。




「ただいまー」


 


 玄関のほうから母親の声が聞こえ、キッチンへ向かってくる。


 普段目にしない汗ばんだ息子の姿を見て目を丸くする。




「あんたなんしよったん。」




 2杯目の水をコップに注ぎつつそっけない返事をする。




「いや、部屋の掃除」


 


 それを聞いた途端全速力で、階段を駆け上がり部屋の扉を開ける。




「だ…だれのへや?…なんで掃除しようとしたんね?」


 


 幻の光景でも見ていそうな目つきで、足早に向かった母親を追いかけてきた息子に尋ねる。




「気分転換かな。あと、春から秋葉原の学校へ進学するから。」




「あ…あんた。秋葉原って東京の学校?九州からどうやって通学するとね?」


 


 さすがに現実味のない質問であるが、自分の息子がそんなことを言えば、思えば当然である。




「東京に住む。」




「あんた東京に住むって、一人暮らしが大変なこと分からんのかね!?しかも知らん土地で!それに一人暮らしするお金は?引っ越し代は?。とてもじゃないけど、高校生一人を、世帯から出して生活させられるほど裕福じゃないわよ。しかも東京の家賃とかって、田舎の"ここ"とは比べ物になら…」


 


 話を遮るように、賢人は母親の問いに答える。




「東京は小学校前半までいたんだから、勝手は分かってるじゃん」


 


 それと同時に賢人は部屋へ入り、自身の本棚から辞書を出す。辞書の損傷を守るための箱を外し、何かを箱から出すように手のひらに向けて箱を振り、中からは鍵が出てくる。


 


 その鍵を机の引き出しの鍵穴へと差し、引き出しを開ける。


 引き出しの中から、長方形の薄い冊子のようなものだけを取り出し母親のそばへ行く。




「これ俺の通帳なんだけど、見てもらえる?」


 


 通帳を開き、一番新しい記帳欄をめくり渡す。




「今俺が持っているお金。これだけあれば学費も3年間の生活費も全部補えると思ってる。バイトもする必要もないくらいはあると思うけど?」


 


 落ち着いたトーンで喋る賢人だが、喋られてる母親は数字の桁数を数えることに夢中で聞く余裕もない。




「いち、にーさん。違う。いちじゅうひゃく……。1000。1000万??????????????」




「うん」


 


 ひと呼吸母親は置き、低いトーンで再び話し出す。




「これどうやって稼いだの?悪いことしてないでしょうね?」


 


 先ほどの通帳を見せた時とは打って変わって真剣な面持ち。




「最近、wetuberって流行ってんじゃん?動画サイトのやつ。それでちょっと稼いだだけ。」




「本当に?」




「うん。」


 


 目の前にある大金の入手方法を聞きき、胸をなでおろすかのように、これまでの真剣さが無くなっていく。


 


 賢人はくぎを刺すように耳打ちをした。




「wetubeを俺がやってることは誰にも知られたくないし内緒だから、誰にも言わないで。」


 


 小さな声で耳元で言い残すと、汗ばんだ後の乾きかけの体から早くおさらばしたい様子で、浴室へ向かいシャワーを浴びる。




 冬真っただ中、もうすぐ卒業の春が訪れる、2月初め。オタク願望にまみれた奴が、オタク人生を充実させるための重要なファクターであった。







「賢人!グラウンドでサッカーしようぜ」




 まだ声変わりすらも終えていない男の子の声が教室に響き渡り、賢人のことを呼んでいる。




「今行くからちょっと待って~~!」




 この頃はまだ幼い、小学校三年生の賢人は、夏真っ盛りの炎天下のグラウンドにもかかわらず、友達と遊ぶサッカーをしたくてしょうがないようすで返事をするが、給食当番の片づけが済んでいない。




 教室の中が異様に騒がしいのは、給食の時間が終わり昼休みに入ってすぐだからである。担任の先生が食後のコーヒーを飲みに職員室へ向かい、教室には誰からの監視の目は一つもない。




 よって、児童たちは半ばやりたい放題で、午後の授業までの40分間をのびのびと騒いだり、友達とじゃれあったりしている。




 賢人の周りが、すでに昼休みを満喫しようかという頃、給食当番である彼と同じ班である数人は、いまだにクラスメイトが食べ終わった食器類を片づけたり整理したりしていた。




 給食後の片づけがほとんど終わり、あとは食器を給食室に返すだけとなった頃、いまだに給食を食べ続けている女の子がいた。




 ――またあの子か……自分で給食室まで片づけてもらって、早くサッカーサッカー!!




 念のため賢人は、給食を食べ終えていない女の子に一言、食器を自分で片づけるように言おうとした時………




「おいブタ女~~~。デブなのに食べるのおっそいんかよ。俺らより食べるの遅いとか恥ずかしーーー!。」




「うわぁー俺らよりご飯の量すくないとか、ダイエット??お前が?気持ちわるーー。はよ食えよブタ!」




 同じ給食当番の内の男女二人が、その女の子に罵声に近い言葉を浴びせる。




 昼休みに差し掛かってもなお、給食を必死に食べ続けている女の子は、賢人の倍くらいの横幅があり、健康診断とかで言う所謂、"太りすぎ"に値する部類の子であった。




 その男女二人というのはクラスの中で最も人気が高い二人であり、いわゆるカースト上位に属する二人である。男子の中の一番と女子の中での一番。この二人の言うことには、クラスの人は誰も逆らうことはできない。




 この心無い言葉はいつものことで、今に始まったことではななく、賢人はその女の子とカーストトップの男子と女子の心無い言葉を、見て見ぬふりをする。




 もし、この二人の言動を止めようとしたり、ケチを付けようものなら、明日は我が身で、賢人自身のクラスの中での立場も危うい。




 賢人はグラウンドに出るために、運動帽子をかぶって、給食の食器が入ったかごを持つ。運動帽子を被って教室を出るのは、そのままグラウンドに直行するためである。




 食器のかごを持ち教室を出ようとした瞬間、教室の中から液体が滴る音が、賢人の耳に入る。




 その音に違和感を覚えた賢人は、食器が入ったカゴを持ったまま振り返る。




 振り返った先には、いつもの言葉の暴力だけではない、カーストトップの二人がいつもする行動よりも、さらにエスカレートした末のロクでもない様子が目に入った。




 カーストトップの男子児童は、半分くらい飲み残された牛乳を手に持って、食べかけの白ご飯の上にぶちかけていたのであった。




「ほ~~ら。これでおかゆみたいで食べやすくなったでしょ?」




 隣にいる女子児童が、男子児童の行動をあたかも正当化したようなセリフを吐く。




 このカーストトップの二人の行動は、これでは終わらなかった。




 女子児童の方が少し余っていたおかずを、白ご飯と牛乳が混じった中にぶち込んでいく。




「あら私、盛り付けの天才?」




 高らかに笑うカースト上位の二人。




 しかし、笑っているのはこの二人だけではない。昼休みとはいえど、この教室には半分近くの児童が残っている。




 教室の中は大爆笑と言うには甚だしい笑いが立ち込める。




 椅子に座っている女の子はもう、机の上の、もはや残飯に成り果てた自分の給食の前で声を必死に抑えて泣くことしかできなかった。




 泣いている女の子にとって、目の前の自身の給食を滅茶苦茶にされたということよりも、自ら手を下さず汚さずに、"中立"という立場の革を被った"見物人"の、壁のような視線が、何よりも痛い。




 そう、少女はクラスの中での"見世物"にされている。




 反抗して「やめて!!」と言えば笑われ、この場から逃げようにも、周りの視線という名の壁が彼女の足を立ち止まらせる。




 女の子は心の中で叫んだ。




 ――だれか助けて!!!!!!




 女の子の心のコップが溢れかけて、ぐちゃぐちゃになろうとした時、賢人は食器の入ったカゴを持ったまま、騒がしい彼らの方へ歩み寄る。




「食器持っていきたいから、ごめんね。」




 賢人は近くの机にカゴを置くと、もはや人間が食べるようなものではなくなったぐちゃぐちゃになった白ご飯の入った食器を手に取って、窓際へ向かう。




「おい賢人!!何やってるんだよ!!」




 カーストトップの男子児童が賢人に向かって叫ぶ。




「早くサッカーしたいからさ……」




 窓際にたどり着いた賢人は窓を開けて、手に持っている残飯じみたものが入った茶碗を窓の外側へと出し、そのまま食器の向きをひっくり返す。




 すると、残飯じみた白ご飯のようなものは、ぺちゃぺちゃと音を立てて、地面に落ちていく。




「邪魔すんじゃねえよ!!」




「早く食べ終わってもらわないと、俺も遊び行けないんだけど……」




「賢人、覚えとけよ?」




 賢人はそのまま食器の入ったカゴを給食室へ運ぶと、外のグラウンドでサッカーをして、クラスメイトの男子たちと元気よく遊んだ。






―翌朝―




「おはよー!」




 教室のドアを開け、いつもと何一つ変わらない元気な声であいさつをした。


 


普段なら、仲のいいクラスメイトの数人は、賢人が発した挨拶に返事をするが、今日にいたっては誰一人挨拶を返してこなかった。




 ――聞こえなかったのかな?




 誰一人挨拶を返さないのは偶然だと、賢人は思ったが、教室に一歩足を踏み入れた瞬間、教室の中が一気に静寂に包まれた。




 賢人の方に向けられるクラス全員の視線。




 昨日、給食を食べ終えられなかった女の子に向けられたのと、同じ類のもの。




「な、なに?みんなして……」




 賢人は周りの視線を気にしないように、自分の机へと向かうが、この状況を受容できていない様子であった。




 あからさまに次の標的にされた彼はいつも通りに、後ろの席の昨日サッカーを一緒にグラウンドでした友達と、会話をしようとした。




「ねえ、昨日のテレビ見た?お笑いの。」




 後ろの席の友達は、ランドセルに入っている教科書を引き出しにしまう最中だった。




「ねえ次の時間って、国語だったっけ?」




 賢人の後ろ席の友達は、一瞬だけ視線を合わせると、そのまま賢人の席とは真反対の後ろに振り返り、別の友達と会話をしだした。




 ――え?




 いつもの教室が果てしなく広く感じ、にぎやかでクラス全体の雰囲気が良いと思っていた、周りの会話や笑い声は、すべて雑音に成り果て、賢人は自分の席から動くことも声を上げることも何もできなくなった。




――火に飛びいる夏の虫




つい最近、国語の時間で習った"ことわざ"があった。




クラスメイトほぼ全員から標的にされた少年は、クラスの中で空気と化すしかなかった。




この行動が功を奏したのか、直接的な嫌がらせを受けることなく、下校の時間になる。




 一日の小学校での日程をすべて終えた賢人は、一人で学校を出て、通学路を一人で歩く。




 いつもなら、家の方向が同じクラスメイトと一緒に帰ったりするのだが、今日は一人。




 少し下を向きながら歩く、ひとりぼっちの賢人の周りを、友達と一緒に楽しそうに会話をしたり、石をけりながら歩く同じ学校の児童。




 ――何でぼくだけが…




 気づいたら家の前に着いた賢人は、いつも通りの表情で顔を上げる。




「ただいまーー」




 元気の良い彼の声が自分の家に響き渡る。




「おかえりー。おやつあるわよ」




 息子の声を聴くとすぐにリビングから玄関へと向かう母親。




「食べる食べる~~。」




「手、洗ってからね。」




「分かったー。」




 家に帰ると温かい空気に包まれ、学校での出来事から一時的にではあるが逃げられた賢人は、思いつめていた緊張が解ける。




 手を洗うために洗面所に向かい蛇口を回す。蛇口からは水道水が際限なく出続ける。




 手を洗いながら、鼻をすする賢人。母親の愛情と今日の小学校での出来事が交錯し、心のコップが溢れたように泣きそうになる賢人だが、母親が洗面所に近づく気配と足を音を聞いて、必死に我慢する。




「まだ手、洗ってるの?」




 母親というものは、我が子のいつもとは違う些細な行動や表情に、いち早く察するものである。




「ちょっとツメの間にゴミが入っちゃって…」




「あらそう?」




 母親は賢人の笑顔を見て安心し、リビングへと戻る。




 賢人の悲しさなんて微塵も見せない振る舞い。完璧な抜かりない作り笑顔に母親は、気づくことができなかった。




 幼い少年が必死に取り繕った努力が、幸か不幸か報われ、いつも通りの平穏且つ温かい家庭での生活を過ごしていく。




 晩ご飯を終えて、出された宿題をこなし、20分ほどでそれらはほぼ終わるが、最後にたった一つ宿題が終わっていなかった。




 最後の宿題をするために、ランドセルの中からノートを取り出す。




 そのノートをを開くと、原稿用紙のような書式になっている。




 ノートを開いていき、何も書いていないまっさらなページを目の前に、思い悩む少年。




 最後に残された宿題と言うのは、日々書き記し担任の先生に提出して、一言コメントをもらうような日記であった。




 賢人は日記帳を目の前に思い悩んでいた。




 別に今クラスの中で自分が置かれている状況を、この日記帳を通じて相談するなどといったことを、しようと考え思い悩んでいるのではない。




 今日あった出来事で話題にするようなことがないことに悩んでいた。




 以前の日常なら、友達と遊んだ話など、子供らしい些細な日々の出来事を話題にできるが、今の賢人は他人から忌み嫌われ、孤独な日々を送っているだけである。




 もし日記に孤独な日々を書き綴ったとしても、〇〇君がだとか、〇〇ちゃんがとかいう三人称を使えるわけもなく、文章は常に一人称になってしまう。




 年端も行かない小学生に、一人ぼっちの孤独な日々の日記をつけるというのは多少酷な話でもあったし、なによりも彼自身、いじめられているということを誰にも知られたくない。




 もしそれが先生にバレようものなら、いじめがさらにエスカレートする可能性だってあったからだ。現に賢人は、クラスでそのような場面を目撃したことがあった。




 とりあえず、学校とは関係ない無難な家庭での出来事を、日記帳につづっていった。


 内容は、目の前の"おやつ"の話であった。




 ※





 賢人が孤独な小学校生活を送ること一か月。




 いつもと一人ぼっちなのは変わらず、学校から帰ると、母親はリビングの椅子に座っていた。その表情はやや神妙で申し訳なさそうな視線を、自分の息子に送っていた。




「賢人、伝えにくいんだけど……」




 母親は賢人の目を見ながら、重い声色で話し始めるが、一度言葉を濁すがすぐに続きを話し始めた。




「お父さんの仕事で、今いる東京から九州の方に引っ越さなくちゃいけないの。」




「うん……」




「だからね、今の学校から違う学校に行くことに……。ごめんね。」




「うん……」




 賢人は相槌を打つくらいの返事しかしなかったが、内心安堵していた。


 一人ぼっちになってしまった小学校生活から"おさらば"できることを。




 賢人は逃げるように椅子から立ち上がると、二階にある自分の部屋へと駆け上がった。


 そのままベッドの上に寝転がると、張り詰めた心から解放されたのか、すぐに眠ってしまった。





 ―1週間後―




 朝の会で担任の先生から呼ばれ、黒板の前に向かう少年は、黒板下の一段高い教壇の上に上がり、先生の隣に立つ。




「皆さんにとって残念なお知らせがあります。今日で矢場賢人君は、この学校から転校するので、皆さんと過ごすのは最後になります。」




 先生のこの一言で教室中がざわめきだす。




 しかし、賢人の目下にいるクラスメイトは、誰一人として、彼に声をかけることはしなかった。




 壇上の上に立つ彼に聞こえるのは、ただの群衆のノイズのみ。




 隣にいる先生は賢人の肩を持つ。




「矢場くん、みんなに一言。」




 ――"一言"?僕をイジメて楽しかったですか?それとも、イジメるサンドバックがいなくなるから行かないでーってか?。




「みなさん、ありがとうございました。」




 下を向き、暗い口調でみんなに放った一言に、教室は静まり返った。

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