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クリフォードの前に置かれた、三冊の冊子。
「『クリミア戦争概論』に『日露戦争概論』、『ハーバーボッシュ法』?」
よく分からない組み合わせの冊子だ。激戦だったクリミア戦争に、極東で弱小国とロシアが戯れた日露戦争。そして、空気からパンを作り出す、ハーバーボッシュ法。
「これでも分からないかあ」
アビゲイルはそう言って思案する。それにクリフォードは少しムッとしたものの、子供相手だからと我慢した。
「まず、クリミア戦争。この戦争から考えると、ロシアは全く近代化が出来ていない。つまり、戦争の初動がどうしても遅い」
「その通りだな」
それは世界の常識だった。
「次に、日露戦争。この戦争から考えると、何か技術革新が無い限り、これからの戦争は長期戦になる」
「どうしてだ?」
これはクリフォードは理解出来なかった。
「日露戦争は、機関銃と大砲に塹壕陣地、そして気球という航空戦力が揃った人類史上初めての戦争なの。この戦争から明らかなのは、機関銃と大砲に守られた塹壕陣地を突破するには、屍の山を築くか、膨大な砲弾を叩き込むかしないと不可能ということよ」
「待ってくれ」
クリフォードはアビゲイルを制止する。
「日露戦争は劣等人種からなる弱小国の日本に、ロシアが戯れに手を出した戦争だ。そんな戦争の教訓なぞ、無意味だよ」
クリフォードの意見は、ヨーロッパ世界の常識であった。しかし。
「戯れ? 本当にそう思うの?」
アビゲイルは鼻で笑った。
「ロシアの戦力は五〇万人に対して、日本の戦力は三〇万人。二〇万人もロシアの戦力が多い上で、用意した砲弾も騎兵も、ロシアの方が多かった。なのに、優等人種であるはずのロシアが、劣等人種であるはずの日本に負けたの。分かる?」
そこまで説明されれば、クリフォードも理解せざるを得なかった。
「……つまり、日露戦争は、戦訓として十分役に立つ、と」
「その通り」
アビゲイルはニコリと笑った。
「それらの上で、ハーバーボッシュ法の登場よ。この技術があると、褐炭や石油から肥料だけじゃなくて、無限に火薬が造れるようになるの。日露戦争の教訓によると、弾薬を多く用意出来る方が戦争に勝てるのだけれど。現状だと、ハーバーボッシュ法のせいで協商陣営よりもドイツの方が弾薬を用意出来る。つまり、協商陣営は不利なのよ」
「祖国が負けると!?」
クリフォードは激昂して席から立ち上がる。偉大なるイギリスが、祖国がキャベツ野郎(ドイツ人)に負けるなぞ、考えたくもなかったからだ。
だが、アビゲイルはその『最悪』を考えていた。
「可能性として、祖国が負けるのはあり得るわ」
「馬鹿な……」
クリフォードは否定したかったが、否定出来る材料が無かった。
力無く椅子に座り込んだところで、アビゲイルは指を立てて言う。
「ふたつ、可能性があるの。ひとつは、フランスがドイツに蹴散らされることで、短期間の戦争で協商陣営が負けること」
アビゲイルは指をひとつ折った。
「もうひとつは、フランスが奮闘することで長期戦になり、経済力の差で協商陣営が勝つこと」
「……ロシアはどうなるのだ?」
何とか正気を取り戻したクリフォードが尋ねると。
「ロシアとドイツの戦いは、戦況にはあんまり関係ないね」
「……何故だ?」
「ロシアの土地は広大だけれど、国は旧態依然だからね。ドイツの兵力を持っていってくれる程度の役割しか期待出来ない」
アビゲイルの評価は辛辣だったが、正論だとクリフォードは思った。
「そうなると、勝っても負けても、祖国イギリスは犠牲を払うことになる」
そこが狙い目。
アビゲイルはそう言った。流石のクリフォードもアビゲイル達が何を狙っているのか、理解した。
「つまりその『Great War』の時、多額の国債を購入したり、義勇軍を派遣したりすることで、トリニダード・トバゴの自治領化を目指す訳だ」
「その通り」
アビゲイルはニコリと笑う。
「『Great War』が起きなかったら?」
「その時は、正攻法で経済力を付けて自治領化を目指す」
アビゲイルの目は澄んでいて。本当に、トリニダード・トバゴの自治領化を目指していることが、よく分かった。
「……分かった」
クリフォードは、覚悟を決めた。
「私も、君達の仲間に入れてくれ」
「いいけど、考えなくていいの?」
「ああ」
クリフォードは頷く。
「『Great War』が起こるようなら、祖国を支援出来る。起こらなくとも、この地が繁栄すれば犯罪が減る。なら、協力するのが当然のことだ」
「分かった。歓迎するよ、『勉強会』に」
アビゲイルは両手を広げた。
「その名は何とかならんのか?」
クリフォードが苦笑すると、アビゲイルは「名前が思い付かなくて」と恥ずかしそうに笑った。
「そうか。なら、そのうち考えよう」
こうして、アビゲイル率いる『勉強会』は、拡大を続けるのであった。