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3.エリコの記憶

スマホから伸びやかな男性ボーカルの歌声が聞こえる。何度聞いても切なさがたまんないなあこのバラード。


素敵なバラードで目覚める朝。私は自宅にはいない。


自宅で起きる目覚ましはピピピッというけたたましい目覚まし時計の音。目覚まし時計の音の方がうるさいはずだけど、

旅先でしかバラードで起きない効果か楽しい予感がよぎって早朝起床も苦にならない。


温泉から朝日を見てから朝ごはんかなあ。表で朝日写真を撮ってからかなあ。朝ごはん、ブッフェで焼きたてパンをとるか和食で固めるか。

ベッドでウニウニいいながら、まずは今日の行動を妄想する至福の時間をあじわってから、ひんやりとクーラーの効いた床に足を下ろす。


家では着替える前についついネットをみたりしてしまうけれども、旅行中の動きは早い。

パジャマから浴衣に着替えて、ざっと髪を結んで歯磨き。目覚めてから30分もたたないうちに、展望風呂から海を見ている。


本当に旅は最高だ。そして、この良さをどう切り取って、他の人に伝えていくか、それが私の本業、旅ライターだ。

まずはフリーでサイトを運営して、アフィリエイト収入とアルバイトで旅を重ねている。OTA、オンライントラベルエージェントといわれる会社のライターとなることも考えたのだけど、そうなるとどうしても旅が取材になってしまう。

プライベートでサービスを受けるからこそ味わえる感動とか、温かい気分、実際にアルバイトを辞めたくなったときの逃避など、プライベートで旅行をする目的で記事を読む人に同じ目線での記事を届けたい。だから旅先もプランも自分の収入と照らし合わせて吟味して選び、書く書かないも自由に選べるフリーの道を選んだ。

そして、実績を重ねたら、ホテルや旅館のアドバイザーで紹介だけでなく、最高のサービスを実際に作り出して提供したい。

それが、私の野望だ。


まだまだアルバイトで稼いだり親銀行⁉︎からお金を借りたりしながら、うんと頑張って背伸びして、国内外のいい旅館やホテルに安く泊まれる策を練って、なんとか自分のサイトに記事を書いている身の上だけど。


旅ライターにも色々ジャンルはある。私には絶対真似できないけれども冒険旅、放浪変わらないような安宿とバスの旅。

何時間もアジアのバスを乗り継ぐ旅など、真似できないからこそ読み物としては面白いと感じてしまう。


真似出来ないという意味ではセレブ旅の紹介もそうだ。大型のホテル一室だけあるプレジデンシャルスイートにお付きの人と泊まり、部屋にシェフを呼んでディナーなんていうのも素敵だ。


このジャンルには憧れはあるけれどもいつかいつかの遠い夢だ。憧れ旅館や憧れリゾートの一番安い部屋など調べつくして実際に泊まることぐらいしか今の私にはできない。


だから、私は滞在先のリゾートや旅館で、景色や空気を味わいながら本を読む時間も好きだ。


現実にできない贅沢部分は、贅沢な本を読んで脳内の贅沢率を上げるのだ。

欧米貴族もの、日本ものでは平安絵巻、中華王宮ものなど、様々な文化の豪華な描写を妄想すると多幸感を育成している。


そうやって頑張って重ねてきた宿泊実績がやっと三桁に届こうかと思った頃。


今回選んだ旅館は国内で、温泉宿だった。全室一戸建て離れの造りで、露天風呂付き客室となっている。

客室露天風呂は、雨の日でも利用できるよう屋根付きで、川に張り出したテラスに石造りの湯舟が設えてあり、手足を伸ばせる充分広さがある。

春秋の季節を色濃く映し出す木々が影を落とす清流。川の流れ、風が揺らす木々、快晴でなく少しの雲で変化する明るさ。そういった景色を眺めていると、飽きることなく長風呂ができる。


泉質は弱アルカリ性単純温泉。単純温泉というと成分が単一なの?などと思っている人は旅のライター失格だ。

単純温泉とは効能成分が規定量までいっていない薄めの温泉。じゃあ、ほぼ沸かし湯なんじゃないなんていっているのもライターとしては勉強不足だ。温泉の効能成分は濃ければ濃いほど良いというわけでもなく、湯当たりをしやすかったり、肌の弱い人には単純温泉のような優しい温泉が良い場合もあるのだ。

それに、温泉の効能成分表には美肌効果は書かれていないけれど、ph7.5から8.4までの弱アルカリ性単純温泉泉質には、角質をとってくれる効果があるといわれている。


湯上りのツルスベ素肌を期待しながら入る温泉タイムに勝るものがこの世にあるのだろうかとすら思ってしまう。


長湯を楽しんだ後は夕食時間。有名料理人の方が監修されたという会席の八寸はまさに芸術。彩りきのこの肉巻き、子持ち鮎の有馬煮、車海老の胡桃白和え、栗の甘露煮などが立体的に作られたお膳に並び、本物の紅葉が散らされて、どこから崩したらこの芸術を邪魔しないかなどと考えるのもまた楽しみの一つ。


そんな楽しい宿泊の翌日、この旅館にほど近い観光名所が廃線ハイキングとあって、旅館に荷物を預けて、私もそのハイキングに向かう事にした。ハイキング跡に再度この温泉のより、立ち寄り湯を利用すれば、また格別の時間を過ごせるだろうという計画だった。

ハイキングルートは整備されているものの鉄道の廃線跡を辿る道筋にはトンネルがつきもの、そしてトンネルには灯りがない。ことが特別感のあるルートとなっている。


ヘッドライトが有れば良かったのだけれども、「我が家にヘッドライトを常備しています!」なんていう家がほとんどないように、家探ししても見つからず、仕方なく持ってきた懐中電灯で照らしながらのプチ冒険だ。


ザクザク、日頃山歩きに慣れてるような生活をしているわけではないけれども、そこは20代の若さ、体力だけでぐんぐんハイキングルートを進んでいく。

まずは昨日湯船で味わった溪谷美を体を動かしながら味わう。ハイキングで眺める緑は、体を動かすことで気分も高揚しているからか、温泉から眺めるのとはまた違った良さがある。


そしてトンネルに差し掛かったため徐に懐中電灯を取り出して照らしてみる。


懐中電灯が照らしている範囲以外は真っ暗闇ながら、足元の枕木は避けられているから歩きやすい。私はズンズンと進んだ。平日でハイキング客もあまりいないこの日のトンネルは静寂に包まれていて不思議な感じだ。

ただ、非日常感に包まれることは、多幸感にもつながっている。


ぷしゅん。トンネルの中程に差し掛かったんじゃないかなと思う頃、実際には音もせず懐中電灯の明かりが消えた。


紛れもない圧倒的な暗闇の中で私は方向感覚を失っていたように思う。


ともかく明かり、明かりと人生史上最大の明かりへの渇望を覚えながら歩いていたはずの私。


ただ、気がつけば横たわっている感覚があって気を失ったのだと気づく。


でも目は開かない。そして、夢を見ていた。

夢の舞台は昨晩夕食後に読んでいた劣等感を持つ王太子を平凡な子爵令嬢が、その平凡さで王太子の心を慰め、見事ライバルの完璧公爵令嬢から王妃の座を奪い取るそんな内容のクライマックスシーン。


王太子が、公爵令嬢エリゼに婚約破棄を突きつけるシーンだ。


煌びやかな王宮の描写に惹かれて手に取ったけれど、この小説読み進めると違和感gあって。私はどうしても主人公に感情移入できなかった。えっ、王太子ともあろう人が公爵令嬢に嫉妬って。で、なんでこの主人公女子、逃避の後の提案がないんだろう。


あなたは、存在するだけで良いのよなんて、時には必要な慰めだけど、それなら王太子の役目を王太子妃が代行してあげないといけないんじゃないかな。他国の侵攻、国の発展という意味で本当に王太子を存在するだけで良しとしてあげてるのは悪役令嬢の方じゃないのかな。


恋物語としては、ハッピーエンドなのかもしれないけれど、視野が狭すぎるというか。誰得って考えると主人公以外誰も幸せ時じゃないような。まあ、悪役令嬢エリゼの相手として地位ともかくこの王太子じゃ役不足。


『怒っていいと思うよ。男の嫉妬なんてどうしようもないクズじゃん。我慢のしすぎは美徳じゃない。逃避も大事、ストレス発散も大事だよ。』


夢だというのに私は思わずエリゼを励ましていた。だって、王妃教育が行き届いていたエリゼは感情を出さずこの後、自分自身を火柱で囲って消えてなんて悲しすぎる。主人公たちにとってだけ都合の良すぎるよ。


ところが、夢の中にエリゼは怒っていた。魔力放出のために転移をしたけれど。

小説では静かな火柱がなんて綺麗事になっていたけれど。

怒りの炎と膨大な魔力が合わさると、凄まじいパワーで、地中に逃したそのパワーは岩場を深く深く削り、火属性の魔力、と水属性の魔力が合わさった真っ赤な液体がその穴を進んでいく。


マグマの注入?


旅先での博物館で見た活火山のできるまでの様子を逆流させて見ているような光景だった。


「危ない、逃げて。火山が爆発する。」


夢だと分かっていても思わず叫んでいた。

その叫びの後、私は何かに吸い込まれるような気がして。


切り替わった次のシーンで。

私は遠目に新しく出来た火山が噴煙を上げる様子を遠目に見ていた。あ、この距離感、あの温泉から火山を眺める感じと同じだなあと旅行の思い出を思い出す。


「あ、この距離だと、いい温泉が湧き出るに違いないわ。」


なぜか私の呟きはエリゼの口から紡がれていた。

まあいいか、どうせ夢なんだから。私は再び深い眠りの誘いに身を預ける事にした。


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