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009 教会堂

 リーシェと私はゆっくりと中心街をまわっていく。イトマラでは都市機能の大部分は中央に位置している。円状に開発されたイトマラでは外縁部に住居が密集し、内縁部に役所や商店が立ち並ぶ。グレンが勤務している医療所も中央街に置かれているらしい。

 中央街に近づくほどに喧騒は大きくなっていく。人混みに慣れていない私は目を白黒させながら、リーシェにぴたりと体を寄せていた。リーシェと一度でもはぐれてしまったならばもう二度と会えないのではないか、不安を拭いきれない私は必死だった。


 賑わう街並みをしらみつぶしに歩く時間はなく、案内された店はリーシェの行きつけに絞られていた。女性向けの衣服やアクセサリーを中心に、家具や食料品を扱う店を順々に巡っていった。訪れた店は、軽く十店を超えただろうか。はじめての出来事の連続に、私はひどく疲れていた。

 どの店でも三百年前では見たことも聞いたこともない品々が売られているのだ。好奇心を抑えることなど、どうしてできるだろうか。


 ――ありのままに述べれば、私ははしゃぎ疲れていた。


 「そろそろ、お昼ご飯にしよっか」


 私が顔を横に向けると、悪戯っぽくリーシェが微笑んでいた。どことなく気恥ずかしさを覚えた私は顔を背ける。思わず私はその場で立ち止まっていた。

 倣うように歩みを止めたリーシェは何も言わない。いくぶんか冷静さを取り戻した私が顔を戻すと、頭にかすかな重みを感じる。フード越しに頭を撫でられていると気づくまでに、数秒かかった。


 子供をあやすような優しげな手つきに身を任せていたが、我に返った私は顔を上げる。どこかお姉さんぶった笑みを浮かべ、リーシェが見つめていた。

 アルスメリア王国では崇拝の対象だった精霊が、リーシェにとってはただの妹分に過ぎない。自尊心を傷つけられ悔しさを覚える一方、慈愛のこもったリーシェの眼差しに満たされている、そんな私もいた。

 三百年間も閉じ込められていた私はぬくもりに飢えているのだろうか? 簡単に心を揺らす私自身のことが信じられず、なんとも居心地が悪かった。


 黙り込んだ私を不思議に思ったのか、リーシェの手が私の頭から離れていく。小さく屈んだリーシェが下から私を覗き込む。慌てて首を左右に振り、私は皮肉っぽい笑みを浮かべた。


 「お昼にするには随分と遅いわね」

 「えっ……ああ、ごめんね。エルティナと一緒に出掛けるのが楽しくて、お昼を忘れてたよ」


 小さく舌を出してリーシェはニコニコと笑う。私は眉根に深いしわを刻み、咎めるような視線をリーシェに向けた。


 「抜けているわね。早く案内なさい」

 「わかってるよ、お腹が空いているんだよね。この時間だから、お店に着いたらすぐに食べられるよ」


 弾んだ声で答えたリーシェは私の頭を一撫でし、ゆっくりと歩き始める。見透かされたのか、それとも鈍感なだけなのか。何も気にしていない様子のリーシェに、小さな敗北感を覚えずにいられなかった。

 私は小さく息を吐き出し、離れていくリーシェの背中を追いかける。リーシェと横並びになると、はぐれてしまわないように体を強く押し当てた。



 「このお店が私のおすすめなんだ」


 リーシェに案内されて目的地に到着したのは五分後のことだった。気分が高揚しているのか、リーシェは小走りで入口へと向かっていくが、私の足は縫いつけられたように動かない。信じられない気持ちで私は建物を見上げていた。

 両手があれば間違いなく私は目をこすっていただろう。視界一杯に広がる建物は、どこか荘厳で美しい。アルスメリア王国では見慣れた建物――教会堂にしか見えなかった。


 「エルティナ、早く来て」


 楽しげなリーシェの声に反し、私の心は沈んでいく。教会堂の壁に刻まれている印を見間違えたりはしない。……潰されてはいるが、薄っすらと精霊協会の刻印が残っていた。

 浮かび上がる涙をこらえるように、下唇を強く噛み締めていく。数秒後、未練を振り払うように大きく首を左右に動かし、その勢いのままに一歩ずつ前へと進み始めた。


 ……戦争から三百年も経っている。もうアルスメリア王国は存在しない。

 祈るように何度も心の中で復唱していく。教会堂の扉を通るころには、いくぶんか冷静さを取り戻していた。時計台は午後二時半を刻んでいる。


 教会堂の中には三百年前の名残が残っていた。ステンドグラス越しの光は美しく、支柱に施された彫刻は精巧で力強い。それは、私のよく知る光景だった。ただ、いくつもの丸テーブルが立ち並び、料理の香りを漂わせる姿を、私は知らなかった。


 リーシェの一歩後ろを私はついていく。昼食をとるには遅い時間であるためか、食事をしている客はたったの四人しかいない。老夫婦に、商人と思しき男性に、年若い衛兵の男性。何の気なしに向けられていた四人の視線が、徐々に私に集中していった。


 まあ、当然の反応かしら。わかっていたことだが、私の口から諦めに似たため息が漏れ出した。


 街中の喧騒にごまかされてはいたが、頭からすっぽりとフードを被り、袖口をふらつかせる私の姿は異様だ。失った両腕が目立たないように、リーシェは袖口に添え木を仕込んでくれたが、まじまじと観察されればごまかし切れないだろう。四人の客が違和感を覚えるのは、不思議なことではなかった。


 リーシェは教会堂をぐんぐんと進んでいき、客から最も離れた壁際の丸テーブルで立ち止まった。丸椅子を引いて私を座らせると、横並びになるようにリーシェは丸椅子に腰かける。四人の客からの視線は、背中で遮られた。


 「遅いお昼だから、簡単なご飯でいいよね?」

 「リーシェに任せるわ。自信があるから、ここを選んだのでしょう?」


 不快感に目をつむり、私は試すような笑みを浮かべてリーシェを見やる。一瞬呆けた顔をしたリーシェはすぐに破顔した。

 リーシェは右手の人差し指を口元に寄せて小さく息を吹きかけ、指先に魔力を込めていく。指をテーブルに押し当てると、ゆっくりと文字を書き始める。

 指の軌跡を追うようにテーブルが淡く光り、リーシェの文字を浮き彫りにした。


 「……どうりで店員がいないわけね」私は小さくつぶやいた。

 「ん? ああ、そうだよ。テーブルに魔力を流すとね、注文できるんだ。こんな感じで書いていってね……最後に丸を書いたら、注文完了!」


 リーシェの指先が勢いよくテーブルから離れていく。その瞬間、テーブル全体が光り出し、数秒も経たないうちに光は消えていった。注文を受け付けた合図なのだろう。


 「……パンと、野菜のスープかしら? パンは一人分で、スープは二人分だと思うのだけど、間違っている?」


 頭の中でリーシェの書いた文字を思い返し、私は訊ねる。リーシェは大きくうなずいた。


 「当たり! 正確には、リズベラパンと季節の野菜ゴロゴロスープだよ」

 「……文字の違いには、まだまだ慣れないわね」


 手を叩いて喜ぶリーシェを横目に、私は肩をすくめる。現代の文字の読み方に関しては、リーシェが私の先生だった。

 現代の文字は三百年前よりも表記が簡略化されており、類推しなければ文字も満足に読めなかったのだ。加えて、三百年前には存在しなかった単語と表現が私の混乱に拍車をかけていた。

 話し言葉に大きな変化がなかったことだけが、私にとっての救いだった。


 「リズベラの実を混ぜたパンは甘くて美味しいけど、ちょっと大きいんだ。二人で半分こにしようね」


 弾んだ声で答えるリーシェに反し、私の表情は曇っていく。リズベラの実? 知らない単語の登場に、私は首をかしげるばかりだった。

 期待に満ちた眼差しを向けるリーシェに微笑み、いつも通りに私は教えを請いた。

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