008 告白
顔を伏せた私は黙り込む。リーシェも私にかけるべき言葉がわからないのか、口を閉ざしていた。喧騒で賑わう通りの中で、私とリーシェの時間だけが凍りついていた。
沈黙は十数秒だろうか、リーシェがおずおずと口を開いた。
「私は、そのペンダントを買えてよかったよ」
小さく顔を上げた私は下からのぞき見る。リーシェは言葉を探すように、つっかえながらも話し始めた。
「その、汚れてたりもしたけど、形は素敵だと思うんだ。……何よりも、エルティナに会えたから、私は嬉しかったよ」
「私に会えて嬉しかったの……?」ふいに疑問が口を衝いて出た。
召喚された当初、私は警戒心からか辛辣な態度をとっていた。戦争の余韻が残っていたためか、心の余裕は全くなかったのだ。嫌われても仕方がない――私も認めずにはいられなかった。
思い掛けないリーシェの言葉が、私の心に小さな熱を灯していた。
「あの、そのね……最初は精霊だから嬉しかったけど、今は違うの。……い、妹ができたみたいで嬉しいの!」
恐るおそる話していたリーシェが、唐突に声を張りあげる。驚きのあまり顔を上げた私は呆然とリーシェを見つめていた。
ぼかすように『精霊』と言ったのは、私の存在を周囲に知らせないためか。それとも、『精霊』だから仲良くしていると、私が誤解することを避けるためか。嫌な想像が頭を巡っていく。
顔を赤らめたリーシェは、私に向かって身を乗り出してくる。勢いに押され、私は半歩後退った。
「エルティナは、私の妹は嫌?」リーシェは縋るような瞳で見つめてくる。
「……私の方が年上よ。姉は、私ではないかしら?」
私は何を言っているんだ!
混乱するあまり冗談めいた言葉を口にする。リーシェは目をパチパチと動かし、私の言葉を反芻しているようだ。小さな後悔を覚えたが、吐き出した言葉を取り消すことはできない。
リーシェは数秒間瞑目すると、真剣な表情で私を見た。
「やっぱり、エルティナは妹だよ。お姉ちゃんは、私だと思う」
力の込められたリーシェの声が響く。どこか得意げな笑みを浮かべた姿に、私は目を丸くする。リーシェは笑みを深めると、フード越しに私の頭を撫で始めた。リーシェの右手を押し返すように、私は顔を押し上げた。
「何となくだけど、私とエルティナは似ている気がするの」
「似ている……?」無意識に私はつぶやいていた。
「そうだよ! 似ているの! ……あのね、エルティナは寂しいのかなって、思うのだけど……違う?」
リーシェは窺うように訊ねる。小さく膝を折ったリーシェは、私と目線を合わせた。見透かされたことに驚き、私は視線を泳がせる。
そっと私の頬を右手で押し出し、リーシェと私は正対する。数秒後、私は躊躇いがちにうなずいていた。
「寂しそうなエルティナの顔、見たことあると思ったの」
一瞬、リーシェは悲しげな表情を浮かべる。首を小さく左右に振り、リーシェは柔らかく微笑んだ。
「お母さんが死んじゃったときの私と、同じ顔してたよ」
リーシェはさらりと告げる。私は表情が強ばっていくのを感じた。
「お母さんが大好きだったから、寂しかったな……。エルティナにも、大好きな人がいたんだよね?」
気遣うような口調でリーシェは訊ねた。小さくうなずく私を一撫でし、リーシェは立ちあがる。見上げている私の両頬をつまむと、優しくもにゅもにゅと動かしていく。払い除けることもできず、リーシェに好き勝手に弄られていた。
十数秒が過ぎる頃、リーシェの両手が頬から離れていく。私の表情から、硬さは抜け落ちていた。
「私は……寂しいのだと、思うわ」本音が口から衝いて出た。
「知っているよ。……お父さんがいるからって、お母さんがいなくて平気なわけないもの。大好きだから、寂しくて、悲しくて、当たり前なんだよ」
私とリーシェ自身に言い聞かせるように、優しげな口調でリーシェは話す。これが、リーシェの本心なのだろう。自然と私の心にも染み渡っていく。
「お母さんの代わりなんて、どこにもいないよ。……でもね、わかってくれない人も、多いんだ」
リーシェはくしゃりと表情を歪め、悲しげにつぶやいた。何かを思い出しているのか、目を伏せたリーシェは唇を引き結び、黙り込んでしまった。……リーシェも悔しい思いをしたのだろうか。胸に沸き立っていた不快感を思い出し、私はペンダントへ視線を送る。
アルスメリア王国を否定されたと私が感じたように、リーシェにも母親を否定されたと感じる出来事があったのではないか。嫌な想像が脳内を駆け巡っていく。私は大きく首を振り、リーシェに向かって重々しく一歩近づいた。
「リーシェ、寂しいの。どうしたらいいのか、私に教えてくれないかしら?」
俯くリーシェを、私は縋るような上目づかいで見やる。まぶたを二度三度と動かしたリーシェは、まじまじと見つめ返した。
数秒後、小さく息を吐き出し、リーシェは表情を緩めていく。仕方ないなぁ、と言いたげに微笑んだ。
「割り切ってしまうんだよ。私が大好きだから、それでいいんだって」
「それだけ?」
「それだけだよ。他の人が何を言っても、お母さんが大好きだもん。私の気持ちは変わったりしないから」
堂々と言い切ったリーシェは自分の胸を強く叩き、自信に満ちた瞳を私へと向ける。リーシェの言葉が染み渡っていくにつれ、私の全身から力が抜けていく。自然と微笑み返していた。
自分が好きならばそれでいい、リーシェの答えは酷く単純だ。それゆえに、的を得ていると思えた。誰もにわかってもらいたい――私の願いは傲慢だったのだろう。そもそも三百年後の人々にアルスメリア王国を知ってもらってどうなるというのか。亡くなった精霊も人も戻ったりはしないのに……。
憎悪がないと言えば、間違いなく嘘になる。それでも、三百年後を生きるリーシェやグレンには罪はないのだ。私が恨むべきは、三百年前の人間たちだ。今を生きる人々に私が復讐したところで、三百年前に戻れるわけでもない。リーシェの言葉の通り、割り切って生きる方がまだ前向きだろうか。
「リーシェの考えは、きっと正しいわね。でも、簡単なことではないわ」
「わかっているよ。だから、私がエルティナのそばにいてあげるんだ。お父さんが私にしてくれたみたいに、私がエルティナと一緒にいるよ」
私の不安を吹き飛ばすかのように、リーシェは堂々と言い切る。小さく胸を張る表情は、どこか得意げだった。
「姉として導いてくれる、そういうことかしら?」
期待に満ちた視線を送るリーシェに、私は望み通りの答えを返す。リーシェは大きくうなずいた。
「エルティナは、私に任せてくれればいいんだよ。私がずっと一緒にいてあげるから、一人になんてさせてあげないよ。寂しさなんて、忘れさせてあげる」
「いや、ずっと一緒にって……自分の時間を大切にするべきだと、言ったと思うのだけど?」
「別にいいの! 私がエルティナと一緒にいるって決めたんだから」
リーシェは不満げに言うと、体を反転させて通りを歩き始める。数歩進むたびに顔を振り向かせ、立ち止まったままの私を見やった。不安げに顔を歪めるリーシェに、思わず私は小さく息を吐き出していた。
「リーシェ、私を置いていかないで」
私は慌ててリーシェの後を追う。リーシェと私が横並びになると、リーシェは満開の笑みを咲かせた。
「さあ、街へご案内だよ」
リーシェは弾んだ声でつぶやき、真っすぐに正面を指さす。軽い足どりでぐんぐんと歩いていく。
この子とならば、私はもう一度生きていけるのでは? 小さな期待と大きな不安を感じながら、リーシェの背中を追いかけていた。