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005 拒絶

 工房から住居までは少し離れているのか、グレンは私を横抱きにしたまま歩き続ける。両手のない私には、グレンの首に手をまわして体を支えることはできない。不安定に揺れることを嫌った私は、頭をグレンの胸に押しつける。グレンも必要以上にゆっくりとした足取りで歩みを進めていく。


 「ただいま」グレンが私を抱いたまま玄関に入る。

 「おかえりなさい、お父さん。……精霊様」


 グレンの声に反応し、俯いたまま玄関で立ち尽くしていたリーシェが顔を上げる。グレンから私へと視線を移し、リーシェの表情は硬いものへと変わっていく。陰鬱な声でつぶやいていた。

 リーシェは私と見つめ合ったまま黙り込む。数秒後、くしゃりと悲しげにリーシェの表情は歪んでいった。


 「――ごめんなさい!」


 リーシェは涙声で言うと、勢いのままに走り出す。グレンの「リーシェ!」と呼ぶ声にも止まりはしなかった。遠くで扉の閉まる音が聞こえた。


 ……短い間にずいぶんと嫌われたものね。

 仲良くなりたい、そう言ったのは嘘だったのか。リーシェが逃げ出した先を私は睨みつけていた。


 「リーシェのこと、怒らないで欲しいんだ」グレンが小さく頭を下げる。

 「心配しなくても、嫌われていることは理解しているわ」


 私が答えると、グレンは悲しげに眉根を寄せる。もの言いたげな眼差しで私を見つめてきたが、何も言い出しては来ない。グレンは小さく息を吐き出した。


 口を閉ざしたままグレンは歩き始める。私も何か話しかけたりはしない。

 廊下を進み、リビングに着くと、グレンは近場のソファーへと私を下ろす。工房とは異なり、ものが散乱している様子はない。本は書棚に納められ、窓も丁寧に磨かれている。折りたたまれた女性用の衣服が、テーブルの上に置かれていた。

 ……リーシェが用意してくれたのだろう。


 グレンも私の着替えに気づいたのか、テーブルに近づいていく。私はあからさまなため息をついた。


 「貴方が、私を着替えさせるつもりなの?」


 私が険を含んだ声を出すと、衣服を抱えて振り返ったグレンが固まる。

 グレンは一瞬瞑目した後、私にうなずいて見せた。


 「……君には悪いけど、僕が着替えさせるよ。今のリーシェには、お願いできそうにないからね」


 リーシェのことが気になるのか、グレンはどこか気もそぞろな様子で答える。私は大きく嘆息した。



 「本当に任せてもいいの?」グレンが不安そうにつぶやいた。


 リーシェの部屋へと案内するグレンの表情には、困惑が色濃く表れている。私を勝手に召喚しておいて自分勝手なことだとは思う。しかし、リーシェを曇らせている元凶が私であることは間違いない。その元凶をリーシェのもとに近づけることが良いことか、グレンには判断がつかないのだろう。


 私は「任せなさい」とつぶやき、力強くうなずいて見せる。

 平静を装うグレンは足を速めていくが、私を横抱きにする両腕はかすかに震えていた。


 リーシェの部屋の前で私は床に降ろされる。その場で二歩三歩と前後に歩き、念入りに足の動きを確認していく。どうやら足の感覚が戻りつつあるのか、久しぶりの歩行に問題はなかった。


 私は目線で合図を送り、グレンをリーシェの部屋から遠ざける。ためらいがちにうなずいたグレンは、何度も振り返りながら、のろのろと廊下を歩いていった。

 グレンの姿が完全に見えなくなった後、私はリーシェの部屋の前に立つ。右肘で扉をノックした。


 「扉を開けてくれないかしら?」


 数秒待ったが、扉が開く気配はない。もう一度ノックをしてみるが、結果は同じだった。扉は固く閉ざされていた。


 「……嫌いな相手を部屋に入れるわけないわね」


 小さく独り言ちると、私はゆっくりと目を閉じる。大半の魔力を失っているのか、今の私に使える魔法はごくわずかだ。

 まぶたを開いた私は小さく口ずさむ。


 『風の精よ、力を貸しなさい』


 意思を魔力に載せ、全身から放出してする。私を中心に大気が揺れ始め、イプスに私の魔力が溶け込んでいった。

 足元に巻き上がる小さな竜巻をイメージする。その瞬間、ふわりと私の体が宙へと浮き上がる。前へ後ろへ、右へ左へ。願うままに竜巻が私を運んでいく。……どうやら制御の腕は衰えていないらしい。


 背後から床の軋む音が聞こえ、私は竜巻を消し去る。床へと足をつけた私は小さく息を吐き出していた。

 振り返った先には、険しい表情を浮かべたグレンの歩み寄る姿があった。近づいてくるグレンを、私は強く見返す。

 数歩先の距離で、グレンは立ち止まる。胡乱げに私を見下ろした。

 

 沈黙は十数秒間だろうか、私とグレンはにらみ合っていた。

 唐突に、グレンが肩を竦める。諦め混じりに「……任せたよ」とつぶやき、壁に身を預けて黙り込んだ。


 不安そうなグレンに背を向け、私はリーシェの部屋に向き直った。

 再び意識を集中させた私は、風を巻き起こす。そして、リーシェの部屋の扉を吹き飛ばした。


 「お邪魔するわね」一声かけて私は部屋へと踏み入れる。


 真面目そうな見た目に反し、リーシェの部屋は少し散乱していた。飾られていたファンシーなぬいぐるみは何体も倒れ、書棚からは本が落下している。全体的に落ち着いた色彩の中、ぬいぐるみや花を活けた花瓶がアクセントとなっていた。

 風で浮かせて部屋の扉を入口に立てかけた後、私はリーシェを見つめる。ベッドに腰かけていたリーシェは、呆然と私を見上げていた。


 「着替えを用意してくれて、ありがとう」私は微笑んで見せた。

 「……えっ、はい」


 引き気味に答えるリーシェを無視し、私は足を進めていく。一歩、二歩と、近づくたびにリーシェの瞳に怯えの色が浮かび上がる。私は足を止め、俯いていくリーシェをまじまじと見下ろした。

 私はリーシェに聞こえるようにわざとらしくため息をついた。


 「貴方は、私に嘘をついたのかしら? 仲良くなりたい、そう言ったのは本心からではなかった。……そういうことなのね?」


 私は咎めるような口調で言う。リーシェは弾かれたように顔を上げた。


 「ち、違います。私は、本当に精霊様と、仲良くなりたいと思って――」

 「――私が怖いかしら」


 リーシェは顔を引きつらせ、口をパクパクと動かす。何か返す言葉を探しているのだろうが、待てども何の答えも得られない。泣き出しそうな顔で、耐えるように口を引き結んだ。

 私は一心にリーシェの瞳だけを見つめる。涙で潤んだ瞳が、私から逸らされることはなかった。


 「貴方は、私とどうなりたいのかしら? 私と友人になりたいの? それとも、私の下女になりたいの? 私にはさっぱりわからないわ」


 私は吐き捨てるように訊ねる。どこかちぐはぐなリーシェの態度に、真意を掴めずにいた。


 友人になりたいのならば、私から逃げなければいい。リーシェを嫌いになるほど、私はリーシェを知らないのだから。下女になりたい場合も同じだろう。使い捨てて欲しいのか、臣下として扱って欲しいのか。煮え切らないリーシェの態度に、疑問がふつふつと沸き上がっていく。


 黙り込んだままのリーシェに向かって私は歩み寄る。真正面に立った私は、リーシェを見下ろして口を開いた。


 「貴方の答えを聞かせてくれるかしら?」


 そんなに私が怖いのかしら? 内心でため息をつく。


 唇を強く噛み締めるリーシェの表情は、ぐちゃぐちゃに歪んでいる。瞳からは幾筋も涙を零している姿を見れば、私との友好関係を望んでいるとは到底思えなかった。

 これ以上、リーシェと居ても何も変わらないだろう。踵を返し、私は出口に向かって歩き始めていた。


 グレンから失った両手を取り戻す方法を聞き出し、ここから早々に出て行く――私の中で今後の方針が固まった。


 リーシェの部屋から出てきた私を、腕を組んだまま壁に背を預けていたグレンが迎える。何の成果も得られなかった申し訳なさからか、私は深く頭を下げる。グレンは首を左右に振って答えた。


 リーシェから遠ざかるべくリビングに向かって私は歩く。その後を追ったグレンは私から何も聞き出そうとはしない。私もグレンも振り返ったりはしなかった。

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