043 復帰
リーシェ視点です。
精霊のまがい物――ゲオルグの指摘は正しい。エルティナの魔法を借りているに過ぎないことは、私自身もわかっていた。
エルティナのように蝶へと姿を変えたりはしていないが、今の私は精霊よりも魔物に近いのだろう。物言わぬ真白の蝶たちの想いがひしひしと感じられた。
主人であるエルティナを守る。真白の蝶たちから感じるのは、それだけだ。
この場でもっとも多くエルティナの魔力を継いでいたのが私だったから、仮初のリーダーに選ばれただけだ。
エルティナならば蝶たちを自在に指揮できるのかもしれない。でも、私にはできそうにもない。攻めろ、守れ、待て。単純な行動を伝えることが精一杯だった。
だから、ゲオルグに突破されるのは時間の問題だった。
「――所詮、お前はエルティナ様の偽物。まだ気づけないのか、この愚か者が」
ゲオルグが魔銃の引き金を引くたびに、真白の蝶たちが溶け落ちていく。はらりはらりと舞雪が降り積もっていった。
私の大雑把な指揮ではゲオルグの射撃を避け切ることは難しい。自然と守りが中心となり、真白の蝶たちは折り重なるように固まる。密集したところを狙い撃ちにされていた。
さりとて、守りを薄くすればゲオルグの魔弾は私を射抜く。悪化していく状況を覆す方法は、一つしか思い浮かばなかった。
一縷の望みをかけて水晶玉に閉じ込められたエルティナを見つめる。深い眠りに落ちているのか、エルティナの体はぴくりとも動かなかった。
水晶玉に触れた手のひらがヒンヤリと冷たい。こぶしを握りしめて力任せに水晶玉へと叩きつけるが、私の力で割れるとは到底思えなかった。
ゲオルグも私の意図に気づいているのだろう。私への攻撃が苛烈さを増していく。エルティナを目覚めさせる方法を考える余裕などなく、水晶玉を庇うように抱きつくことしかできなかった。
守って、守って、守って――。心の中で何度も願い続ける。
私の願いに、是と応える声は少なくなっていた。
真白の蝶たちを打ち抜く音に、私の肩は何度も跳ねる。
徐々に大きく近くなっていく音が死へのカウントダウンを告げていく。体中の震えを抑えられず、カチカチと歯と歯のぶつかる不快な音が大きく響いていた。
「――リーシェ、大丈夫か?」
唐突に響いた優しい声。弾かれたように私は振り返った。
「……カーティス、遅いよ」
私はくしゃりと表情を歪めて声を絞り出す。上半身を外気に晒したままのカーティスの大きな背中が、私からゲオルグを隠していた。
「死にぞこないが、まだ立ち上がるか」ゲオルグが忌々しげにつぶやいた。
「俺はリーシェとエルティナを守る。まだ死ねるかよ」
カーティスは吐き捨てるように告げる。その右手には血で汚れたナイフが握られていた。
「お前こそ、いい加減にその傷を治したらどうだ。お前も精霊石は持っているんだろ? ……そのままだと死ぬぞ」
「奇襲に失敗した時点で、お前の死は決まっている。俺の心配をする余裕が、お前にあるのか?」
「衛兵としての義務を果たしただけだ、本気にするなよ」
カーティスとゲオルグの声はどちらも酷く冷たい。私は初めて知るカーティスの姿にジリジリと後退っていた。
「俺はお前を殺す」
「やってみろよ、死にぞこない」
ゲオルグが最後まで言い終える間もなく、カーティスは走り出す。私は慌てて真白の蝶たちにカーティスを守るように指示を出した。
ナイフを振るうカーティスと、魔銃を撃ち放つゲオルグ。遠距離から連射できるゲオルグに分があるのか、カーティスは攻めあぐねていた。
真白の蝶たちが盾にならなければ、カーティスは距離を詰められないのではないか。戦闘に長けていない私でもわかるほど、ゲオルグの射撃は精確だった。
ゲオルグは傷ついた左半身を気にする様子もなく、一匹二匹と蝶を撃ち落としていく。ただ、カーティスから遠ざかるために後退を繰り返していた。
気が付けば私とエルティナだけが取り残されていた。
水晶玉の中で眠るエルティナは身じろぎひとつしない。
艶やかな髪が浮き上がり、あどけないエルティナの寝顔を晒している。月明りに照らされ、蠱惑的な雰囲気を漂わしていた。
コンコン、と水晶玉をノックする。エルティナの表情は変わらない。
護衛として残った蝶に攻撃を命じるが、水晶玉には傷ひとつつかない。一匹二匹と攻撃の手数を増やしても、結果は同じだった。
「……エルティナ、起きてよ」
その場にへたり込んだ私は、やるせなさを吐き出すように握りこぶしを水晶玉へと振り下ろす。何度も何度も振り下ろし続けた。
真っ赤に腫れたこぶしがズルズルと落ち、水晶玉の表面に血の河を描いていく。
こぶしが地面につくと同時に、私は蹲って頭を垂れる。瞳からポツポツと零れ落ちた涙で地面にシミができていた。
首から下げたペンダントが地面に接する。私の体でできた影の中、朱色の宝石が輝いていた。
そっと触れた宝石には、まだ熱が残っている。
私は体を起こしてエルティナを見上げ、繋がりを確かめるように魔力を求める。握りしめた手のひらの中、少しずつ発熱していく宝石に、私は心から安堵していた。
一秒……二秒……三秒……。
不安に押し殺される心を保つために、エルティナから魔力を受け取り続けた。
どれだけ座り込んでいたかはわからない。じっとエルティナを見続けていた私は唐突に目を大きく開いた。
――ほんの一瞬に過ぎないが、エルティナの眉が苦しげに歪められていた。
私は慌てて手のひらを開き、宝石を見やる。
それが正解だ、そう言わんばかりに宝石は輝きを増していた。腫れたこぶしを無理やりに開き、私は両手で宝石を包んでいく。
口から飛び出しかけた悲鳴を飲み込み、強く強く宝石を握り込んでいった。
強く噛んで下唇が切れたのか、口の中に血の味が広がっていく。浮かび上がった涙で視界も薄ぼんやりとしていた。
それでも、私は顔を上げて笑っていた。
眠り姫の安眠は終わりを告げ、その表情は不快そうに顰められていた。
ピクピクと眉はせわしなく動き、指先も少しずつ動き出す。水晶玉が一つ二つとひび割れていった。
水晶玉の砕ける音が絶え間なく響く。パキリパキリと亀裂が走るたびに、私の笑みは深まっていった。
「――エルティナ!」
不快げにエルティナが目を開いた瞬間、私は叫んでいた。
私の声が届いていないのか、不機嫌を隠しもしないエルティナが左から右へと視線を動かしていく。そして、見上げる私と目が合った。
「――!」
慌てた様子でエルティナの口が開く。パクパクと何度も動いているが、声は聞こえてこない。けれども、心配そうなエルティナの表情だけで気持ちは十分に伝わっていた。
宝石から両手を離し、私は涙を拭う。
心配しないで、私は大丈夫だよ――そう伝えるために私は微笑んだ。
そっと立ち上がり、泣き出しそうな顔のエルティナへと手を伸ばす。水晶玉に遮られて直接触れられないことが恨めしかった。
「エルティナを助けて」
私は真白の蝶たちに願う。その瞬間、真の主を救うべく一斉に水晶玉へと飛びかかっていく。エルティナも内部で暴れているからか、水晶玉が崩れ落ちるのは一瞬だった。
咄嗟に私は後退るが、伸ばしたままの手を掴まれて立ち止まる。私の胸元に顔をうずめるようにエルティナが飛び込んできた。
小さく体を震わせながらエルティナは私を強く抱きしめていた。
「助けに来てくれてありがとう、エルティナ」
私はエルティナの頭をゆっくりと撫でていく。エルティナは弱々しく首を左右に振った。
「……ごめんなさい、リーシェ」
「どうして謝るの? 謝ることなんて何もないんだよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんな――」
「――エルティナ!」
涙声で謝罪を繰り返すエルティナを無理やりに引き剥がし、両頬に手を添えて顔を上げさせる。怯えを孕んだ瞳が下を向いていく。声にならなくともエルティナの口元は『ごめんなさい』とつぶやいていた。
「……どうしちゃったの、エルティナ。謝らないで」
私は優しく告げるが、エルティナの声なき謝罪は止まらない。エルティナの視線を追うと、私の髪をじっと見つめていた。
「私の髪が気になるの?」
下ろした髪を掴んで顔の横へと掲げて見せる。目を大きく開いたエルティナが許しを請うような顔を私に向けた。
私も今になって気づいたが、金色だった髪は白銀へと変わっていた。
「それとも、この模様が気になるの?」
髪から手を離し、私は右腕に走った赤い線を指差す。エルティナの顔がくしゃりと苦しげに歪んでいく。
私はエルティナの姿を上から下に見下ろした後、その顔をまじまじと見やる。そして、小さく吹き出した。
「この髪も、この模様も、私は気に入ったよ」
手を伸ばしてエルティナの髪に、そして頬に触れていく。
「私の髪はエルティナの髪と似ている。腕の模様もエルティナの模様と似ている。何だかお揃いみたいだと思わない? エルティナと一緒で私は嬉しいよ」
エルティナは違うの? そう問いかけるように私は微笑んだ。
「……リーシェは気にならないの? 髪の色が変わるのも、体に模様が浮かぶのも、普通ではありえないことだわ。気持ち悪いと思わないの?」
「別に思わないよ」
窺うように訊ねるエルティナに私は首をかしげる。エルティナの頬に浮かぶ赤い模様を指先でなぞっていく。
「前のエルティナと今のエルティナ、何か変わったの?」
硬い表情のエルティナの頬を軽く引っ張りながら訊ねる。私の中では何てこともない質問に、エルティナは十秒近くかけて「……変わらないわ」と小さくつぶやいた。
「エルティナは変わっていないよ。私だって、きっと変わらない。……エルティナは、今の私のことは嫌い? 気持ち悪い?」
エルティナは大きく首を左右に振る。私はそっとエルティナを抱き寄せた。
「私は後悔なんてしてないよ。だから、もう謝らないで」
「……わかったわ」
「『ごめんなさい』よりも『ありがとう』が聞きたいな。私、頑張ったんだよ? 褒めてよ、エルティナ」
私は冗談めかして本音を漏らす。エルティナは泣き顔よりも笑顔の方が似合う。悲しげな顔で謝られるのには飽き飽きしていた。
数秒間、エルティナは黙ったまま目をパチパチと動かしていたが、唐突に両手で私を押し出す。俯いたまま一歩二歩とエルティナは後ろへと下がっていった。
「リーシェ、貴方は馬鹿よ。大馬鹿者だわ」
エルティナは涙混じりの声で憎まれ口を叩いた後、ゆっくりと顔を上げる。
「……助けてくれて、ありがとう」
泣き笑いの表情でエルティナはつぶやき、恥ずかしそうに顔を逸らした。




