040 覚悟
リーシェ視点です
走る、走る、走る――。エルティナを見つけるためにひた走る。
もう諦めろ。エルティナは瓦礫の下だ。助けられるわけがない。
激しく脈打つ鼓動が、正気に戻れと何度も何度も告げる。下唇を強く噛んだまま、首から下げたエルティナのペンダントを強く握りしめていた。
私とエルティナが契約を結んだ証。その宝石に祈りを捧げれば、弱々しくもエルティナの魔力を感じる。
いつ消えても可笑しくはないほどに、ささやかな希望の火が灯っていた。
「……エルティナ、こっちにいるの?」
エルティナの魔力を手繰り寄せるように神経を尖らせていく。私の願望に過ぎないかもしれないが、エルティナから送られる魔力が僅かに強まっていた。
「――リーシェ」
唐突に後ろへと引っ張られ、私は両肩を抱き留められる。驚いて顔を上げると、どこか悲しげな表情でカーティスが微笑んでいた。
「俺が先に行くから、後ろからついて来てくれ」
「……わかったよ」
諭すようなカーティスの口調に私は小さくうなずくことしかできない。すれ違いざまに私の頭を一撫でし、カーティスは私を置き去りにして走り出していった。
ペンダントを握る手に力がこもっていく。やるせなさを振り払うように首を大きく左右に振った後、遠ざかっていくカーティスの背中を追いかけた。
「……カーティス?」
ヤナカイト城を半周する頃、先行するカーティスが走るのを止めた。瓦礫の山に身を隠しながら、死角を覗き込んでいた。
私が追いついたことも気にならないのか、カーティスの視線は釘づけになっている。覗き込みたい衝動を抑え、私は必死に呼吸を整えていた。
「エルティナは……もう助けられない」
小さく肩で息をする私に向かい、カーティスは悲痛な声で告げた。
カーティスの言葉を理解するまでにどれだけの時間を要したのだろうか。フリーズした頭が再起動した瞬間、痛ましげに歪められたカーティスの表情が視界に飛び込んできた。
次いで、両肩を掴まれて揺さぶられていたことに気づく。ジクジクと両肩に痛みが走っていった。
私は両手でペンダントを握りしめ、強くまぶたを下ろす。――宝石を通じて届けられるあたたかさは、まだ失われてはいなかった。
「エルティナは、死んでなんていない。……助けられるんだ」
宝石を両手に乗せたまま、私はカーティスに差し出す。宝石はその存在を主張するように真紅に輝いていた。
カーティスは恐るおそる右手を伸ばして宝石に触れた。
「リーシェ、エルティナが大切か?」
「大切だよ」私は間髪を容れずに答えた。
「……そうか」
宝石を見つめたままのカーティスが小さくつぶやく。私はカーティスの右手越しに宝石を包み込んだ。
「エルティナは生きてるんだよ……カーティスも感じるよね?」
「……ああ、感じるよ」
カーティスは今にも泣き出しそうな声で言う。私の瞳からは涙が零れていた。
「私はエルティナを助けたいんだ。カーティスも力を貸してよ、お願いだから」
両手に力をこめてカーティスの右手を強く握りしめる。潤んだ視界の中、カーティスの答えを待ち続けた。
「俺は、リーシェを死なせたくないんだ」
「知ってるよ。私もカーティスに死んで欲しくない。……でも、エルティナにも死んで欲しくないの」
「……わがままだな、お前は」カーティスは小さく笑った。
「私は悪い子だから、わがままなんだ」
私は泣き笑いで答える。次の瞬間、カーティスの左手がクシャクシャと強く私の頭を撫でまわしていった。
ひとしきり笑い合うと、カーティスは優しく私の涙を拭っていく。私の手を引いて瓦礫の山へと身を寄せた。
「リーシェ、覗いてみろ」
私は促されるままに、瓦礫の影から顔を出す。そこには――幻想的な光景が広がっていた。
中央に位置するは、全身を白銀に染め上げた巨大な蝶。ヤナカイト城の二階に届くほどの高さは、通常の蝶では考えられない。白銀の蝶を守護するように真白の蝶が周囲を飛び交っていた。
白銀の蝶が羽ばたくたびに、世界は白銀へと変わっていく。まるで舞雪のように鱗粉が降り注ぎ、月光のスポットライトを浴びて白銀の世界は光を放つ。その主である白銀の蝶が悠然と翼を広げていた。
「……綺麗」私は感嘆の声を漏らしていた。
「見た目だけは綺麗だな。だが、あれは……魔物だ」
苦々しく言い切るカーティスに私は視線を送る。いつの間に取り出したのか、カーティスの右手には大ぶりなナイフが握られていた。
私はゴクリと小さく喉を鳴らす。
「あの蝶と、戦うの?」
「いや、違うな。俺が戦うのは、リーシェを誘拐した……あの男だ」
カーティスが左手で指差した方角を眺める。目を凝らした先では、真紅に体を染めた男が真白の蝶に襲われていた。
思わず後退った私を、カーティスが左手で抱き留めた。
「エルティナは負けたんだな」
夜空を仰ぎながらカーティスは小さくつぶやく。
「敵討ちくらいはしてやらないと、エルティナも報われないだろうな」
「――エルティナは生きているんだよ、勝手に殺さないで」
カーティスの独り言を、私は即座に否定する。数秒間、カーティスは私の顔をじっと見つめていた。
黙り込んだカーティスを見ているうちに、私の激昂した心は静まっていた。
「そうか、リーシェは知らなかったんだな」
「何を言っているの?」私は首を傾げて訊ねる。
「精霊が堕ちた姿が魔物なんだ。……そして、この場にいた精霊はエルティナだけだ。リーシェ、ここまで言えばわかるだろ?」
カーティスの腕から抜け出し、私は白銀の蝶を見やる。
あの白銀の蝶が、エルティナ? 信じられない気持ちでカーティスを見返すが、気遣わしげな表情で小さくうなずくばかりだった。
顔を白銀の蝶に向けて、その姿を観察する。私の知るエルティナの面影はどこにもなかった。拭い切れない不信感からか、そっとペンダントの宝石に触れ、エルティナからの魔力を求めてみる。
エルティナの魔力を感じた瞬間、白銀の蝶が私に顔を向けた。
「――リーシェ!」
突然、カーティスに腕を引っ張られて瓦礫の影へと戻される。私を背に庇うようにカーティスは前に出ると、ナイフを正面に構えたまま白銀の蝶を覗き込んでいた。
尻もちをついたまま、私は呆然とカーティスを眺める。手のひらに収まったままの宝石は、その存在を主張するように強く発熱していた。
カーティスはたっぷりと一分間は警戒し続けただろうか。小さく息を吐き出す後、私へと振り返る。座ったままの私に手を差し伸べてきた。
私はカーティスに手を引かれて立ち上がった。
「どうやら攻撃の意思はないみたいだ。……運が良かった」
「エルティナは私とカーティスを傷つけたりしないよ、絶対に」
私はペンダントの宝石を強く握りしめ、カーティスを見上げる。数秒間、カーティスはまぶたを下ろして黙り込んだ。
「あの蝶にエルティナの意思が残っているなら、そうかもしれないな」
「そうだよ、エルティナは優しいから……魔物になっても、『エルティナ』は『エルティナ』だよ」
「……リーシェ、エルティナを助けたいか?」
カーティスは苦悩に満ちた声で訊ねる。私は「助けたいよ」と即座に答えた。
「エルティナを助ける方法を教えて。知っているんだよね?」
私は一歩を踏み出し、カーティスとの距離を縮める。後退ったカーティスを逃がすまいと二歩目を踏み込んだ。
「カーティス、教えて」
「……エルティナはお前が傷つくことを望まない。俺は――」
「――後悔したくないの」
カーティスの肩が小さく跳ねる。卑怯な私はその動揺を見逃さなかった。
「ここでエルティナを見捨てたら、私は絶対に後悔する。お母さんだったら、絶対に諦めないよ。私もお母さんみたいになりたいんだ」
ごめんなさい、カーティス。ごめんなさい、お母さん。
傷ついた顔をするカーティスに気づかないふりをしながら、心の中で謝罪する。
「私、後悔したくないの」縋りつくように私はカーティスの服を掴んだ。
「……エルティナを助ける方法はあるが、誰も試したことはないんだ。死ぬかもしれないんだぞ、リーシェ」
「それでもいいから、教えてよ。カーティス、お願い」
私はカーティスの胸元をトントンと叩く。何度も何度も「お願いだから」と言葉をつぶやきながら、小突いていた。
「……闇の精霊は死ぬ間際、その姿を変えるらしい。それは、他の精霊では考えられない特性だと聞いている」
数秒後、カーティスが私のこぶしを受け止めて口を開いた。
「闇の精霊が変化したもの、それを魔物と呼んでいるんだ」
私は頭の中でカーティスの言葉を反芻する。
魔物――人を殺す害敵。白銀の蝶へと姿を変えたとしても、エルティナが人を殺すとは思えなかった。
「あの蝶は、エルティナが魔物になった姿……」
私自身へと言い聞かせるようにつぶやくがピンと来なかった。
「魔力を帯びた化け物、魔力でできた怪物」
カーティスの言葉に、私は顔を上げる。
「魔物に対する呼び方はいろいろあるが、結局のところは魔力の暴走が原因だと考えられている」
「……魔力の暴走?」
思わずおうむ返しで私は訊ねる。カーティスは「俺も詳しいことはわからないんだが」と歯切れ悪くつぶやき、考え込むように視線をさまよわせた。
「闇の精霊だけが、闇のイプスを魔力に変換できるらしいんだ。……実際に、エルティナが取り込むところを見たから、この仮説は間違いない」
カーティスは一瞬だけ眉根を寄せ、口元を手で押さえた。気持ちを切り替えるようにコホンと小さく咳き込んだ。
「自分の命を守るために、本能的に魔力を作り出そうとする。そして、殺されないために魔力で体を変化させていく。……精霊自体が魔力の塊みたいなものだからこそできる芸当だな」
「それで、エルティナを元に戻すにはどうしたらいいの?」
結論を急かす私の声に咎めるような響きが混じる。
私の質問を予想していたのか、カーティスは即座に口を開いた。
「魔力量に耐え切れず魔物となるならば、魔力量を減らすことで精霊に戻せるのではないか。そんな論文を読んだことがある」
エルティナの魔力を減らす方法――私はその方法を知っている。
「精霊契約をしている私なら、エルティナの魔力を減らせる」
ペンダントの宝石を握る私の手に力がこもっていく。悲しげに表情を歪めたカーティスの手が、宝石を握りしめる私の手に重ねられた。
「精霊が耐えられないほどの魔力に人間が耐えられると思うか? 理論があっても誰も実践していないのは、それが現実的でないからだ」
握りしめた私の手に触れたカーティスは、一本二本と私の指を緩めていく。
「エルティナも自分の限界を知っていたんだ。だから、自分の耐えられる範囲で魔力を取り込んでいた。……でも、今は違う。わかるだろ、リーシェ」
私の手のひらに乗った宝石に蓋をするようにカーティスの手が重ねられた。
「エルティナを助けたいと、俺も思っている。だけどな、俺にとってはリーシェの方が大切なんだ」
――だから、エルティナを諦めてくれ。
カーティスの言葉に込められた思いを察して、私の表情は強張っていく。
「……私もカーティスが大切だよ。でも、エルティナのことも大切なの」
零れ落ちていく涙を拭いもせずに、奪い取るように宝石を強く握り込む。エルティナのもとへと走り出していた。




