038 仮初
――なかなか器用に避けるわね。
触手でゲオルグの逃げ場所を潰しながら、私は心の中で独り言ちる。ゲオルグは魔銃を四方八方に打ち出し、反動を利用して空中を移動していた。
サイラスの見立ては正しかったのだろう、ゲオルグの風魔法は完璧ではなかったのだ。上下に浮遊はできても、自在に飛びまわることはできない。
触手たちには横合いからの攻撃を徹底させていた。
触手で埋め尽くされた大広間には、もはや足場は残されていない。光魔法で一時的に取り除くことができても、その穴は即座に塞がれる。
ゲオルグも足を床につけることは諦めているのだろう。天井近くまで浮遊してから一向に降りてくる気配はなかった。
泥の触手の元が腐らせた草花である以上、触手は下から上へと伸びている。
天井に張りつく触手の方がどうしても密度が薄くなるのだ。ゲオルグの判断は間違ってはいない。ただ、今の状況では正しいとも言えない。
ヤナカイト城は廃城だ。その耐久性は疑問視せざるを得ないだろう。本当ならば、今すぐにでも大広間から立ち去るべきなのだ。私の触手たちが支えなければ、すでに崩落しているのだから――。
「……さっさと降参しなさいよ」
私は苦々しくつぶやきながら顔をしかめる。
疲れが出てきているのだろうか、ゲオルグの高度は少しずつ下がっている。だが、諦める様子は見られない。
活路を見出すように大広間の至るところに視線を送っていた。
ゲオルグを睨みつけながら、私は意識を天井へと向ける。城壁沿いに中へと押し入った触手たちが天井裏で蠢いているのがわかった。二階三階への浸食率は六割程度だろうか。大広間の上層は私の管轄下に置かれていると言ってもいいだろう。
現状のままでゲオルグが何もしてこないのならば、機を見て私は天井を落とすつもりだ。天井が崩れた瞬間、瓦礫と触手が同時に降り注ぐのだ。天井近くの位置を保とうと浮遊を繰り返している以上、ゲオルグが突然の奇襲を回避することは不可能に近い。その結末は明らかだった。
投降か、死か――ゲオルグは選択しなくてはならない。
誰であっても死は恐ろしい。私の触手は生きたまま体を腐らせるのだから、その恐怖は計り知れない。死を覚悟した戦士であっても、想像だにしなかった死に方に違いない。
状況を鑑みるに私が優勢のはずだ。それなのに、焦燥感に苛まれるのはどうしてだろうか。遅々としてるが、触手たちによる遠距離攻撃は効果を発揮している。天井からの奇襲準備も整いつつある。私の方針に間違いがあるとは思えない。
ねっとりと心臓を舐めまわされるような不快感が拭いきれずにいた。
「エルティナ様、そろそろ満足されましたか?」
四方八方の触手を魔銃で撃ち抜き、ゲオルグが呆れた声で訊ねる。追撃に向かった触手たちは見えない壁に遮られ、ゲオルグに触れることなく霧散していく。
私は両手を強く握りしめ、ゲオルグを睨みつけた。
「私では相手にならないとでも言いたいのかしら?」
「……残念ながら、エルティナ様では私の相手は厳しいですね。悪いようには致しませんから、投降をお勧めしますよ」
同情的な声の裏側に、私を見下すゲオルグの本心が見え隠れする。翼を大きくはためかせ、私も天井近くまで高度を上げた。
「私の答えは決まっているわ、わかるでしょう?」
翼を数回羽ばたかせれば、ゲオルグに直接こぶしを叩き込める。目視で判断した後、私は軽く半身になって右こぶしを後ろに構えた。
「私に光魔法が使える限り、エルティナ様に勝ち目はありませんよ」
「あら、そんなことを言ってもいいのかしら? 光魔法を使えなくするくらい、私には簡単なことよ」
「それは一時的な話でしょう? 永続的でないのならば、何の意味もありませんね。私ならば、すぐに回復できますから」
「甘く見ないでくれるかしら。完全に消し去ることもできるわ」
「――それは、本当ですか?」
ゲオルグが唐突に大きな声をあげる。私は一瞬だけ眉根を寄せるが、即座に右腕を天井に突き刺し、一気に引き落とした。
魔銃を背中越しに連射しゲオルグが急接近していた。
右腕を引いた勢いのまに私は後退し、防壁を築くように触手を展開していく。崩落に巻き込まれたのか、ゲオルグの姿は私の視界から消え去った。
触手たちに導かれるまま、私は外へと羽ばたいてく。天高く舞い上がり、警戒を緩めることなく振り返った。
大広間の面影はどこにもなく、黒いインクで塗りつぶされたような廃墟が広がっていた。
たっぷりと一分間は凝視し続けただろうか。崩れた大広間からゲオルグが現れる様子はなかった。
「死んだのかしら?」
沸き上がる安心感から小さく息を吐き、私はゆっくりと高度を下げていく。爆心地近くに入り込んでいたゲオルグに逃げる術はなかったのだろうか。
私は右腕を真正面に伸ばし、手のひらを夜空にかざす。闇を凝縮した球体が浮かび上がり、その表面から無数の触手が伸び、廃墟に根を下ろしていく。
まぶたを落とし、あてどなく蠢く触手に私は意識を溶け込ませる。もたらされる膨大な情報の中から、ゲオルグの生死に関わる情報を探っていった。
一秒、二秒……。
「――っ」
瞬時に、私は翼をはためかせる。一発の魔弾が触手を薙ぎ払っていた。
「邪魔よ!」
私は闇の球体を握りつぶし、右腕を漆黒に染めあげる。正面へと突き出した瞬間、闇が爆発していった。
追撃の魔弾を巻き込み、触手の海が真っ二つに割れた。
「……しぶとい男ね」
寄せ来る触手の波を遮るように、ゲオルグの周囲を光の壁が覆いつくす。神々しい光に反し、ゲオルグの左半身は赤黒く染まっていた。
辛うじて体に繋がっている左腕はほぼ死んでいるのだろう。ゲオルグの重心は左に大きく傾いていた。
「――エルティナ様」
ゲオルグが苦悶に満ちた声で叫んだ。
「投降する気になったのかしら?」私は挑発的に笑った。
「……魔法を封じることができるのですか?」
左足を引きずりながら、ゲオルグが前へ前へと進んでいく。嘲笑的な姿は見られなかった。
「魔法を封じられるのですか? ……答えてください、エルティナ様!」
ついに狂ったのか、そう叫びたくなるほどにゲオルグは同じ質問を繰り返す。擦れた声が大きく響き渡っていた。
苛立ちのままに何度も触手をけしかけるが、ゲオルグを守る光の壁を突破できない。遅々とした歩みながら、私とゲオルグの距離は確実に縮まっていた。
ゲオルグの叫びが十回を超すころには、私の中の忍耐が限界を迎えていた。
「――うるさいのよ、何度も何度も! 魔法の使い方を忘れさせるくらいできるわ!」
両こぶしを握りしめ、私は体を半身にする。触手が右腕に纏わりつき、漆黒に染め上げられていく。
「そんなに気になるのなら、貴方自身で確かめなさい!」
翼を三度はためかせ、私は一気に距離を詰めていく。光の壁を突き破り、ゲオルグの頬に右こぶしを叩きつける。さらに翼を羽ばたかせ、ゲオルグの体を引きずりながら地面で押し潰した。
右こぶしを引き戻しながら、ゲオルグの体を蹴り上げる。その仰向けになった体の胸元を右足で踏みつけた。くぐもったうめき声が漏れている。ゲオルグの胸は弱々しく動いていた。
「終わりね」
私は小さくつぶやき、ゲオルグの手足を触手で拘束していく。そっと振り返りヤナカイト城へと視線を送る。
リーシェが囚われていた部屋からは光が消え去っていた。
作戦通りにカーティスはリーシェを救い出せただろうか。
ヤナカイト城に到着してからの記憶を探っていくが、リーシェを救出した――カーティスから合図が送られた気配はなかった。
ゲオルグとの戦闘が終わった今、痛いくらいの静寂が広がっている。後詰めの衛兵たちが突入しているとは思えない。嫌な想像が脳内を駆け巡っていった。
「リーシェ、すぐに行くわ」
数歩前へと駆け出し、翼をはためかせる。急浮上するつもりだった。
「――どちらに行かれるのですか?」
足が地面を離れた瞬間、突然の衝撃に体が大きく仰け反る。体勢を崩した私は受け身をとることもできずに倒れていた。夜空が遠く離れていくのが、赤く染まった視界の中ではっきりとわかった。
魔弾で射抜かれたと即座に気づいたのは、これが四度目だからだ。体内に無理やり異物を押し込まれた不快感が広がっていく。背中から血が流れていった。
私は両手で強く地面を押し、一気に起き上がって睨みつける。誰に撃たれたかは、考えるまでもなかった。
「エルティナ様には、私と一緒に来ていただきます」
荒々しい口調でゲオルグが言う。腫れ上がった顔には血が滲んでいた。
「魔法まで封じることができるとは……期待以上です」
「治療をできなくして悪かったわね」私は挑発的に笑った。
「ええ、全く嬉しい誤算です。精霊の最盛期、アルスメリアの精霊ならば……奇跡を願っていましたが、ようやく我々の望みは叶う」
ゲオルグは弾んだ声で言いながら、満面の笑みを浮かべた。
「愚か者ね、私が貴方に協力することはないわ」
「構いませんよ。私が欲しいのは貴方の能力、意思には興味がないのです」
「……何が言いたいのかしら?」
「私は知っていますよ、闇精霊の特性を。エルティナ様、貴方はまだ闇のイプスを取り込めますね。及ばずながら、協力させていただきました」
瞬間的に私は翼を羽ばたかせる。ゲオルグの顔にこぶしが届く刹那、私の体が急停止する。私自身を飲み込むように、触手が絡みついていた。
「素直に協力していただければ良かったのですが、真に残念です」
「ゲオルグ!」
「エルティナ様の意思が残っていること自体が可笑しいのですよ。闇魔法の本質は条理に反すること……ならば、エルティナ様も消えなくてはならないのです。闇魔法を扱う上で、その体にエルティナ様は邪魔なのですよ」
混濁する意識の中、私の瞳から涙が零れていく。滲んだ視界が少しずつ黒く染まっていた。
「心配はいりませんよ、エルティナ様よりも下位の精霊で確認してますから。これからは魔物として、私が有効に使ってあげます」
そこで、私の意識はプツリと途切れていった。




