036 奇襲
「ゲオルグとは私が戦うわ。カーティス、貴方はリーシェを探しなさい」
ヤナカイト城に到着するまで後三分もいらないだろう。私は魔導車を運転しながらカーティスに命じた。
「本当に大丈夫なのか?」
カーティスは不安に満ちた眼差しを送る。私は一瞬だけ見つめ返し、ハンドルを握る手に力を込めた。
「負けるつもりはないわ」
「……そうじゃないんだよ、エルティナ」
「何? もうすぐ到着するのよ。言いたいことがあるなら、早く言いなさい」
私は風魔法を展開しながら、カーティスを急かす。
遠目で確認した通り光が漏れている部屋は二つだけだ。三階の小さな部屋と、一階の大広間――恐らくリーシェは三階に閉じ込められているのだろう。
「俺は、お前の体が心配なんだ」
黙り込んでいたカーティスが苦しげな声でつぶやいた。
「本当に影響はないんだな?」
「別に初めてしたわけじゃないのよ? 問題ないわ」
……今も闇魔法が嫌悪されるのは変わらないのね。私は心の中でため息をつく。
強引に闇のイプスを体内に取り込んだ影響なのか、全身に赤黒い線が浮かび上がっているのが良くないのだろう。
常時魔力を放出してイプスを取り込む様は、病的なほどに真っ白に染まった肌と合わさり、異質さを際立てていた。
三百年前の戦争においても、闇のイプスが充満する夜の戦闘では遅れをとらなかったのだ。恐怖心が薄れた今の私であれば、現代でも一対一の戦闘で通用するはずだ。
「リーシェは上の部屋で間違いないわね。監視が三人いるわ」
私は左まぶたを下ろし、索敵結果を告げる。思考が戦闘へと切り替わっていく。
「ゲオルグは?」カーティスは硬い口調で訊ねる。
「下に反応が一つ。こちらで間違いないわ」
「任せるぞ」
「ええ、リーシェを頼んだわ」
短くお互いのすべきことを確認する。
私がゲオルグの注意を引き、その間にカーティスがリーシェを奪還する。ヤナカイト城へ至る道中、目立つように騒音を撒き散らしてきたのだ。伏兵が存在しないことは索敵済みだ。これで、後詰めの衛兵たち問題なく合流できるだろう。
リーシェ救出の合図を発した瞬間、衛兵たちがヤナカイト城へ突入してゲオルグを捕縛する。一対一でゲオルグを制することが難しいのならば、一対多に持ち込めばいい。リーシェ救出作戦は実にシンプルだった。
「カーティス、飛び降りなさい」
私は車外を左手で指差しながら命令する。ニヤリと含みのある笑みを零した。
「……お前、正気か?」
「舞踏会は派手な方が盛り上がるのよ? 今は違うのかしら?」
「違わないが……そうだな、派手に行くか」
カーティスは意地の悪い笑みを浮かべ、右こぶしを突きつけてくる。私は「ええ、派手に行きましょう」と答えて左こぶしを押し当てた。
互いに顔を見合わせて笑い、私は魔導車の速度を緩めていく。
「――エルティナ、負けるなよ」
私がうなずいた瞬間、カーティスは魔導車から飛び降りていた。
小さく息を吐き出し、私はハンドルを大きく右に切る。同時に魔力を解放し、魔導車を風で包み込んでいく。ゲオルグのいる大広間まで一直線に車線が通るのを見計らい、魔導車を急加速させる。
魔導車が大広間の壁に激突する直前、私は風魔法で宙に浮く。眠りを吹き飛ばすような轟音が戦いの始まりを告げた。
「舞踏会の会場はここで合っているのかしら?」
魔導車の造った大穴を通り抜けながら私は訊ねる。ゲオルグに向かって突き進んでいた魔導車は逸らされ、対面の壁にめり込んでいた。
数百人が同時に利用していたのであろうが、廃棄された今となっては寂寥感が漂うばかりだった。苔が生え、ひび割れた壁面や床からは草花が伸びている。大広間全体を照らし出すシャンデリアだけが不自然に輝いていた。
「合っていますよ、エルティナ様」
魔導車を横に逸らしたのか、右手を突き出したままのゲオルグがにこやかな笑顔を浮かべている。その身は燕尾服で飾り立てられていた。
「ずいぶんと早くお越しになられましたね」
歓迎するように両手を広げてゲオルグが近づいてくる。私は挑発的に微笑んだ。
「楽しみだったのだから、仕方がないでしょう?」
「ええ、短い時間でお化粧までしていただいて嬉しい限りです。もう少しお時間をいただければ、この会場を整えられたのに残念です」
「そう、それは……残念ね!」
私は言うや否や右足で床を踏み鳴らす。使用するのは土魔法――大広間を照らすシャンデリアの真下にある土を盛り上がらせる。
狙うは大広間の四方と中央に位置する五つのシャンデリアだ。
闇のイプスへの干渉を妨げているのは、大広間に一歩踏み込んだ時点で気づいていた。私を倒すための策で間違いないだろう。
同時に、足元に竜巻を起こす。私に向かって突撃するゲオルグへの真正面から立ち向かう。シャンデリアの砕ける音と、私とゲオルグのこぶしが激突したのは同時だった。
私が闇魔法を使うことは読めていたのだろう、光の精霊石を握り込んでいるらしく闇魔法は発動しない。ゲオルグの力は一向に衰えなかった。
こぶしを叩きつけたままの姿で私はゲオルグを睨みつける。シャンデリアが破壊されたためか、再び闇のイプスが体に取り込まれていく。こぶしに纏った闇魔法が少しずつ威力を増していった。
「――お見事です、エルティナ様」
ゲオルグはつぶやいた瞬間、こぶしを後ろに引く。突然のことに私は前のめりになってバランスを崩した。
無防備に空いた脇腹を、炎を纏ったゲオルグの足が蹴りつける。
蹴り飛ばされる直前、風魔法で私自身を吹き飛ばして大きく距離をとる。
水魔法を発動し、軽く屈んで衣服についた火を消した。
つま先で床を二度三度と叩きながらゲオルグは笑みを深めていく。私はそっとスカートの中に手を忍ばせ、魔銃を取り出した。
ゲオルグがその場で足を蹴り上げた瞬間、私に向かって炎が一直線に飛ぶ。私の背丈を軽く超すほどの炎が大広間を明るく照らし出し、床の草花を燃やし尽くしていった。
私は風の勢いを借りて急浮上し、ゲオルグを探すために見下ろしていく。草花に燃え広がり、大広間が火の海へと変わりつつあった。
空中で体勢を立て直し、魔銃をゲオルグに向け、一気に魔力を解き放つ。しかし、魔弾は見えない壁に遮られるように霧散していった。
二発目……三発目……。連続して放出していくが結果は変わらない。
落下していく私に向かってゲオルグも懐から取り出した魔銃を向ける。
風魔法での回避を私が試みた刹那、ゲオルグから魔弾が放たれた。
退避先を塞がれ、慌てて方向転換を図るが、二次退避先にも魔弾が迫る。急停止した私の胸元を目掛けて追撃が放たれていた。
――間に合わない!
咄嗟に私は体を捻るが、鋭い痛みが右腕に走る。肉が抉られ血が噴き出した。
魔弾の勢いに押され、空中で私の体は回転していく。不安定な視界の中、五発の魔弾が迫っていることに気づいたが、逃れる術はなかった。
体を突き抜ける衝撃は三つ。右太ももと、左ふくらはぎ、右下腹部から急速に力が抜けていく。
激痛のあまり視界が真っ赤に染めあげられ、何もできないまま背中から床へ叩きつけられた。
逆流した血を口から噴き出し、私の体を真っ赤に汚していく。満足にうめき声すら挙げられず、漏れ出した血に引火したかのように、全身が灼熱を帯びていった。
瞳から幾筋もの涙が流れていくが、熱が留まることはない。肌を焦がす感覚に恐怖しながら、気を失うことも許されず、私は悶え苦しんでいた。
「エルティナ様、貴方が素直に従っていたのならば、このように手荒なことはしなかったのですよ」
赤一色に染まった視界の中、侮蔑に満ちたゲオルグの声が響く。
ふいに私の頭に重みが加わった。足で踏みつけられる――屈辱的な事実がどこか他人事に思えるのは、敗北を認めたからだろうか。
「夜の戦闘に関しては、闇の精霊が最強、そう聞いていたのですが真実ではなかったみたいですね。……実に無様な姿ですよ、エルティナ様」
私の頭にかかる重みが増していく。無傷の左手でゲオルグの足を掴むが、引き離すことはできなかった。
掴んだ左手は骨の軋む不快な音を響かせながら、ゲオルグに蹴り上げられていった。
「精霊の力がこの程度でしかないのならば、アルスメリア王国が滅びたのは必然だったのでしょうね。そう思いませんか?」
「――黙れ!」
怒りのままに左こぶしをゲオルグの足に叩きつける。衝動的に闇魔法を発動させていた。
「期待外れも甚だしい」
私の左こぶしは虚しく空を切る。次の瞬間、あご先にゲオルグのつま先が押し当てられ、無抵抗のままに宙へ蹴り上げられていた。
「我々のためにも、教育してあげますよ」
体中の空気が口から抜け出すほどの衝撃を腹部に受ける。どれだけの距離を飛ばされたかもわからないまま、床に体を叩きつけられていた。




