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035 道中

 医療所を出発してから、ゆうに一時間は経過しただろうか。日はすっかり暮れ落ち、夜は深まっていた。

 存在を知らしめるように爆音をかき鳴らしながら、私とカーティスを乗せた魔導車は走り抜けていく。三百年前には存在しなかった魔導車が、馬車の代わりとなる現代の乗り物らしい。

 運転者の魔力を動力とし、前後に備え付けられた四つの車輪が回転する。馬車よりも早く移動でき、魔法が使える者ならば誰でも扱える魔導車は移動に欠かせない。馬車よりも揺れが少ないことも、魔導車が好まれる要因となっているそうだ。


 確かに、熟練した馬でも完全に制御することは難しいのだ。その点、運転者の意図通りに動く魔導車が優れていることは間違いない。

 魔導車での移動を楽しむといい――初体験の私を励ますように、サイラスは魔導車について語ってくれていたのだ。


 だが、ふたを開けてみれば……これは一体どういうことだろうか?

 実際には、上下左右に揺れ動き全く落ち着かない。胸に込み上がる不快感を堪えながら、私は車を水平に保つように風魔法で制御していた。


 「――見えてきたぞ、エルティナ」


 カーティスが隣に座る私に向かって声をかけ、ハンドルから手を離して前方を指差す。制御が緩んだのか、車が大きく左右に揺れる。夜の静寂を突き破るように騒音を撒き散らしていた。


 慌てて風魔法で制御した後、私は目を剥いてカーティスを怒鳴りつけていた。


 「運転だけに集中しなさい! 死にたいの!?」

 「怒るなよ、これくらいで。それよりも、見ろよ、ヤナカイト城だぞ」

 「わかったから、顔をこっちに向けないで! 前を見て運転なさい!」


 私の怒りに納得していない様子のカーティスが、渋々と顔を前に向ける。数十秒間、私はカーティスの横顔を睨みつけていた。

 小さくため息を吐き、顔を真正面へと動かしていく。カーティスが指差していた方角を思い出して目を凝らす。暗闇の中で薄っすらと光が漏れ出している。あれは窓なのだろうか?


 数秒間じっと正面を見つめた後、集中を高めるべく私は静かにまぶたを下ろす。まぶたの上に両手を添え、私自身に向かって闇魔法を発動した。


 使用したのは夜目を利かせる闇魔法だ。

 目を開いた瞬間、真昼のごとく視界が明らかになっていく。切り立った崖の上にそびえ立つヤナカイト城の姿がくっきりと見えた。


 廃城らしく所々が崩れ落ち、壁面は薄汚れている。光が漏れている場所は二箇所あった。大きな部屋と小さな部屋。大きな部屋の窓は一つや二つではない。恐らくあそこが大広間なのだろう。


 『本日午後二十二時、ヤナカイト城にて舞踏会を執り行う。参加されたし』


 ゲオルグに渡された招待状、その文言を考えるに間違いないだろう。ゲオルグは大広間で待ち構えているはずだ。


 一方で、小さな部屋からは漏れている光はほんのわずかだ。闇魔法で夜目を利かせていなければ、私も気づかなかったかもしれない。もしリーシェを監禁しているとするならば、この部屋に閉じ込められている可能性が高いだろう。


 私は目を閉じ、大きく息を吐き出す。スカートの下に隠したナイフと魔銃の存在を確かめるように両足へと触れていく。


 ――ゲオルグを倒してリーシェを救い出す。

 気持ちの昂りを抑え込むように、私は心の中で何度もつぶやいていた。


 「エルティナ、あまり気負うなよ」


 黙り込んでいたカーティスがふいに口を開いた。


 「今から、俺たちがするのは殺し合いだ。力を出せなければ、殺されるだけだ。お前もそんなことは望んでいないだろ?」

 「衛兵の言葉とは思えないわね……殺してもいいのかしら?」


 私はカーティスに顔を向け、意地の悪い笑みを浮かべる。正面を見据えたままのカーティスの唇が大きく弧を描いていく。魔導車の速度が増していった。


 「当然だろ? グレンさんを傷つけ、リーシェを誘拐したんだぞ、あの男は……。ただで済ませるつもりはない」

 「嘘でも止めるべきでしょうに、何を言ってるの」私は呆れまじりにつぶやく。

 「ああ、お前だから言ったんだ」


 カーティスは何の気なしに答え、一瞬だけ私に視線を送った。


 「お前は漏らしたりしない……そう思ったんだ」

 「あら、意外と信用されていたのね」


 私は揶揄うような口調で言う。カーティスは「今頃気づいたのか」と小さくつぶやき、ハンドルを大きく右に切る。


 「俺は、お前のことを信用しているぞ」

 「……信用されるようなことをした覚えがないわ」


 全く顔色を変える様子のないカーティスに、どこか悔しさを覚えながら私は否定する。カーティスから視線を外し、真正面に顔を向けた。

 

 ヤナカイト城へ向けて魔導車は坂を登っていく。数分間、私もカーティスも口を開くことはなかった。だが、不思議と沈黙を気まずいとは感じなかった。

 

 「エルティナは、リーシェを守った。だから、俺はお前を信用した」


 坂を登り切ったころ、カーティスがポツリとつぶやいた。


 「俺がお前を信用する理由なんて、それで十分だ」

 「それは……当然のことでしょう?」


 私は思考を巡らせ、小さく首を左右に振る。召喚されてからの日々が頭の中を駆け巡っていく。


 「私はリーシェにたくさん助けられたわ。その恩に報いたいと思っただけよ」

 「――その言葉だけで、エルティナを信用する理由としては十分だな」


 カーティスが笑い混じりに答える。魔導車の速度を緩め、私に優しげな眼差しを送った。


 「エルティナ、お前が生きたのは三百年前らしいな。精霊が栄えていた時代と比べると、今の時代は生きにくいだろう?」

 「……そう、ね。生きにくいわ」


 私は顔を俯かせていき、首元にそっと触れた。

 憎悪に満ちたエミリアの瞳が頭をよぎる。ナイフで切られる痛みを思い出し、傷口が開いたのではと疑いたくなるほどに、熱を帯びていった。


 「エルティナ、お前は逃げても良かったんだぞ」


 私は弾かれたように顔を上げる。窺うようにカーティスを見つめていた。


 「こんな言い方はしたくないが、お前とリーシェの縁はたったの一週間だ。見ていれば、リーシェとの仲が良いこともわかるんだが……仲が良いだけでは、命を懸ける理由としては弱い」


 カーティスは自身の考えに疑いを持っていないのか、はっきりと断言した。


 「お前がリーシェを助けに行く必要はないんだ」

 「……本気で、言っているの?」


 凍えた手で心臓を鷲掴みにされたような悪寒が私の全身を駆け巡る。

 リーシェを見捨てる――その選択肢があることはわかっていた。ただ、私は目を逸らしていただけだ。


 私は『呪い』なんかじゃない。私は『今』を生きていてもいいんだ、と。リーシェは一緒に生きる理由を探すと言ってくれたのだ。


 三百年前のアルスメリア王国での思い出。それは、私にとってかけがえのないものだ。それでも、全ては過去の話……もう決して戻ったりはしない。


 全てを忘れてしまえたならば良かった。

 過去は過去と割り切れてしまえば良かった。


 それができたのならば、私は悩まなかったのだろう。三百年前とは違う、生まれ変わった私として、第二の生を謳歌できたはずだ。

 ――でも、私にはできなかった。


 楽しいことも、辛いことも、悲しいこともあった。その全てを含めたのが私自身なのだ。……否定することはできない。

 過去を捨てられない私だからこそ、生きる理由が欲しかった。


 「すまない、エルティナを泣かせたいわけじゃないんだ」

 「……えっ?」


 呆けた声を出す私に、カーティスは何も答えずに顔を正面に向ける。数秒間、その横顔を眺めた後、私は自分の右頬に触れた。


 右手の指先に視線を落とすと、確かに濡れている。左手で左頬にも触れるが、結果は同じだった。


 「どうして、泣いているの……?」


 両手のひらを眺めたまま、私は力なくつぶやいていた。

 意識してしまえば、頬を伝う涙が気になって仕方がない。何度も何度も涙を拭っていく。悲しいわけでも、苦しいわけでもないのに、涙が止まらなかった。


 「……エルティナ、止めるぞ」


 カーティスが短くつぶやく。魔導車の速度を緩めたのか、穏やかに景色が流れていった。

 景色の流れが完全に止まると、カーティスは魔導車のハンドルから手を離し、体を私に向ける。言葉を探すように視線を一瞬だけさまよわせた後、真剣な眼差しで私を射抜いた。


 「俺は……お前をいらないと言っているわけじゃないんだ。寧ろ逆なんだ」


 私の両肩にカーティスが手をかける。


 「リーシェ助けるためには、エルティナの力が必要だ。俺だけでは助けられないんだ。認めたくないが……ゲオルグに勝てるとは断言できない」


 悔しげにつぶやくカーティスの両手に力がこもり、私の肩に鋭い痛みが走っていく。小さく身じろぎをする私を逃がさないように、カーティスの顔が近づいた。


 「俺はグレンさんよりも弱い。そのグレンさんも、ゲオルグには勝てなかった」


 事実を述べるカーティスは言葉を途切れさせ、大きく息を吸い込んだ。


 「だが、エルティナ、お前はゲオルグに勝ったんだ」

 「……ゲオルグが本気でなかっただけよ」

 「そんなことは関係ない! エルティナ、お前がゲオルグに勝ったのは事実だ! それは、決して変わらない!」


 語気を強めるカーティスに、私は首を左右に振る。両肩の痛みでじんわりと涙があふれていった。


 「……エルティナ一人を戦わせないために、俺がいるんだ。リーシェを助けるために、エルティナは必要だよ」


 気持ちを落ち着けるようにカーティスはゆっくりと告げた。


 「でもな、エルティナに命まで懸けて欲しくないんだよ。もしリーシェを助けられない、そう判断したときには、エルティナに逃げて欲しいんだ」

 「……リーシェを見捨てろと、本気で言ってるの?」

 「ああ、本気だ。エルティナ、お前だけでも逃げるんだ」


 震え声で訊ねる私に、カーティスは強く言い切った。優しげな表情でカーティスは微笑み、そっと私を抱きしめた。


 「俺は衛兵で、お前はあくまでも協力者だ。エルティナは命を張る必要はない。リーシェも、エルティナの命と引き替えに助かることは望まないさ」

 「……カーティスは死ぬつもりなの?」


 否定の言葉を求める私の問いに、カーティスは「俺は命を懸けるつもりだ」ときっぱりと答えた。


 「俺がアニスさんを……リーシェのお母さんを死なせたんだよ。だから、俺は命を張る。これは、リーシェへの贖罪なんだ」

 「……愚か者ね、カーティス。貴方は馬鹿だわ」


 貴方の死を知ったリーシェが幸せになれると本気で思っているの?

 私の想いを察したのか、カーティスは「知っているよ」と小さくささやく。迷いのない澄み切った声に、私は下唇を強く噛み締めていた。


 「リーシェを助けるのは、この俺だ。だから、エルティナ、お前はできる範囲のことだけを――」

 「――黙りなさい」


 私はカーティスを拒絶する。甘抱きするカーティスを両手で突き飛ばした。


 「リーシェを助けると決めたのは、私自身よ! 私の想いを否定するな!」


 涙で濡れた瞳を感情のままに強く拭い、私は目を剥いた。


 「私は生きるわ、リーシェと一緒に。カーティス、貴方もよ」


 全身から魔力を放出し、イプスに干渉していく。光のイプスが支配する昼は遠く過ぎ去り、今や深い闇が漆黒に染めあげている。

 闇のイプスが充満する夜は――闇の精霊のための舞台だ。


 泣き出しそうな顔のカーティスに背を向け、私は魔導車から降りた。

 数歩離れると、両手のひらを叩きつける。甲高い音が響き渡った瞬間、私の足元にあった草花が枯れ、粘りつくような泥へと姿を変えていく。


 泥は私の両足に絡まり、少しずつ私の体を縛り上げていった。膝を、腰を、胸を……。肌を撫でまわされる感覚に、生理的な嫌悪感を覚えるが、もう指先ひとつ動かすこともできなくなっていた。


 「――エルティナ」カーティスが緊迫した声で呼ぶ。


 剣を構えているカーティスに涙目で訴える。今にも切り殺しそうな眼差しを送るカーティスが、渋々と剣を納めるまでに十秒は経過しただろうか。


 この後の展開を想い、吐き気を催しながら私は口を開いた。その瞬間、私を蹂躙するように泥が口を犯していく。吐き出すことも許されず、涙で歪んでいく視界を泥が覆い隠していった。


 表と裏、その両方から私の体が作り変えられていった。

 条理から外れることこそが闇魔法の神髄だ。筋力増強、魔力総量向上、五感の鋭敏化……。私に備わっている本来の上限を無視して強引に能力を高める。


 体中の血液が沸騰して血管を内部から焼き尽くすような激痛が全身を駆け巡っていく。衝動的に暴れるが、泥の拘束から逃れる術はない。全身への締め付けが強くなり、苦痛が加算されるだけだった。


 永遠に想えた拷問が終わり、私の全身を覆う泥が崩れ落ちていく。体の動きを確かめるように両手のひらを握りしめた。


 ゆっくりとまぶたを開くと、目を見開いて固まるカーティスの姿がはっきりと見える。私は不敵に笑って見せた。


 「さぁ、リーシェを救い出すわよ」

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