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034 衛兵

 「嬢ちゃん、武器はどうするんだ?」


 手当を受ける衛兵たちを眺めていた私に、サイラスが軽い口調で訊ねる。医療所の門にたどり着いてから、私の視線は包帯を血で染める衛兵たちに釘付けになっていた。きっとゲオルグと戦ったのだろう。会議の場で顔を合わせた衛兵がちらほらと見えた。


 後ろ髪を引かれる思いで私は振り返る。その瞬間、私は下唇を強く噛み締めた。サイラスの左半身を覆う包帯は所々破け、赤黒い引っ搔き傷が浮かんで見えた。


 何も言えずにいる私を不審に思ったのか、サイラスが近づいてくる。痛々しい傷跡を直視できずに、私は視線を逸らしていた。サイラスの「どうかしたか?」と訊ねる言葉に何も答えられなかった。


 俯いた視線の先に、サイラスのつま先が見える。私の真正面で立ち止まったサイラスは、数十秒間黙り込んだままだった。


 「わっ!」

 「――ひゃ」


 唐突に私の耳元でサイラスが声を出し、甲高い悲鳴を上げて数歩後ずさる。サイラスは心底可笑しいと言わんばかりに笑い声を響かせる。衛兵たちの視線がサイラスと私に集中していき、私の肌はひりついていく。衝動的に両手で体を抱きしめていた。


 「おい、お前たち! ずいぶんと手酷くやられたな!」


 衛兵たちを一人一人指差しながら、サイラスが楽しげに笑った。突然の行動に目をしばたかせる私をよそに、衛兵たちの中からも笑みがこぼれていく。私だけがキョロキョロと周囲を見渡していた。

 ひとしきり笑い終えた後、サイラスは真剣味を帯びた表情を浮かべる。心なしか衛兵たちの表情は引き締まっていた。


 「あの男にやられたままで構わない……そんな奴はいないだろうな」


 衛兵たちは何も答えずサイラスに向かって近づいていく。負傷兵までもが誰かに肩を借りながら立ち上がる姿は異様だった。

 縮まっていく衛兵たちの輪から逃げるように、一歩二歩と私は後ずさっていた。


 「怯えなくていいんだぞ」


 後ろに下がる私の肩を抱き留めたサイラスが優しげな口調でつぶやく。私はサイラスの手をはねのけ、その背中に身を隠した。

 恐るおそる見上げた先では、サイラスが悪戯っぽく微笑んでいた。


 「お前ら、嬢ちゃんが怖がっているだろうが!」


 サイラスの一喝で衛兵たちの動きが止まる。互いに顔を見合わせると、すぐにその表情を崩していく。

 衛兵たちの内の一人が気さくに私へ話しかけてきた。


 「ごめんね、怖がらせてしまって……君にとやかく言うつもりはないんだよ」

 「全く、今どきの若い奴は女性へのマナーがなっていないな、本当に嘆かわしい。俺が若いころは――」

 「――爺さんの自慢話は聞き飽きたから後にしてください」


 突然、語り始めたサイラスの言葉を遮り、衛兵がゆっくりと私に近づいていく。安心させるように笑いかけ、私の前で片膝をついた。

 サイラスが体をずらして私から離れていく。衛兵の瞳に私の姿だけが映し出されていた。


 「まずは謝らせて欲しい。あの女の子は、君の友人だったのだろう? ……情けない話だけど、救い出すことができなかった。すまなかった」


 まるで示し合わせたかのように、次々と衛兵たちが頭を下げていく。数秒間、目をしばたかせながら私はその光景を呆然と見つめていたが、ハッとして慌てて口を開いた。


 「何をしてるの! 貴方たちが謝ることなんて、どこにもないわ……」

 「それでも謝らせて欲しいんだ」


 はっきりと言い切り、衛兵が顔を上げた。


 「悔しいが、戦ってみてわかったよ。俺では……あの男を捕まえられない」


 絞り出すような声で衛兵はつぶやく。その声に賛同するかのごとく何人もの衛兵が顔を背けていく。傷だらけの衛兵たちの姿に、口から衝いて出そうになった否定の言葉を私は飲み込むしかなかった。


 「話は聞いているよ。君が助けに行くんだね?」

 「……ええ、私が助けに行くわ」


 刺激しないように恐るおそる私が答えると、衛兵はひとつ相槌を打つ。どこか悔しげな表情を浮かべて顔を横へと動かしていく。

 こっそりと視線の跡を追うと、我関せずの態度で武器を見繕っているカーティスの姿があった。


 数秒間、私は衛兵を見つめたまま黙り込んでいたが、唐突に両頬を叩く甲高い音が響く。両頬に真っ赤な手形を貼りつけた衛兵が何かを吹っ切ったような笑みを浮かべていた。


 「俺は君のサポートにまわるよ。君はただ全力で戦えばいい」

 「……サポート?」

 「ああ、要するに後詰めだよ。君とカーティス、どちらかが人質を確保した時点で、俺たちも突入する。……本当なら、俺たちだけで対処したいが、見ての通りだからね」


 衛兵はわざとらしく肩を竦めて見せる。痛めているのか一瞬だけ顔をしかめた。


 「悔しいがカーティスは強い。足手まといにはならないはずだよ」

 「私は、いえ、精霊は強くなんてないわ。勝てるかは……わからない」


 精霊は人間との戦いに負けているのだから。

 言外に不安を滲ませながら私はつぶやく。傷だらけの衛兵たちの姿が、アルスメリア王国での最期の戦いを彷彿とさせた。

 ただ同じでないことはわかっていた。戦場ではないのだから当たり前だが、この場に悲壮感は溢れていない。ゲオルグに脅威を覚えていても、誰も諦めてはいないらしい。熱を宿したいくつもの瞳が私を射抜いていく。前向きな空気の中、私だけが後ろを向いていた。


 「精霊とは、君みたいな真面目な子ばかりなのか?」


 衛兵が何の気なしに訊ねる。唐突な質問に私は首をかしげた。


 「もし勝てないならば、迷わずに逃げればいい。命をかけろ、そんなことを言うつもりはないぞ?」

 「……でも、それだとリーシェを助けられないわ」

 「その可能性はあるね、否定はしないよ。……でもだからこそ、俺たちも一緒に行くんだ」


 はっきりとした口調で衛兵は言い切る。


 「君よりも弱くてもできることはあるんだ。君がある程度抑えてくれれば、数で押し込めるかもしれない。逃げられたとしても、その痕跡から別の拠点を見つけられるかもしれないだろ?」


 俺の言っていることは。間違っているか? 確認するような眼差しを送る衛兵に、私は小さく首を左右に振った。


 「それに、あの男は普通じゃない」


 ゲオルグの姿を思い出しているのか、衛兵は表情を憎々しげに歪めていく。その理由を察するのに、時間はいらなかった。


 「ゲオルグは人を殺すことをためらわない……いえ、きっと興味がない」

 「興味がない、か。……確かに、そうかもしれないな。あの男は明らかに異様だった。所長も野放しにはできない、そう言っていたよ」


 心配そうなアルヴィンの顔を思い出し、私は大きくうなずいた。


 「君とカーティスだけに戦わせたりはしないさ。俺たちは、俺たちにできることをする。君は、リーシェさん……かな? あの女の子を助けることだけを考えればいい」


 私は確認するようにぐるりと衛兵たちを見まわしていく。衛兵たちの反応は様々だった。うなずく者に、笑みを浮かべる者、小さく手を振る者までいる。

 視線を正面に戻すと、衛兵はすでに立ち上がり笑顔で私を見つめていた。


 「……あの、ありがとう」


 小さくつぶやき、私は頭を下げる。


 「いや、こちらこそだよ。あの男を捕まえるために一緒に頑張ろう」


 衛兵は優しげな口調で告げる。私は「頑張るわ」とつぶやき微笑んでいた。


 「――そろそろ準備を進めるとしようか」


 唐突にサイラスが両手を叩き、私と衛兵たちの注意を引く。いつの間に輪の中へ入っていたのか、サイラスの隣にはカーティスが立っている。カーティスは小ぶりなナイフと、見たこともない道具を抱えていた。

 私の視線に気が付いたのか、カーティスがゆっくりと近づいてきた。


 「エルティナ、お前の武器を選んでおいた。身につけておいてくれ」

 「ナイフと、それは何なの?」


 私は未知の道具を指差して訊ねる。カーティスは足を止め道具に視線を送り、一つうなずくと小さく掲げて見せた。


 「これは魔銃だ。弓のような飛び道具だと思ってくれていい。矢の代わりに、こいつは魔力を飛ばすんだ」


 カーティスは手渡された魔銃を、私はまじまじと観察していく。持ち手と引き金に、小さな筒が備え付けられたシンプルな道具だ。筒の中を覗き込み指を入れてみるが、中には何も入ってはいない。引き金を二度三度と引いてみても、何も起こらなかった。

 ふいにカーティスが私から魔銃を取り上げた。


 「俺が使って見せるから、よく見ててくれ」


 そう告げるや否やカーティスは魔銃に右手をかけ、空いた左手で右手の甲に魔法式を刻んでいく。書き終えた瞬間、魔銃が淡く発光し始めた。

 私は目をしばたかせながら魔銃を見つめる。カーティスの体から魔銃に向けて魔力が流れていき、筒に蓄えられてるようだった。


 カーティスは銃口を地面に向ける。魔銃の引き金を引いた瞬間、地面を抉る激突音が響き渡る。私は目を大きく開き、地面を凝視する。石のような塊が土にめり込むんでいた。

 私は窺うような眼差しを送ると、カーティスは大きくうなずいた。

 地面に屈み、私は土を掘り起こして塊を手に取る。半透明の塊から薄っすらと魔力を感じた。指で押し潰そうとしても、少しもへこんだりはしなかった。


 「その塊が魔晶石、弓で言うところの矢と同じだ。魔力がなくならない限りは何回でも使えるから、弓よりも使い勝手がいい。エルティナ、お前も試してみろ」


 私が立ち上げると、カーティスは魔銃の持ち手を向けてくる。持ち手を握るのと同時に、私は魔力を流し込んでいく。カーティスの場合と同様に、魔銃は淡く発光していた。

 銃口を地面に向け、恐るおそる引き金を引く。甲高い激突音を残し、地面が抉られていた。


 「やはり精霊の方が相性がいいな」カーティスは何の気なしにつぶやいた。

 「ええ、魔力を流しさえすればいいのなら、精霊は慣れているわね。でも、カーティスも使うのでしょう?」

 「いや、一応は持っていくさ。ただ、体に魔法式を刻む時間がもったいないからな……恐らく使わないな」

 「そうなの? この武器は便利だと思うのだけど……」


 カーティスの言葉に納得がいかず、私は小さく首をかしげる。

 魔晶石を飛ばす――単純であるが故に魔銃は使いやすい。初めて触った感覚では、魔力の消費も少なく威力も十分にあるように思えた。慣れれば発射までの時間も短縮できるだろう。

 三百年前のアルスメリア王国に魔銃があれば、戦局は変わっていたのではないか。要らぬ妄想が一瞬私の頭をよぎっていた。


 「まあ、俺は普通に魔法を使った方が早いから、使う理由がないんだ。……魔銃を使うのは、精霊と契約した奴だ。精霊と同じ魔法が使える奴の方が、魔銃の扱いには優れているみたいだからな」

 「……私に魔銃を選んだのも、それが理由?」

 「そうだ。精霊の契約者に使えて、精霊に使えないとは思えないだろう? 人型の精霊で試したことはなかったんだが、エルティナを見るに問題はないみたいだな」


 カーティスは小さく肩を竦め、私にナイフを手渡してくる。右手に魔銃を、左手にナイフを……。両手に掴んだ武器をゆっくりと見つめていく。

 どちらも新品と見間違うほどに手入れが行き届いている。だが、どうにも血生臭さを感じずにはいられない。私の心の中でカチリカチリと針が切り替わろうと動く音が響いていた。


 ――リーシェは助ける。ゲオルグは潰す。

 カチンと大きな音を立てて心の針が切り替わる。私は魔銃とナイフを掴み直して強く握りしめた。


 「サイラスさん、ゲオルグへの対策を教えていただけますか?」


 カーティスが発した言葉で、重苦しい沈黙が一気に漂い始める。

 たっぷりと十秒以上の時間をかけて、サイラスは衛兵たちの顔つきを確認していく。そして、静かに口を開いた。


 「あの男が得意とする魔法は風魔法で間違いない。あれほどに風魔法を扱える者は、王都にもほとんどいないだろうな。……だが、あの男には致命的な弱点がある。それは――」

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