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033 報告

 ふと視線を病室の入り口へ向けた。廊下から走る足音が近づいて来ている。それは、リーシェが誘拐されたことを告げる手紙を、私が風でアルヴィンに飛ばしてから五分後のことだった。

 ……衛兵が来てくれたのかしら?


 冷静さを取り戻した私は、病室の中をゆっくりと見渡していた。カーテン、ガラスにベッド、病室は壊されている上、リーシェは連れ去らわれ、シリウスは気を失ったままだ。ただ、胸の奥底に絡みつくような違和感をどうにも拭いきれずにいた。


 リーシェを殺そうとしたゲオルグが、どうしてリーシェを誘拐するのか? 人質とするだけならばグレンでも十分なはずだ。再び医療所に戻ってリーシェを探す必要はない。それとも、リーシェを誘拐する理由ができた? 思考を巡らせていくが、どれも想像の域を出なかった。


 気持ちを切り替えるように、私は小さく頭を左右に振る。病室の扉が勢いよく開くと同時に、緊張感に満ちあふれた声が聞こえてきた。


 「――大丈夫か」

 「大丈夫よ、アルヴィン」


 私は声をかけて入り口へと近づいていく。安堵したようにアルヴィンがひとつ息を吐いた。

 コキコキと首を鳴らしたアルヴィンが病室へと足を踏み入れる。病室内を見まわしながら歩き、私の前で立ち止まった。

 数秒遅れで私と横並びになったカーティスが、重々しく口を開いた。


 「私とエルティナは、今からゲオルグの後を追いヤナカイト城に赴きたいと思います。許可をいただけませんか?」

 「……感情で行動するな、カーティス。死ぬつもりか」


 アルヴィンの視線が鋭くなっていく。カーティスに向かって一歩踏み込んだ。長身の男二人が真正面からにらみ合う。病室内の温度が急降下したかのような息苦しさを覚える。

 静かに唾を飲み込み、私はゲオルグへの殺意を押し隠して微笑んだ。


 「私を忘れているのかしら、アルヴィン。私は闇の精霊なのよ? 人数が多いと、私の闇魔法に巻き込んでしまうわ。だから、ゲオルグと本気で戦うならば……カーティスだけで十分。衛兵が大勢いても、邪魔なだけだわ」

 「本気で言っているのかい?」アルヴィンは苦々しく表情を歪めていく。

 「事実、衛兵たちはゲオルグを止められなかったわ。……私がやるしかないでしょう?」


 私は冷たく言い放つ。顔をしかめたアルヴィンは口を閉ざし、無機質な瞳で私を見下ろした。


 気まずい沈黙は数十秒続いただろうか。体内の空気をすべて吐き出すほど深くアルヴィンは息を吐き出した。

 片膝を床につけ、アルヴィンは私と視線を合わせた。


 「エルティナは殺すつもりでいるのかい?」


 アルヴィンは探るような眼差しを送る。私は力なく首を左右に振った。


 「私が殺せば、きっとリーシェは悲しむ。だから、殺したくないわ。でも、ゲオルグも次は本気に違いないから、私も本気で戦わないと……」


 私は言い淀む。アルヴィンに胸の内を告げることが憚られた。

 ゲオルグは殺すくらいの覚悟で挑んでくるだろう。

 実力に大差のない相手に手加減ができるとは到底思えない。ゲオルグを殺す覚悟がなければ、私は勝てないかもしれない。敗北した後にどんな扱いを受けるかは、考えたくもなかった。


 「……考えはわかったよ」アルヴィンは苦悩に満ちた声でつぶやいた。

 「ごめんなさい、アルヴィン。……ありがとう」


 私はアルヴィンにだけ聞こえる声でささやく。

 アルヴィンは一つうなずき、ゆっくりと立ち上がっていく。こっそりと私の耳元に顔を寄せて「すまない」と小さくささやいた。

 私とカーティスを視界に収めるように、アルヴィンは一歩後ろへと下がる。右から左へと視線を動かし、再びアルヴィンはカーティスを視線へ送った。


 「カーティス、エルティナと供にヤナカイト城へ向かえ。そして、誘拐された少女を救え。……いいな?」

 「必ず救います!」


 直立したカーティスが声を張り上げて頭を下げる。数秒後、表情を緩めたアルヴィンはカーティスの肩を小突いた。


 「生きて戻ってこい。衛兵として、リーシェさんとエルティナを無事に連れてくるんだ。カーティス、お前ならば……できる」

 「必ず、二人を連れて戻ります」


 少年のような笑みを浮かべたカーティスの頭を撫でながら、アルヴィンが私を見つめてくる。私は二人に向かって歩き、冗談めかして声をかけた。


 「あら、私がカーティスとリーシェを連れて戻るのではないのかしら?」

 「ああ、その意気だ。……エルティナも無事に戻ってくるんだぞ」

 「当然よ」


 沸き立つ不安を叩き割るように、私は強く胸を叩く。アルヴィンはどこか安心したように微笑むと、私に向かって手を伸ばした。

 そっと頭を下げた私に触れ、アルヴィンは二度三度と頭を撫でていく。不思議とアルヴィンの手をはねのける気にはならなかった。


 たっぷり十秒が経とうとする頃、アルヴィンの手が離れていった。気持ちを切り替えるようにひとつ息を吐き、アルヴィンは口を開いた。


 「二人にとって良い知らせと悪い知らせがある。……どちらから聞きたい?」


 私と視線を交えるや、カーティスは小さくうなずいた。


 「良い知らせから聞かせて欲しいわ」


 はっきりとした口調で私は告げる。リーシェが誘拐された事実以上に、悪い知らせがあるとも思えなかった。


 「グレンさんが見つかったよ」


 アルヴィンは短く答え、探るような視線を私の後ろへと向ける。視線を追って振り返るが、病室の壁に寄り掛かるシリウスがいるだけだった。


 「気を失っているだけよ、シリウスは」顔を前に戻しながら私は明るく告げた。

 「……そうか、それは良かったよ。本当に、良い知らせだ」

 「アルヴィン?」

 「ああ、何でもないんだ。ただ……友人の無事に安心しただけだ」


 どこか寂しげな表情のアルヴィンに、私は首をかしげる。口を開こうとした瞬間、横からカーティスが高揚した声で訊ねた。


 「グレンさんは無事ですか?」

 「眠ったまま別の病室に押し込まれていたみたいだ。救出の際に、ゲオルグの一味と交戦したようだが、特に怪我をしたなどといった報告は受けていない。……良かったな、カーティス」

 「ええ、本当に。……あっ、すみません!」カーティスが慌てて頭を下げた。

 「気にするな。素直に喜んでおけ」


 アルヴィンは優しげな眼差しを送る。カーティスはどこか気恥ずかしそうに頭を掻いていた。グレンの無事に安堵したのか、私の心も軽くなっていた。

 どこか緩んだ空気の中、私は静かにまぶたを下ろす。浮ついた心を静めるように息をついた。


 「悪い知らせの方も聞かせてくれないかしら?」

 「……そうだな」


 歯切れ悪くアルヴィンがうなずく。その瞳に気遣うような色を宿して私を見つめてくる。嫌な予感に緩んでいた表情を引き締めていく。


 「構わないから、話しなさい」

 「……リーシェさんが攫われたのは、エルティナと契約をしたからだ」


 アルヴィンの言葉を認識した瞬間、私は下唇を強く噛み締めていた。


 「闇魔法を使える彼女を手に入れ――」

 「――それは、本当ですか? リーシェに闇魔法が使える、と?」


 勢い込んで訊ねるカーティスに、アルヴィンは大きくうなずいた。


 「ああ、その通りだよ。リーシェさんが闇魔法を使うところは、私も見ている。彼女は精霊石なしに闇魔法を使える、唯一の人間だ」

 「まさか、リーシェが……」カーティスが呆然とつぶやく。

 「精霊石に限りがある以上、エルティナがいれば闇魔法を自在に扱えるリーシェさんの価値は計り知れない。狙われても不思議ではないよ」


 カーティスを刺激しないために穏やかな口調でアルヴィンは告げる。やるせなさのままに息を吐き出し、アルヴィンは私に顔を向けた。


 「エルティナを洗脳するよりも、リーシェさんを洗脳する方が簡単……そう考えたのだろうね」

 「だから、リーシェは殺されないと考えてるのね?」


 私が不安を押し殺した声で訊ねると、アルヴィンは「その通りだ」と言い切った。


 「エルティナ、リーシェさんは君を脅すための人質だよ。リーシェさんを見殺しにはできないのだろう? 従わなければ殺す、そう脅してくるに違いない」

 「私のことも諦めていない、と?」

 「リーシェさんの魔力の源がエルティナなら手元に置いておきたいと思うだろう? 諦めるとは思えないよ。それに、エルティナを捕まえれば、リーシェさんを従わせるのは簡単になる」


 アルヴィンは言葉を切り、静かにまぶたを下ろす。数秒後、私とカーティスに気遣わしげな視線を送り、アルヴィンは口を開いた。


 「リーシェさんがエルティナの人質となるように、エルティナもリーシェさんにとっての人質になるんだ。エルティナが死ねば、リーシェさんは闇魔法を使えない。そうなれば、リーシェさんは間違いなく殺されるからね」

 「……リーシェは、きっと私を見捨てたりしないわ」


 私は不安に満ちた声ではっきりと否定する。自分の命惜しさに言いなりになるリーシェの姿を想像したくはなかった。

 アルヴィンはわざとらしく咳き込む。俯きがちな顔を上げ、私はアルヴィンに視線を戻した。


 「幸運なことに、ゲオルグは欲を出した。だから、居場所はわかっている」


 アルヴィンは優しげな笑みを浮かべ、私の頭を軽く二度三度と叩いた。


 「エルティナ、君がリーシェさんを助けるんだ」


 私はくしゃりと表情を歪めてうなずくと、アルヴィンは大きくうなずき返す。そして、顔をカーティスへ向けた。


 「カーティス、責任重大だぞ」

 「ええ、ご期待に応えて見せます。……ただ、ひとつだけ質問させていただいてもよろしいでしょうか?」

 「何だ?」アルヴィンが体を向きを変えた。

 「……リーシェが闇魔法を使える、その事実を知っているのは誰ですか?」


 声に緊張を滲ませながらカーティスが訊ねる。アルヴィンは開きかけた口を閉ざし、天井を仰ぎ見る。どこか悲しげな眼差しを病室の奥に送った。


 「エルティナとリーシェさんに、私……そして、シリウスの四人だけだ」

 「そう、ですか……」


 カーティスが顔を俯かせる。アルヴィンがその肩を強く叩いた。


 「ここは私が見ておく。カーティス、お前はエルティナを連れてヤナカイト城に向かえ。律儀に時間を守る必要もないだろう。あちらが準備を整える前に向かってしまえ」

 「――わかりました」カーティスが姿勢を正した。

 「医療所の門に向かうといい。馬車の手配はサイラスに頼んである。作戦の詳細もそこで確認して欲しい」


 私からの連絡を受けた時点でリーシェの救出を前倒しにするつもりだったのか、アルヴィンは準備を整えていたらしい。力強く指示を下す姿に、迷いは見られなかった。


 カーティスは「エルティナ、行くぞ」と声をかけ、病室の出口へと歩き出す。その背中を追って私は踵を返した。


 「エルティナ、カーティス……二人とも無事に戻るんだぞ」


 アルヴィンの小さなつぶやきが、やけに大きく私の心に響き渡っていた。

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