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032 決意

 「カーティス、お前はエルティナの護衛だ」


 アルヴィンの采配に従い、病室にいた衛兵たちが駆け出していく。その様子を座って眺めていたカーティスに向けてアルヴィンが声をかける。横目で見るとカーティスは椅子から立ち上がり、真剣な表情でうなずいていた。

 ゲオルグに狙われている私は大人しくしていろ……そういうことなのだろう。


 「私はリーシェのそばについているわ。ヤナカイト城へ行く準備をお願いできるかしら」私はアルヴィンに顔を向け、下から見上げる。

 「ああ、準備はしておくよ。……行かないで済めばいいんだけどな」


 アルヴィンはため息まじりにつぶやき、憂いを帯びた眼差しを送る。そして、私から病室の入り口へと視線を移していく。


 「やっぱり、心配?」

 「そうだな、上手くやってくれると信じてはいるが……エルティナの話を聞く限りは難しいかもしれない」アルヴィンを顔をしかめて私を見る。

 「ゲオルグがまだ医療所に隠れているならば……難しいかもしれないわ」

 「私もそう思うよ」


 短く答えたアルヴィンは天井を仰ぐ。数秒間黙り込んだ後、不安を振り払うように首を左右に振る。ゆっくりと立ち上がり、カーティスに顔を向けた。


 「カーティス、エルティナを頼んだ」


 気安く声をかけたアルヴィンは、カーティスの肩を軽く叩く。「任せてください」とカーティスは自分の胸を叩き微笑んで見せた。




 「もう一度、ゲオルグと戦って勝てると思うか?」


 リーシェが眠るグレンの病室へと向かう道すがら、カーティスがポツリと訊ねる。真っすぐに前を向いたままのカーティスは、横並びで歩く私を見ようとはしなかった。


 「……本気で戦っても構わないならば、勝機はあるわ」

 「本気だと? ……手加減していたのか?」


 弾かれたように顔を向けたカーティスが、私に探りを入れる。


 「手加減はしていないわ。ただ……」


 闇魔法の影響で正気を失った私がリーシェを傷つけることが怖かった。本心を語った時、カーティスはどう思うのだろうか? 危険な存在だと決めつけて私を排除するのか、それとも闇魔法を使うなと注意に留めるのか。私にはどちらが選ばれのか見当もつかなかった。


 「ただ、何だ?」

 「いえ、どうしても力を出せなかったのよ……」


 私は顔を俯かせて弱々しくつぶやく。咎めるような口調のカーティスを見つめてはいられなかった。

 カーティスの「エルティナ」と呼ぶ声が私の鼓膜を揺らす。小さく肩を震わす私に応じるつもりがないと察したのか、それ以上にカーティスは追及しない。気まずい沈黙が流れていった。


 黙々と歩いているうちに、リーシェの眠る病室と同じ二階へとたどり着く。足を数歩踏み出した瞬間、沈黙を切り裂くような男の悲鳴が所内に響き渡った。遅れて衝撃音と、ガラスの割れる音が響く。そして、走り出したカーティスの足音が聞こえてきた。

 私はカーティスの背中を追って駆ける。一目散にリーシェの眠る病室へ走ったカーティスは、ドアをノックすることなく開け放つ。


 「――シリウスさん」


 切羽詰まった声をあげたカーティスが病室の中へ飛び込んでいく。遅れて室内を覗き込んだ私は目を見開いていた。


 ズタズタに引き裂かれたカーテンに、割れた窓ガラス。壁面には大きな爪痕がいくつも刻まれている。リーシェを寝かせていたベッドは、真っ二つにへし折れていた。

 私は室内の至るところに視線を巡らせていく。壁に背を預けたまま気を失っているシリウスを、カーティスが介抱している。だが、リーシェの姿はどこにもなかった。何度も何度も視線を往復させる。体全身を氷水に沈められたように、私から体温が奪われていった。


 「……リーシェ、どこなの?」


 私の震え声が空しく響く。切実な問いに答える声は聞こえてこなかった。


 おぼつかない足どりでベッドへと近づいていく。何かの間違いであって欲しい、と心の中で強く願う。

 リーシェと別れてから一時間も経っていないのだ。目の前に広がる現実を認めたくはなかった。


 リーシェを危険から遠ざけたはずなのに、それなのに、どうして? リーシェを眠らせたのは間違いだったの?

 後悔が私の胸をキリキリと締めつけていく。答えを出せないまま、顔を下へと向ける。リーシェの寝顔を見ることはかなわなかった。


 緩慢に顔を上げ、正面を見据えると、風でカーテンがなびいていた。あの窓からリーシェを連れて飛び降りたのだろうか。垂直に上昇したり落下したりするだけならば、風の精霊でなくてもできるはずだ。ゲオルグは一度私の前で飛び降りている。リーシェ一人を抱えたところで問題にはならないだろう。


 窓から顔を出し、下を覗き込む。もしかしたらまだ近くに隠れているのではないか。一縷の望みに縋りながら注視していくが、すぐに現実から目を背けるようにまぶたを落とした。諦めまじりのため息が衝いて出る。

 ……倒れ伏している衛兵たちを何人も見つけてしまったのだ。まるで行き先を示すように、それは医療所の正門に向かって延びている。ゲオルグには逃げられたのだろう。きっとリーシェも、もうここにはいない。


 「エルティナ、大丈夫か?」


 どれだけ殻に閉じこもっていたのだろうか、ふいにカーティスの心配げな声が私の鼓膜を揺らした。


 「……リーシェがどこにもいないの」


 重いまぶたを持ち上げ、私は弱々しくつぶやいた。


 「私が悪かっ――」

 「俺の責任だ。俺が判断を間違えたんだ。……リーシェの勇気を切り捨てるべきでなかった」


 カーティスが口早に言葉を重ねる。私は顔をカーティスに向けた。


 「エルティナ、リーシェを助けに行くぞ」


 短く言い切り、カーティスは一枚のカードを私の鼻先に突きつけた。視界を遮るカードには、ヤナカイト城へと誘う言葉が刻まれている。ゲオルグからの招待状だった。

 おずおずと手を伸ばしてカードを受け取った瞬間、私の肩は小さく跳ね上がる。真剣な表情のカーティスが私を見つめていた。


 「俺は一人でも行く。お前はどうする?」

 「……私も行くわ」


 決まり切った答え。ただカーティスの瞳が、私の言葉をためらわせる。それは三百年前のアルスメリア王国では見慣れた――死を受け入れた瞳だった。


 「必ずリーシェを助ける」


 私は言葉を強めながら、内心の動揺を押し隠す。血まみれで倒れ伏す三百年前の仲間たちの姿が思い起こされていた。


 「エルティナならば、そう言ってくれると思った」

 「当たり前のことを言わないでくれるかしら。リーシェを見捨てる選択肢は……私にはないわ」

 「俺にもないな」


 私は不敵に笑う。カーティスも意地の悪い笑みを浮かべた。


 「ゲオルグは潰す。リーシェは取り戻す」

 「ええ、わかっているわ」


 例え、命と引きかえになっても助ける――言外に死を匂わせながら、私とカーティスはうなずき合う。それ以上の言葉は不要だった。


 きっかけはアルスメリアの王女フィーネに似ていたから。でも、今は違う。

 すぐにお姉さんぶった態度をとる癖に、実は寂しがりやなところが好き。私のために泣いてしまうくらいのお人好しの一方で、エミリアへ嫉妬の炎を燃やす昏い部分も持っている。そんなところも悪くない。


 たったの一週間だ。それでも、孤独な私の隣にリーシェはいてくれたのだ。確かにゲオルグの言うとおり、私はリーシェに絆されたのかもしれない。単純な女、そう笑われても仕方がない。

 だが、それで何が悪い。今ならば、はっきりと言える気がする。リーシェを助けたいから、助けに行く。その根源が、罪悪感からでも自己満足からでも、もうどうでもいい。リーシェを助けたい、と心が叫んでいた。


 私の成すべきことはすでに決まっている。三百年前の最期の戦いを焼き直すかのごとく、私の心は澄み渡っていく。両手を強く握りしめていた。

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