029 招待
「よくわかったわね、ゲオルグ」
内心の動揺を悟られないように、私は表情筋に力を入れて微笑む。
「小さなお嬢さんのペンダントは特徴的ですからね。一流の商人が見れば、その価値くらいわかりますよ」
「目利きの腕だけは認めてあげるわ」
「それはそれは、光栄なことです。……私にもエルティナ様と、その名を呼ぶ栄誉をいただけますか?」
ゲオルグは慇懃に答えると、試すような眼差しを送る。私は挑発するように「お断りよ」と冷たく言い捨てた。
「残念なことですね、エルティナ様」
ゲオルグは大仰に肩をすくめて見せる。私は顔をしかめていた。
「気安く呼ばないでくれるかしら」私は不機嫌な口調で言う。
「エルティナ様、そんなにつれないことを言わないで欲しい……エルティナ様とは、長い付き合いになるのだから」
「つまらない冗談ね。……でも、もう一度だけ聞いてあげるわ。ゲオルグ、ここで何をしていたの?」
馴れ馴れしい態度に不快感を覚えながら、私は語調を強めて訊ねる。ゲオルグへの警戒を強めた私の目はスッと細められていく。
リーシェがと繋いだ私の手を強く握りしめた。
「何を? ……ああ、私に負けた敗北者の顔を眺めに来ただけですよ」
「――止めなさい、リーシェ!」
感情のままに飛び出そうとしたリーシェを後ろに引っ張る。繋いだ手を振りほどき、無理やり前に出ようとしたリーシェを風で抑え込む。
リーシェの非難めいた目が私に向けられる。私は本気の怒りを孕んだ瞳でリーシェを睨み返した。
「つまらない挑発に乗らないで」
「でも……この男が……」
気圧されたリーシェが弱々しく不満を口にする。唇に『お願いだから我慢して』と音を立てずに言葉だけを乗せる。くしゃりと今にも泣き出しそうな顔のリーシェが口を強く引き結んだ。
憎々しく正面を見据えれば、ゲオルグは軽蔑するような眼差しをリーシェに送っていた。私はリーシェを背中へと隠した。
「エルティナ様、貴方はずいぶんとお優しい……私ならば殺してましたよ」
この男ならば人殺しに躊躇しないだろう。予想ができていても、明確な殺意に背筋が冷たくなっていく。
リーシェを殺す――暗に私を脅しているに違いない。眠ったままのグレンは保険だろうか。リーシェと同時にグレンを守るのは、私には不可能に近い。
「あら、意外と狭量なのね。一度の失敗くらい笑って許す……それが男の器量ではなくて?」
「その価値がある場合だけですよ。その小娘には価値がない」
「見解の相違ね……この娘には、命を懸ける価値があるわ」
私は胸を張ってはっきりと宣言する。そして、不敵に笑った。
「エルティナ様と戦いたくはないのですがね……」ゲオルグがため息をつく。
「ゲオルグ一人なの? 下にいるお仲間は呼ばなくてもいいのかしら?」
「目先の損得しか考えられず、簡単に理性を失うバカどもを仲間だとは思っていませんよ。そんなバカは信用できないでしょう?」
ゲオルグは上着のポケットから小さな黒い石を取り出し、手のひらの上で弄ぶ。恐らくあれが闇の精霊石なのだろう。投げられた三つの精霊石は、ゲオルグの手のひらの上に落ちてくる。手遊びが繰り返されていた。
私は両手を広げ軽く腰を落とす。ゲオルグをこの場から引き離す――私のすべきことは明白だった。一対一ならば私にも勝ちの目があるはず。例え勝てなくとも、カーティスたちが来るまで時間を稼ぐことはできるかもしれない。
準備は完了したのか、まるで確認するようにゲオルグは好戦的な笑みを浮かべる。開いていた手のひらを握りしめ、私は下からゲオルグをねめつけた。
瞬間、精霊石を握りしめたゲオルグの右手が黒く染まる。振り下ろされたこぶしが私の眼前に迫った。風の勢いを借りて半身で避ける。その勢いのままに回転し、ゲオルグの右側頭部を蹴りつけた。
浅いっ! 闇魔法を込めた右足がゲオルグの顔を掠めていく。ゲオルグは体を大きく左へ傾ける。風を纏った私は体を捻り、踵落としを試みた。無理な体勢のままゲオルグが体をバネのように戻しにかかる。
私の踵とゲオルグの体が激突する。衝撃に負けたのは――私だった。
壁に叩きつけられた私は力なく横たわる。リーシェの甲高い悲鳴が響き渡っていく。
薄れていく視界の中、ヨロヨロと立ち上がるゲオルグの姿が見えた。そのこぶしが真紅の炎を纏い始める。炎がゲオルグの位置を私に教えてくれた。
寝転がったまま後ろ手で壁に触れ、手のひらから壁に向けて魔力を流し込む。のそのそとゲオルグが私に近づいてくる。私のとどめを刺さんとこぶしを振り上げた瞬間、私は土魔法を展開した。
隆起する壁の勢いに身を任せ、不安定な格好でゲオルグの無防備なお腹にこぶしを入れる。ゲオルグがうめき声を上げた。
追撃を図るべく風で体を持ち上げる。強引な軌道でゲオルグの頭を蹴りつけた。闇魔法が効果を発揮したのか、数歩よろめいて踏み留まっていたゲオルグが糸の切れた人形のようにドスンと倒れる。手足を上手く動かせずに、もぞもぞと床を蠢いていた。
私は素早くゲオルグに近づき、その後頭部を床に押さえつける。間髪を入れずに手のひらから闇魔法を叩きこんだ。
一秒……二秒……。押さえ続けるが、抵抗はない。意識を失ったのか、ゲオルグの動きが完全に止まった。
私はそっと立ち上がり、数歩後ずさる。足に躓いて倒れかけた私を、リーシェが支えてくれた。
「終わったの?」恐るおそるリーシェが訊ねる。
「……ええ、私の勝ちよ。だから、もう大丈夫。……眠らせてやったわ」
得意げに微笑んだ私はピースサインを決める。リーシェは安心したように笑い、その瞳から涙を零した。
「よかった……よかったよ」
「心配かけたわね、リーシェ。大丈夫、大丈夫だから……」
泣き出したリーシェを抱きしめ、背中を何度も擦る。リーシェは感情のままに強く抱きしめ返した。
ああ、私は助かったんだ。リーシェとグレンを守れたんだ。心の中が安堵で満たされていく。リーシェの肩に額を押し当て、静かに涙を流した。
どれだけの時間を抱きしめ合って過ごしただろうか。廊下の先から足音がひとつ近づいてきた。リーシェから離れて背中に庇う。私は風を起こしたまま、正面を睨みつけた。
「エルティナ、リーシェはどこだ!」
疾走するカーティスが怒鳴り声を上げる。返り血で服を汚し、殺気立った眼差しを送っていた。
「リーシェなら無事だから、少し落ち着きなさい」
呆れ混じりに私はつぶやいて振り返る。リーシェは目をしばたかせながらカーティスを眺めていた。
カーティスは私の横を通り過ぎてリーシェを抱きしめた。
「痛い! 痛いよ、カーティス!」
リーシェは大きく身じろぎするが、カーティスは離そうとしない。縋るような眼差しを私に向けたリーシェが「助けてよ、エルティナ!」と叫んだ。
貴方のことがそれだけ心配だったのよ。私が小さく首を横に振ると、リーシェは信じられないと困惑顔で固まった。
たっぷりと一分間は黙認した後、私は揶揄うような口調で言った。
「カーティス、無理やりに抱きつくなんて……リーシェに嫌われるわよ」
私はカーティスの袖を引っ張る。抱きしめられたままのリーシェがコクコクと何度も首を縦に振った。
ハッとしたカーティスは慌ててリーシェから離れる。リーシェと私の体を下から上へと見渡していき、お兄さんぶった笑みを浮かべた。
「二人とも無事でよかった」
「エルティナが守ってくれたんだ! ……あの男の人から」
リーシェがうつ伏せに寝るゲオルグを見つめる。その視線を追ってカーティスは振り返った。
「あの男は何だ?」警戒も露わにカーティスが訊ねる。
「ゲオルグ・クローズ。今回の事件の首謀者みたいね。……少なくともリーシェを殺そうとしたから、無罪とは言い難いわ。グレンをやったとも言っていたわ」
「この男が、リーシェとグレンさんを……」
明らかに機嫌を悪くしたカーティスが低い声でつぶやく。手錠を取り出しゲオルグに向かって歩き出す。
眠ったままのゲオルグに手錠をかけようとした瞬間、カーティスが吹き飛ばされる。壁を叩く大きな音が響いた。
「――どうして?」
「エルティナ様が闇の精霊だとわかっていれば、対策くらい用意しますよ」
悠々と立ち上がったゲオルグが答える。愉しげに笑いながら私とリーシェに近づいてきた。
唐突にゲオルグは大きく横に跳躍する。一拍遅れてカーティスの蹴りが宙を切った。そして、私とリーシェを庇うように、カーティスが立ち塞がった。
「衛兵の中にも、まだ骨のある番犬がいたのですね」
「黙れ、犯罪者が」カーティスは短く切り捨てた。
「怖い怖い……まあいいでしょう、番犬君も特別に招待してあげますよ」
ゲオルグは挑発的に笑うと、一枚のカードを投げつけてくる。カーティスが乱暴に受け取った。
「それが、招待状です。エルティナ様と御一緒にどうぞお越しください。歓迎いたしますよ」ゲオルグが恭しく頭を下げた。
「犯罪者の言うことを聞くつもりはない。勝手にしていろ」
「よろしいのですか? もしお越しにならないのならば、あの敗北者には死んでいただくことになりますが……」
「敗北者だと?」
ゲオルグは心底悲しそうな顔でつぶやく。敗北者、その言葉に嫌な予感を覚えた私は病室へ駆け込む。――ベッドの上にグレンはいなかった。
呆然となった私を嘲笑うように廊下からゲオルグの声が聞こえる。カーティスを挑発しているのだろうか、男同士の罵り合いが右から左へと私の耳を通り抜けていく。
重い足並みで私は廊下に戻ってきた。
「ああ、エルティナ様。そんなに顔を青褪めさせてどうされましたか?」
ゲオルグは唇の両端を釣り上げる。憎悪を孕んだ瞳で私はゲオルグを見つめた。
「グレンをどこに連れていったの?」
「全ては、そちらの招待状に書かれております。……エルティナ様、実に素敵な表情ですね」
「黙りなさい!」力任せに起こした竜巻がゲオルグを襲う。
「……仕方ありませんね、今日はここまでにしましょう」
ひょいと竜巻をかわしたゲオルグは風を起こして窓を叩き割る。窓枠に足をかけて振り返った。
「それでは、エルティナ様も番犬君もごきげんよう。盛大に歓迎いたしますので、どうぞ当館へお越しください」
言い終わるや否やゲオルグは窓から飛び降りる。愉しげな笑い声だけが残されていった。




