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027 魔法

 両手の感覚を思い出すように、手のひらを開いては閉じるを繰り返す。少しずつ指先に血が通っていく。びりびりとした痺れは少しずつ薄らいでいた。


 手の感覚を確かめるように、私は手のひらを強く握りこんだ。


 「大丈夫?」

 「ええ、少し痺れはあるけれど問題ないわ」


 私は隣に座るリーシェの手を握り、ゆっくりと力を込めていく。リーシェがそっと握り返してきた。


 医療所の食堂で昼食を取りに行ったシリウスを二人で待っていた。職員専用の食堂では、昼食の時間をずらして利用されているらしい。こぢんまりとした食堂にはほとんど人がいなかった。

 掛け時計を見れば、午後一時二十分を刻んでいる。そろそろ昼食時間も終わりなのかもしれない。


 昼食を食べ終われば、教会堂へ行くことになっている。グレンが目を覚まさない今、私とリーシェをそのまま家に帰すことはできなかったのだろう。シリウスが私とリーシェの保護を買って出てくれたのだ。

 もともとリーシェとシリウスには面識もあるらしく、否定する理由は私にもない。誰かに監視されるならば、多少は気心の知れたシリウスが望ましかった。


 グレンの体調に問題もなく、二、三日もすれば目を覚ますと、医者から太鼓判を押されている。私もリーシェも胸を撫で下ろしていた。


 「――待たせたかな?」


 シリウスは三人分の昼食をトレーに乗せたまま、冗談めかして言う。私とリーシェは「待ってないわ」と笑い混じりに答えていた。

 器用に三人分の配膳を終えたシリウスは、私とリーシェの前に座る。簡単に食前の祈りを済ませて「食事にしようか」と微笑んでいた。


 昼食のメニューは、パンにスープ、サラダ。何てこともないメニューだ。だが、朝食をとっていないためか、食事を前に小さくお腹が鳴った。

 羞恥で顔を赤らめる私を見て、リーシェもシリウスも声を出して笑う。素知らぬふりで私はパンを頬張った。


 ぎこちなくパンを毟り、スプーンでスープを掬い、フォークで野菜を刺す。幼子のように危なっかしい手つきで食事を進めていく。

 横目で見れば、不安そうにリーシェが私を見ている。落ち着きのない手は私から食器を取り上げようとしているのだろうか、リーシェの顔に深い葛藤が浮かんでいる気がした。


 心配をかけて悪い気はするが、リーシェに食べさせてもらうつもりはない。私自身の手で食べる――それだけで、いつもよりも何倍も美味しく感じられた。



 食事を始めてから十五分は経っただろうか。食事に没頭する私に、心配から気もそぞろなリーシェと、微笑ましく見つめるシリウス。ろくな会話もしないまま、三者三様の態度で昼食を進めていた。


 ふいにシリウスが顔を上げる。真剣な表情で私とリーシェの背後を睨みつけた。

 いったいどうしたのかしら? 小さく首をかしげながら私は振り返る。食堂の入口でたたずむ男の姿に、私の瞳に警戒の色が浮かんだ。


 「楽しそうに食事をしていますね。私も混ぜていただいても構いませんか?」


 全く悪びれた様子を見せないアルヴインが近づいてくる。遅れて振り返ったリーシェの「所長さん?」とつぶやく声が場違いに響いた。


 さも遅い昼食をとりに来ましたと言わんばかりに、右手に持ったパンを小さく掲げる。堅苦しい衛兵姿にそぐわないひょうきんな笑みを浮かべていた。

 目の前の男が私の事情聴取を行った男と同一人物なのか、私は一瞬目を疑った。


 「隣に失礼するよ」アルヴィンはシリウスの隣の椅子に座った。

 「座っていいとは言ってないんだがな」

 「冷たいことを言わないで欲しいね、我が友よ」


 不機嫌を隠しもしないシリウスに、アルヴィンは芝居がかった言葉を返す。肩をすくめ、右手のパンに噛りついた。


 「えっと、シリウスさんのお友達なの?」


 キョロキョロと視線をさまよわせた後、リーシェが訊ねる。顔をしかめるシリウスに反し、アルヴィンは大仰にうなずいた。


 「親友ですよ」

 「他人の間違いだろ」


 間髪入れずにシリウスは否定する。その口調は崩れていた。

 呆れ混じりにため息をついたアルヴィンは、私に向かって小さく頭を下げる。優しげな笑みを浮かべていた。


 「昨日は責めたりして悪かったね」

 「……どうして謝るのかしら?」

 「仕事とは言え、君に言いがかりをつけたからかな。精霊である、それだけで生きにくい世の中だろうに……」


 疲れを滲ませながらアルヴィンは言う。気を紛らわせるように、一つ二つと千切ったパンを口に投げ入れた。


 「精霊を嫌っているのではないの?」

 「それは違うよ、エルティナさん。私の息子は精霊に命を救われているんだ、嫌いになれるわけがないだろう」


 アルヴィンは一瞬だけ懐かしむような視線をリーシェに送り、私を正面から見据えた。


 「命を救った?」

 「息子の病を治してくれたんだよ。人が使う魔法は体の中から生み出されるからね、体力や気力が十分でないと効果はあまり期待できないんだ。治療に使われる光魔法も、息子自身の魔力に働きかけるものでしかない。だから、息子の命は諦めろと言われたよ」


 言葉を途切れさせたアルヴィンはまぶたを下ろす。ほんの数秒間黙り込み、再び口を開いた。


 「精霊の魔法は外から働きかけるから、息子が魔法の使える状態でなくとも関係がない。同じ光魔法でも、人と精霊のものでは真逆だったんだ。……きっと光魔法に限定すれば、精霊の魔法の方が優れているのだろうね」

 「光の精霊がいたのは幸運だったわね」


 同じ精霊の活躍が誇らしく、私は弾んだ声を出す。曖昧に笑ったアルヴィンは首を横に振った。


 「『精霊の祝福』を受けた人がいたんだ、光の精霊はいなかったよ」

 「え? 契約をすると光魔法が使えるようになるの?」


 私は思わず聞き返す。光魔法の需要は高い。もしリーシェに光魔法が使えるのならば、どこに行ったとしても重宝されるだろう。


 「いや、光魔法とは限らない。ただ、六属性の内いずれかの魔法が使えるようになるのは確かなんだ。光魔法が使えたのも偶然、そう言ってたよ」

 「――火の精霊がいなかった?」


 横目でリーシェを覗き見ると、期待に満ちた眼差しをアルヴィンに送っていた。大きくうなずいたアルヴィンは優しげな表情を浮かべた。


 「火の精霊はいたね……君のお母さんが息子を救ったんだ」

 「やっぱり!」花咲くような笑みでリーシェは身を乗り出す。

 「もう六年前のことだよ。息子を救ったアニスさんには、今も感謝している。アニスさんのおかげで、息子は今も生きているんだからさ」


 リーシェの母親――アニスが医者であったのならば、グレンとは良いペアだったのかもしれない。精霊の魔法と人間の魔法。対照的な性質を持つ二つの魔法を使いわけられるのならば、どれだけの命を救えるのだろうか。

 光魔法がリーシェにも使えればいいのだけど……。

 まだ一週間を過ごしたにすぎないが、悲しませたくはない。私は心の中でリーシェの幸福を願った。


 「リーシェさんも精霊と契約するとは想わなかったよ」


 アルヴィンは一瞬だけ視線を私に向けた。


 「お母さんみたいに契約したいとは思っていたんだ。でも、本当にエルティナと会えるなんて思ってなかったよ。だから、すっごく嬉しいんだ」


 気を許したのか、リーシェの口調は砕けていた。


 「リーシェさんも光魔法が使えるのかな?」

 「えと、わかんない……。どうしたら調べられます?」


 リーシェはシリウスに訊ねる。シリウスは一瞬だけ顔をしかめた。


 「……エルティナくんから魔力を借りて試してみるしかない。二人が契約の媒体に何を使ったんだい?」

 「エルティナ」


 私を呼ぶリーシェの声にうなずき、首から下げているペンダントを持ち上げて見せる。シリウスとアルヴィンがまじまじとペンダントを覗き込んだ。澄んだ赤色の宝石が、私の手のひらの中で輝いている。


 「エルティナくんの魔力は、そのペンダントを経由してリーシェくんに渡されるんだ。だから、ペンダントに渡される魔力の性質を確認すれば、リーシェくんが使える魔法がわかるはずだよ」


 火の精霊と契約したのならば、火に関する精霊の魔法が使える。そう考えるのが自然ではないの? 違和感のままに私は口を開いた。


 「シリウス、少しいいかしら……火の精霊なら火を扱うための魔力を渡すはずよ。それなら、リーシェの母親は火魔法が使えないとおかしいわ。光魔法を使えるのはやっぱり変よ」

 「純粋に精霊の魔力が渡されたのならば、エルティナくんの言う通りだね」

 「そうではないのね?」

 「エルティナくんとリーシェくんの魔力は同じではないだろ? リーシェくんが魔力を使うためには、エルティナくんの魔力を変換する必要があるんだ。この変換が影響するそうだよ」


 実際に試した方がわかりやすいだろう、そう言いたげにシリウスは微笑む。ペンダントを指差した後、宙に文字を描き始める。

 シリウスが指を鳴らすと、ペンダントの宝石を取り囲む球体が築かれていく。私の手のひらの上で淡く緑色に光っていた。


 「エルティナくんとリーシェくんは契約で繋がっている。魔力が欲しいとリーシェくんが願い、それをエルティナくんが許すならば、魔力が渡されるはずだ」


 小さく息を吐き出したシリウスが、私とリーシェを順々に見た。不安そうなリーシェと私は顔を見合わせる。どちらからともなくうなずき合った。


 リーシェは祈るように顔の前で両手を組む。その唇を組んだ指に押し当ててまぶたを下ろしていった。


 どこか緊張を孕んだ沈黙が食堂におりる。

 私とシリウス、アルヴィンの視線はリーシェに集中していた。一秒……二秒……。じりじりと時間だけが過ぎていく。


 ――燃えるような熱を胸の奥深くに感じたのは、突然だった。


 「つっ! 痛っ……」


 思わず私は胸元を押さえて体を丸める。体から魔力が抜かれていく感覚は、普段魔法を使うときと似ていた。ただ、私の意思とは無関係に抜かれていくことが恐ろしくてしかたがない。

 全身に冷水を浴びたかのごとく恐怖心が駆け巡っていく。浮かび上がる涙を閉じ込めるように強く目を閉じていた。


 「――リーシェくん、止めなさい!」


 切羽詰まったシリウスの声が遠くに聞こえる。その瞬間、魔力の放出が治まっていった。

 私は荒い呼吸を何度も繰り返した。


 「ごめんね……ごめんね、エルティナ」リーシェが私を抱きしめる。

 「……いいのよ、大丈夫。でも……少しだけ、このままにして」


 リーシェがゆっくりと私の背中を擦っていく。そのリズムに合わせ、少しずつ私は呼吸を整えていった。


 たっぷりと一分間は甘えていたのだろうか、私は体を起こした。


 「ありがとう、リーシェ」


 心配そうに私を覗き込むリーシェの頭を一撫でし、問題ないと微笑んで見せる。私の様子に安心したのか、リーシェは表情を緩めていった。


 私はそっとペンダントの宝石を持ち上げる。宝石を覆っていた球体は、真っ黒に染まっていた。


 「これは、どの属性かしら?」嫌な予感を覚えながら私は訊ねる。

 「……恐らくは、闇で間違いない。火なら赤色、水なら青色と知られているからね。……知られていないのは闇だけだよ」


 私の手のひらからペンダントが零れ落ちていった。

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