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025 契約①

 目を開いた先には見慣れない天井が広がっていた。私は視線をぐるりと巡らせていく。窓から差し込む光が心地よかった。


 昨夜、グレンが眠っていた病室と何ら変わりはない。私は病室に寝かされている。掛け時計は午前十一時を刻んでいた。


 どれだけの時間を暗い物置に閉じ込められていたかはわからない。ただ、カーティスとの会話の途中から記憶が定かではなかった。どうやら私は途中で寝こけてしまったらしい。


 私はベッドから飛び降りる。ドアまで近づき、右足で軽くノックした。


 「誰か開けてくれないかしら?」


 二度三度と私は声を張り上げる。ノックの音も徐々に大きくなっていく。私が四度目を実行するころ、ドア越しに駆け寄ってくる足音が聞こえた。

 振り上げていた右足を下ろし、私はそっとドアから離れた。


 数秒後、勢いよく病室の扉が開かれる。泣き笑いのような表情のリーシェが飛び込み様に、私へと抱きついてきた。


 「――エルティナ!」


 ……またリーシェを、泣かせてしまったわね。


 「ごめんなさい、リーシェ」


 リーシェの耳元で小さくささやく。私の体はリーシェの両腕の中に閉じ込められていた。もう離さないとばかりに、リーシェの両腕に力がこもる。

 私のことを心配してくることが嬉しいが、それと同時に罪悪感が胸を締めつける。素直に喜べない私はたどたどしい笑みを浮かべていた。


 「謝らないで、エルティナ……ありがとう」

 「どうしてお礼を言うの? どうして私を怒らないの?」


 予想外の言葉に私は体を後ろへ引く。リーシェの瞳を覗き込んだ。


 「私はエルティナを怒らないといけないの?」

 「そうね。……リーシェが私に怒るのは、当然よ」

 「……えっと、その……ごめんね。エルティナがどうして怒られると思っているのか、私にはわからないよ」


 わからない? どうして? 悲しげに眉を寄せるリーシェを、私は呆然と見つめる。私を抱くリーシェの両腕の力は弱まっていた。


 「お父さんの右腕に怪我はなかったんだ。だから、お医者様は右腕の診察はしなかったんだって……。もしエルティナが気づかなかったら、手遅れだったんだよ」

 「私とリーシェの交換に応じていれば、そもそもグレンは傷つかなかったわ」

 「……それが、エルティナの考えなんだ」


 平坦につぶやいた後、リーシェは離れていく。離れていくぬくもりに、私は顔を俯かせる。下ろされていくリーシェの両腕を未練がましく見ていた。


 「――バカ!」


 リーシェの発した言葉を認識したのは、床に倒れ込んだ後だった。


 頬に感じるひりひりした痛みと体を打ちつける衝撃。

 数秒間、私は何も考えられなかった。のろのろと見上げた先には、手を振り抜いたリーシェの姿があった。


 怒られることも嫌われることも覚悟はしていた。だから、リーシェに叩かれても不思議には思わない。それは、きっと当然のことだ。


 でも、どうして……リーシェが泣いているの?


 「バカ、バカ、バカバカバカ! エルティナはバカだ!」


 目を怒らせたリーシェが私を見下ろす。その瞳から涙を零しながら、ドスドスと踏み鳴らして近づいてくる。


 不器用に腕先で後ろへと逃げようとするが上手くいかない。私の頭を簡単に蹴り上げられるほど、リーシェとの距離は詰まっていった。


 私を蹴り飛ばすつもりなの? 眼前に映るリーシェの靴に、私は息を呑む。まぶたを力一杯に閉じ、衝撃に耐えるように身を固くしていった。


 「……エルティナは、私がそんな酷いことをすると本当に思っているの?」


 冷め切った声でリーシェに訊ねられ、私の肩は反射的に跳ね上がる。より強く目を閉じ、口を引き結んだ。


 数秒後、失望にも似たため息がリーシェから漏れ出す。私の口の中で歯がカチカチと音を立て始める。閉じたまぶたから涙が溢れ出していた。


 「エルティナは、どうしたら信じてくれるの?」


 トスン、と何かが落ちる。リーシェの声がやけに近くで聞こえた。


 「私は怒っているよ。でもそれは、お父さんが怪我をしたことなんかじゃないんだよ。……エルティナが、自分を大切にしないことに怒っているんだ」


 リーシェは言葉を途切れさせると、激情を抑えるように深く息を吐き出す。

 恐るおそるに私は目を開く。座り込んだリーシェは涙でクシャクシャに歪んだ顔で、不安に満ちた眼差しを送っていた。


 「エルティナは……私の身代わりになったエルティナが傷ついても、自分が怪我をしなかったら良かったって、そう私が笑えると、本当に思っているの? ……私は、お父さんもエルティナも好きなんだよ。それなのに、笑えるわけないよ。……エルティナもいないと笑えないんだ」


 涙まじりの弱々しい声で、リーシェは言い切った。


 「お願いだから、私と一緒にいてよ……エルティナ」

 「……教えてよ、リーシェ」


 私は今にも消え入りそうな声でつぶやく。涙でにじんだ視界の中、うなずくリーシェが「何?」と訊ね返した。


 「私は何のために生きているの? アルスメリア王国での知り合いなんて、誰もどこにもいないわ。……戦争に負けて残された私は、どうしたらいいの? リーシェの『祝福』になれるなら、それが私の生きる価値ならば、それでもいいと思ったわ。でも、違ったの。私は……『呪い』なのよ、きっと。生きる価値なんて、どこにもないわ」


 感情のままに想いを口にしながら、胸にわだかまっていた不安が私の頭の中で整理されていく。アルスメリア王国が滅亡するまでに多くの精霊と人が亡くなっている。その中で、私は生き残った。いや、死に損なったのだ。


 誰も死を望んだりはしない。私だって生きるために必死だった。だからこそ、想ってしまうのだ。私が生き残ってよかったのか、私でない誰かが生き残った方がよかったのでは、と。


 私は生きる理由が欲しかった。きっと他の精霊も不安だったのではないか。人間への復讐――そこに生きる理由を見出したのかもしれない。

 考えてみると『精霊の祝福』は、私が今を生きる大義名分だったのだ。だが、その結果はどうだろうか。リーシェは誘拐され、グレンは意識不明の重体。私の存在理由は大きく揺らいでいた。


 「違う、違うよ、エルティナ」

 「……違わな――」


 リーシェは大きく首を左右に振る。私が話し始めた瞬間、寝たままの私の上にリーシェがのしかかってくる。リーシェに両肩を押さえつけられ、私は仰向けになっていた。


 「違うんだよ、エルティナ。きっと違うんだ……」


 否定を繰り返すリーシェの言葉は次第に勢いを失っていく。思考を巡らせているのか、リーシェは難しい顔で黙り込む。その瞳は大きく揺れていた。


 一秒、二秒と沈黙が続いていく。必死な様子のリーシェを呆然と眺めているうちに、幾分か私は冷静さを取り戻していた。

 私はどうしたらいいのだろう? 質問を投げかけたのは私だが、ほとんど八つ当たりに近い。リーシェに答えが出せるとは、到底思えなかった。


 取り返しのつかない後悔に胸を締めつけられながら、リーシェを見つめることしかできなかった。


 数秒後、私に見られていることに気づいたのか、落ち着きなく彷徨っていたリーシェの視線が私と交わっていく。口を何度かパクパクと開いた後、リーシェは悔しげに表情を歪めていった。


 「……ごめんね、エルティナ。私、どう言ったらいいか……わかんないよ」

 「いいのよ。……悪いのは私だから、気にしなくていいわ。私が、悪いのよ」


 まるで何も起きなかったかのように、私は微笑む。リーシェは……微笑み返してはくれなかった。真剣味を帯びたリーシェの瞳が私を射抜いた。


 「エルティナは、死にたいと思っているの?」


 私の両肩を掴むリーシェの両手に力がこもっていく。今にも口づけを交わしそうなほど、リーシェの顔が近づいていた。


 「死にたくなんて……」

 「死にたくないんだよね」


 念押しするリーシェに、私は恐々とうなずく。何を言われるのか、予想もつかずに不安だけが募っていった。

 どうにかして逃げられないか、そう考えてはいるがリーシェの瞳に射すくめられ、私の体は動こうとしなかった。


 「だったら、生きてたらいいんだよ」

 「えっ?」思わず私から声が漏れ出した。

 「とりあえず、エルティナは生きていたらいいんだ。そのうちに生きる理由だって見つかるかもしれないし……うん、そうだよ」


 リーシェは自分の言葉に大きくうなずいた。


 「自分で見つけるものじゃないんだよ、きっと。……生きていたら、偶然に見つかるものなんだ。だから、見つからなくても普通のことなんだよ」

 「……慰めならいらないわ」

 「悪く考えないで! ……私もエルティナと同じなんだ。生きる理由なんて知らないし、考えたこともない。でも、こうして生きてるよ。それは、いけないことなの?」


 思わず私は言い淀む。私だけならば悪と断じれるが、リーシェを含めることに躊躇いを覚えた。ちぐはぐな私自身の心に気づき、何も言えなくなる。

 私が力なく首を横に振ると、リーシェは表情を緩めていった。


 数秒後、何かを思いついたのか、リーシェは笑みを深めて期待に満ちた眼差しを私に送ってきた。


 「エルティナ、私と一緒に探そうよ!」


 探す? 何を……?

 リーシェに両肩を揺すられながら、私は目をしばたかせる。遅れてリーシェの言葉の意味を理解した私はゆっくりと口を開いた。


 「……見つけられるかしら?」

 「見つかるよ、きっと!」


 リーシェは即答した後、考え込むように口を閉ざす。不安を覚えた私は「リーシェ?」と窺うような声を出した。


 「それでも、エルティナが不安なら、私が生きる理由を一つ創ってあげる」


 何を言っているの、リーシェ? 瞳の奥を強く輝かせるリーシェに、私はたじろぐ。まるで大きな決断をした後のような晴れわたった表情を浮かべていた。


 動きを止めた私に構わず、リーシェが両手で肩を強く引っ張る。体を起こされた私は、リーシェの真正面に座り込んでいた。


 リーシェは私の首元に手をかける。その手には、肌身離さず身につけている――私を封じていたペンダントが握られていた。


 ペンダントを両手で握りしめたリーシェは優しげに微笑む。次の瞬間、リーシェの全身から文字が浮かび上がり、白い肌を赤黒く染め上げていった。

 リーシェは苦しげに表情を歪め、その口からは押し殺したうめき声が漏れ出していた。


 「リーシェ、止めなさい! 早く!」


 慌てて私が声を張り上げると、リーシェは困ったように笑った。そして、大きく首を左右に振った。


 何を、考えているの? 私の思考は疑問符で埋めつくされる。

 リーシェの体に刻まれている文字も、突然の行動もさっぱりわからない。苦しむリーシェ自身に止める気配がない以上、下手に止めて魔法を暴発させるわけにもいかない。何もできない幼子のように成り行きに任せることしかできなかった。


 無力な時間を三分は過ごしただろうか。リーシェに刻まれた文字を鎮まり始める。息も絶え絶えに、リーシェがペンダントを私の胸元に押しつけた。濁った蒼の宝石は今や赤く染まっている。

 満足げな笑みを浮かべたリーシェは涙と汗で汚れた顔を拭った。


 「何をしていたの?」喉をひりつかせながら私は訊ねる。

 「精霊契約……前にエルティナとするって約束したよ? 忘れちゃった?」


 リーシェはおどけたような口調で言う。私は慌てて首を横に振った。


 「私は選んだよ。だから、次はエルティナの番」


 大きく息を吐き出し、リーシェは真剣な眼差しを私に送る。


 「エルティナは、私と契約してくれる? 遠慮はいらないし、私に気を遣わなくてもいいから、エルティナの本当の気持ちを教えて」


 本当にいいのだろうか? 期待と不安で揺れるリーシェの瞳に、情けない顔をした私自身が映っていた。

 答えはとっくに出ている。ただ、私に覚悟が足りないだけだ。『精霊の呪い』と称したわけのわからない騒乱に巻き込む覚悟が――。


 涙が私の頬を濡らしていく。泣き声を我慢するように固く口を閉ざす。

 リーシェは何も言わず、私の答えを待ち続けていた。


 「……私も、リーシェと、一緒がいいわ」


 幼子のように感情を爆発させ、リーシェの胸元に縋りついていく。あやすように優しく私の背中が擦られていった。

 リーシェに妹扱いされることに納得はしていない。でも、今だけは甘えたいと思った。……思ってしまった。


 私の願いを叶えてくれたのか、それともリーシェの気質なのか、私の涙が治まるまでリーシェは抱きしめ続けていた。

 もう十分に泣いた。そう感じるころに、ようやく私は体を起こしていく。小さく鼻を鳴らす私の目の縁に浮かんだ涙をリーシェが拭っていった。


 「契約するよ」


 リーシェの小さなつぶやきに答えるように、私は強くうなずく。

 私のペンダントを持ち上げたリーシェは、逡巡するようにペンダントの宝石と私の顔を見やる。


 数秒後、意を決したリーシェが宝石の上に文字を刻んでいく。書き終えるや否や、リーシェは宝石に口づける。宝石が赤く発光し始めた。

 ぼんやりと宝石を見ていたのは数秒だろうか。顔を上げるとリーシェが一心に私を見つめている。私は小さく首をかしげた。


 「――ごめんね」


 声と同時にリーシェは動き出す。唐突にリーシェに抱きしめられ、一瞬で唇を奪われていた。


 私は目を大きく開いて身じろぎをする。背中にまわされたリーシェの両腕に力が入っていった。単純な力ではリーシェに勝てないのか、私は拘束から逃れられなかった。


 抵抗をあきらめて力を抜いた瞬間、ペンダントの宝石が輝き出す。私の体が急に熱を帯びていく。痛みを伴うほどの熱に負け、力任せに私は暴れていた。

 瞬間、リーシェの拘束が強くなる。必死に張り上げる声もリーシェの唇で抑え込まれ、くぐもった声を漏らすことしかできない。ついには、床へ縫いつけるように私は押し倒されていた。


 拷問のような時間はどれだけ続いたのだろう。熱が消え去るころには、私の意識は朦朧としていた。リーシェも同じだったのか、糸の切れた人形のように私の体の上で寝転んでいる。

 首元に垂れていたペンダントの宝石は、濁った蒼色から澄んだ赤色へと色彩を変えていた。


 薄膜がかかっていく視界の中、誰かが近づいてくる気配を感じたが、目を開けておくことも億劫だった。力なく私はまぶたを下ろしていた。


 「……本当に契約したんだな」


 後悔を滲ませるカーティスの声がどこか遠くに聞こえた。

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