024 露呈
「――お父さん!」
病室のドアを感情のままに開き、リーシェは病室へ駆けこんでいく。病室の前に控えていた衛兵に道を開けさせたカーティスが、その一歩後ろをついて歩いた。私とシリウスは二人に遅れて病室へと入る。
薄明るい部屋にポツンと置かれた真っ白なベッド。そこにグレンが眠っているのだろう。ベッドに身を乗り上げたリーシェが、眠るグレンの胸元に縋りついている。グレンを呼ぶ悲痛な涙声だけが室内に響き渡っていた。
グレンの容態を聞いたリーシェの行動は速かった。
カーティスの制止する声を無視し、教会堂から一目散に医療所を目指して駆ける。まるで右足を痛めていないかのように、リーシェは全力で走っていった。
我に返ったカーティスが走り出すころには、リーシェはすでに教会堂の外へ出ていた。椅子を倒して立ち上がった私とシリウスは、慌てて二人の背中を追いかけていた。……結局、私たち四人は一度も止まることなく、医療所に駆け込んでいたのだった。
グレンはどうなってしまったの……? 両手を痛々しいほどに握りしめるカーティスを横目に、頼りない足どりでベッドに近づいていく。
グレンの優しさに甘えたのが悪かったのか、それともグレンの力を過信したのが悪かったのか。後悔が胸にせりあがる。からからに乾いた喉では呼吸することすら苦しい。
嗚咽を漏らすリーシェの横に立ち、躊躇いがちにグレンを見やった。
折れた左腕は固定され、顔の右半分は包帯で覆われていた。所狭しと貼りつけられたガーゼが激戦を思わせる。小さく上下する胸だけが、グレンの生を私に実感させていた。
『精霊の呪い』――まさにエミリアの危惧した通りの結果となった。
リーシェにもグレンにも笑顔はない。心臓を鷲掴みにされたかのごとく、体全身に悪寒が走る。……私は、間違えたのかもしれない。いや、間違えたのだろう。
三人で過ごした日々が色褪せていくような寂しさを感じながら、私の瞳から涙が零れ落ちていく。やるせなさのままに下唇を強く噛み締めることしかできなかった。
泣き疲れたリーシェが深い眠りについてから、どれだけの時間が経っただろうか。
いつの間に外へ出たのか、室内にカーティスもシリウスも残ってはいない。私一人が立ち尽くしていた。
「ごめんなさい、リーシェ……ごめんなさい、グレン」
私は何度も何度も謝罪を口にする。何が『祝福』か。私は……無力だ。
ありがとう。たったの五文字を満足に伝えることもできず、大切な二人を傷つけた。リーシェとグレンが優しかったからか、いつの間にか三人で過ごすことが当たり前だと思っていた。
リーシェとグレン。二人の世界に、私は危険を持ち込んだ。『祝福』と称するならば、私は幸福を持ち込まなくてはならないのに……。
自分自身の孤独と大切な人の命では、天秤に乗っている重りが違いすぎる。
短い付き合いだからこそ、はっきりわかることもある。リーシェは優しい。きっと私が一緒にいたいと言えば、一緒にいてくれるだろう。例え、大切なグレンを危険に晒すことになったとしても……。そんなこと、私が嫌だ。
「私のこと、嫌いになってくれていいから……」
私自身を風へと溶け込ませ、眠ったままのリーシェをふわりと浮かせる。軽く布団を巻き上げ、グレンの隣へと壊れ物を扱うように優しく下ろしていった。
布団を掛けなおした瞬間、寝返りを打ったリーシェが、グレンに抱きついていた。
やはり、私は離れるべきなのだろう。別れを惜しむようにリーシェの寝顔を見つめた後、グレンに視線を向ける。その瞬間、私は思わず目を見開いていた。
「……これは、どういうこと?」
大きくベッドをまわりこみ、私はグレンに近づいていく。包帯のないグレンの左頬にそっと腕先で触れる。慎重にグレンの体内を巡るイプスへ、私自身を溶け込ませていった。
全神経を集中してイプスの流れを観測していく。ふと、右腕にほとんどイプスが流れ込んでいないことを感知した。本来の流れを阻害する――身に覚えのある感覚に、私は思わず顔をしかめていた。グレンは闇魔法にかかっていた。
「何て、ことなの……」
その闇魔法が何であるかに気づいた瞬間、愕然と言葉が漏れ出す。体中から熱が失われていき、立ったままでいられずに座り込む。両足を切り落とされたかのように膝から先に力が入らなかった。
闇魔法の本質はあるべき姿から外すことだ。
私がエミリアに使った闇魔法も、手足を動かそうとする意思を捻じ曲げているに過ぎない。闇魔法の効果が切れてしまえば、本来の意思通りに手足を動かすことができる。しかし、グレンにかけられた闇魔法は違っていた。
右腕への血流を堰き止める――グレンの右腕を壊死させるためのものだった。
光魔法を使えば、元の状態に戻すこともできるかもしれない。だが、それは失われる前だけだ。失われたものは元の状態に決して戻らない。
急がないと! 私は慌てて立ち上がる。
幸いにもグレンにかけられた闇魔法は完全ではない。先細りしているが、グレンの右腕に血は流れているのだ。すぐにでも治療を受ければ、治る可能性は十分にあるはず。
病室のドアを風魔法で吹き飛ばす。室外に飛び出した私を、剣を構えた衛兵が睨みつけていた。
「――今すぐ、医者を連れて来て。光魔法が使える医者を……早く!」
コンコン、とドアをノックする音が響いた。
ドアが開くと同時に私は顔を上げる。神妙な顔をしたカーティスが、椅子に腰かける私へ近づいてきた。
閉じられていくドアの先を覗けば、少なくとも二人の衛兵が控えているとわかった。
部屋の隅から椅子を持ってきたカーティスが、私の真正面に座った。
「悪いな、こんな物置に閉じ込めてしまって」
「……私は、どうなるの?」
なぜ闇魔法が使われているとわかったのか? この問いだけは、どうしてもごまかすことができなかった。闇の精霊と知られた瞬間、私は被害者から被疑者へと転がり落ちていた。
一連の騒動で目を覚ましたリーシェが弁明してくれていたが、どこまで信じてもらえるのか。また、リーシェを泣かせてしまっていた……。
「牢屋にでも閉じ込める? それとも、精霊石に変えるの?」
私は投げやりな態度で起こりうる未来を口にする。
「いや、無罪放免だ」カーティスはわざとらしく肩をすくめた。
「えっ?」
「驚くことでもないだろ? エルティナはグレンさんの状態を報告しただけだ。それ以外には、何もしてないんだから」
私は目をしばたかせる。優しげな眼差しを送るカーティスが嘘をついているとも思えなかった。
「闇の精霊だからと、お前に明らかな冤罪を被せたりはしないさ。リーシェとシリウスさん、目が覚めればグレンさんも証言するだろうし……罪人エミリアの証言だってある」
身も蓋もない言い方に、私の顔が引きつるが、どこか安堵もしていた。……エミリアは無事衛兵に捕らえられたようだ。
「証拠品のナイフが決め手だったな。エルティナの血がべったりとついたナイフと衣服を見せられれば、さすがに犯人の一味と決めつけられないさ」
カーティスは自身の首元をトントンと叩く。私の首に巻かれた包帯と同じ場所だった。
「リーシェの誘拐事件、エルティナがその当事者の一人であることは間違いない。だから、エルティナには監視をつけさせてもらうが……それだけだ。他のお咎めはなしだ、喜ぶといい」
「……ありがとう」
「その言葉、リーシェとシリウスさんにも言っておけよ。二人とも心配してたからな。当然、グレンさんにも、な」
カーティスは茶目っ気たっぷりにウィンクを送る。その厳つい体格からは考えられない少年のような振る舞いに、私はぎこちない笑みを浮かべた。
安心したからだろうか、体全身に纏わりついた疲労が重苦しくのしかかっていく。一睡も許されなかった頭が、急に薄ぼんやりと曇っていった。
眠気を噛み殺しながら、私は無理やりに口を開いた。
「グレンは、大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ。エルティナのおかげだよ」
真剣な表情で答えたカーティスは、椅子から立ち上がる。
「グレンさんを助けてくれて、ありがとう」
私の反応など関係がないと言わんばかりに、カーティスは深く頭を下げた。
「私は……当たり前のことをしただけよ」
「それでも、エルティナに感謝しているんだ。本当にありが――」
カーティスは心底安心したような笑顔で言う。喜びに満ちた声を聞き終えることなく、私の意識はぷつりと途切れていた。




