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023 状況整理

 「何があったのか、教えてくれるね」


 私とリーシェの真向かいに座った教会堂の老執事が優しく話しかける。トレーの上には三個のマグカップが置かれていた。

 老執事が差し出す二つのマグカップをリーシェが受け取り、その内の一つを私の前に置く。まろやかなミルクティーの香りが鼻孔をくすぐった。


 私とリーシェは顔を見合わせる。リーシェはお姉さんぶった笑みを浮かべ、期待に満ちた眼差しを送っていた。私は呆れ混じりにうなずいていた。


 リーシェは背筋を真っすぐに伸ばし、深く頭を下げた。


 「シリウスさん、手当てしてくれてありがとうございました」

 「ありがとうございました」


 私もリーシェに倣い老執事――シリウスに感謝を伝える。


 夜遅くに突然訪ねてきた私とリーシェを快く受け入れてくれたのだ。リーシェが誘拐されたことや、エミリアに殺されかけたこと……説明しなければならないことは多くある。その説明を後まわしにし、シリウスは治療を優先してくれた。


 やはり平静ではなかったのだろう。エミリアから奪った証拠品のナイフを渡し、私とリーシェの治療が終わるころになり、ようやく緊張が和らぎ始めていた。体からドッと力が抜け落ちていた。


 衛兵に通報しに行ったシリウスが戻るのを、修道服に着替えた私とリーシェは教会堂で待っていたのだ。


 「私は当然のことをしただけだよ。……少し飲みなさい」


 シリウスに促されるまま、マグカップに口を近づけたリーシェは軽く息を吹きかけ熱を冷まさせる。そして、私の口元へ近づけていった。私はゆっくりとミルクティーを飲んでいく。

 喉をコクコクと鳴らした後、マグカップが離される。今度はリーシェ自身がミルクティーをすすり始めた。


 一息をついた後、リーシェがゆっくりと口を開いた。


 「お父さんとエルティナと、三人でご飯を食べたんです。それは、シリウスさんも知ってると思います」

 「ええ、遅い食事だったから、よく覚えているよ。……その後に誘拐されたと聞いている」


 シリウスはちらりと私を見る。グレンからの連絡は届いていたらしい。


 「……はい。食事が終わってから三人でお話しをして……その、用事ができたから、隣の建物に行ったんです。それで、その……用事が終わって部屋を出たら、目の前に男の人がいて、連れてかれました……」


 羞恥で赤らめていたリーシェの顔が急に青ざめていく。

 トイレ後の気を抜いたところを襲われたのだろう。リーシェでなくとも抵抗できたとは思わない。


 「……相手の顔は覚えているかい?」

 「見てません。すぐに袋を被せられたから……」


 恐怖を思い出したのか、リーシェは自身を守るように体を抱きしめる。私はそっと体を寄せ、身を震わせるリーシェにくっつく。

 まじまじと私を見下ろした後、リーシェが私の頭を撫でた。


 「犯人は……一人だと思います。足音は一つだけだったから。それに、他にも人がいるならば、肩に担いだりしないと思います」

 「一人なの? 私とグレンが助けに行ったとき、男は三人いたわよ」


 私が訊ねる。リーシェは「違うと思うんだ」と首を横に振った。


 「私だって必死に抵抗してたんだ。助けてって、何度も言ったんだよ。でも、いつの間にか声を出せなくなって、体が動かなくなったんだ。きっと何か魔法を使ったんだよ」

 「……いや、体の動きを阻害する魔法なんて使えるとは思えない。リーシェくんの予想は、残念だけど間違っていると思うんだ」


 シリウスは言い聞かせるように優しく否定するが、その言葉に私は顔をしかめていた。

 リーシェの主張する魔法に心当たりはある。体の動きを阻害する――正常な動きを異常な動きへと変えるのは、闇魔法の特徴だった。


 「……体を癒す魔法はあるのでしょう? その逆があっても、おかしくはないと思うわ。違うかしら?」


 闇魔法についてシリウスがどれだけ知っているのかわからない。言葉尻だけを捉えられて、闇魔法が使える私を疑われてはたまらない。私は言葉を濁して訊ねる。


 私の言わんとしたことを察したのか、リーシェは心配そうに見つめてくる。安心させるように私は一度うなずいて見せた。

 シリウスは考え込むように黙り込み、数十秒後、重々しく口を開いた。


 「闇魔法を使えるならば、リーシェくんの予想は正しい。だが……」


 はっきりと肯定したシリウスは、突然に言い淀む。その表情は苦しげに歪んでいった。


 「闇魔法を使うためには、闇の精霊石が必要なんだ」

 「――えっ? 闇の精霊はいないはずだよ」


 リーシェは思わず大きな声を出し、慌てて口を両手で押さえる。


 「闇の精霊はいない、そう聞いていたのだけど違うのね?」


 私はリーシェの問いを引き継いで訊ねる。私が闇の精霊であることを教えるつもりはない。


 「半分正解で、半分間違っているね」

 「半分?」私はおうむ返しにつぶやく。

 「精霊は元々は人と似た姿だったんだ。エルティナさんが、その証拠だね」

 「……精霊の姿が変わっている、と?」

 「そうだね。有名なところで言うと、ドラゴンも精霊の一種なんだ。……リーシェくんはこれから学校で学ぶことだから、知らなくても心配いらないよ」


 横を向くと無知を恥じるようにリーシェが俯いている。ドラゴンとは何か、聞くことが躊躇われた。

 疑問を脇に置き、シリウスの言葉を噛み砕いていった。


 「人の姿をした闇の精霊はいない……そう言うことね」

 「闇の精霊だけは、どうやら他の精霊と違うみたいなんだ。精霊石を飲むことで魔力が伸びることは知られている。でも、闇の精霊石は違うんだ。精霊石を飲んだとしても、魔力が変わらないんだ」


 シリウスの言葉に引っかかりを覚えて私は首をかしげる。闇の精霊石を飲んでも魔力は向上しない。それで、どうやって闇魔法を使うのか。


 「闇魔法は使えないの?」

 「使える、と聞いている。闇の精霊石に魔法式を書き込むことで、使えるそうだよ。もっとも使い捨てみたいだけどね」

 「使い捨て?」

 「精霊石の大小に関わらず、使うと粉々に砕けてしまうんだ」

 「使える魔法は、精霊石の大きさによるのかしら?」

 「そうだね。精霊石は大きいほど、魔力を帯びているんだ。魔法で消費する魔力が多いと、精霊石はその場で砕けてしまう。宿っている魔力に限りがあるんだよ」

 「それで、闇以外の精霊石でも同じことができるの?」

 「できるね。ただ、使い捨てにするよりも、魔力の向上の方が良いとされているんだ。だから、精霊石を飲むことの方が多い」


 教え子の疑問に答えるようにシリウスは優しく話す。精霊である私に、精霊石の話はしにくいだろうに。包み隠さず話してくれたことには感謝しかない。


 「闇の精霊石は珍しいのでしょう? 手に入れられるのかしら?」

 「……難しいだろうね。今でこそ法律で禁止されているけど、昔は精霊を捕まえる動きが激しかったんだ。だから、精霊はもうほとんど残っていない。残った精霊たちは、人間の手に負えないドラゴンのような存在だけなんだ」

 「元から持っていた、そう考えた方が良さそうね。……『精霊の呪い』は関係があるのかしら?」

 「……何が言いたいのかな?」


 シリウスが硬い声で訊ねる。私は軽く肩を竦めた。


 「精霊を救う、それを題目にして精霊を連れ去り精霊石に変える……考えられる話だと思わない?」


 納得のいかない点はある。それでも、私を精霊石に変えることが目的ならば、リーシェを誘拐して脅す意味もあるはずだ。

 三百年前、私の魔力は闇の精霊の中でも上位に位置していた。強力な闇魔法を使うのならば、私を捕まえる意味はあるだろう。


 ……もっとも、あの商人の口ぶりから考えるに、別の目的で動いている者もいるようだ。ただ、私には判断しようもなかった。


 シリウスは悲しげに表情を歪め、考え込むようにまぶたを下ろす。深くため息をついた。


 「エルティナくんは、闇の精霊石よりも君自身の方が価値があると言いたいのかい?」

 「リーシェを誘拐するのに、闇の精霊石を使ったのは、その価値が私にあるからに違いないわ」


 もしくは使い捨てにしても良いくらいに、闇の精霊石を蓄えているかのどちらかだ。ただの予想で無駄に不安を煽る必要はないだろう。もう一つの可能性には触れなかった。


 「私は風魔法を得意としているのだから、当然とも言えるわね」


 もの言いたげなリーシェを横目に、私は得意げに胸を張る。シリウスは相貌を崩していた。


 「そうかもしれないね」


 シリウスは忍び笑いを漏らす。十数秒後、ひとしきり笑い終えたのか、シリウスは真剣味を帯びた眼差しを私に送ってきた。


 「何にせよ、『精霊の呪い』という言葉に流されない方がいい。彼らはただの犯罪集団で、リーシェくんもエルティナくんも被害者だ。そこだけは間違えてはいけないよ」


 私とリーシェに視線を送りながら、言い聞かせるような口調でシリウスが言う。ぴたりと同じタイミングで私とリーシェはうなずいた。


 「エルティナくんは『祝福』なのだから、リーシェくんは最期まで信じてあげなさい。それが、『祝福』を受ける者の務めなんだ」

 「わかっているから、大丈夫」


 リーシェは自信に満ちた笑みを浮かべ、シリウスにピースサインを送る。安心したのか、シリウスは優しく微笑んだ。思い出したように、ミルクティーに口をつける。


 私とリーシェも少し冷めたミルクティーを飲み、顔を綻ばせていく。衛兵詰所での事情聴取に、リーシェの誘拐。怒濤の一日の中、ほんの一時のやすらぎが張り詰めた緊張を和らげていた。


 ふいに教会堂のドアが勢いよく開かれた。


 「――リーシェ!」


 切羽詰まったカーティスの声が響く。三人の視線が駆け足で近づくカーティスに集中した。


 リーシェしか目に入らないのか、カーティスの視線は動かない。喜んでいるとも泣いているともとれる複雑な表情を浮かべている。一直線に近づき、座ったままのリーシェを抱きしめた。


 驚くリーシェは目をしばたかせたまま固まった。もう二度と離さないとばかりに、カーティスは両腕に力を込めていく。リーシェは身じろぎをするが、カーティスの拘束が緩むことはなかった。


 「カーティス、貴方は何をしているの?」


 私は呆れ混じりに訊ねる。ようやくリーシェ以外の存在に気づいたのか、カーティスの肩が小さく跳ねた。


「それで、グレンはどこにいるの?」


 訊ねた瞬間、カーティスは絶望に満ちた表情で私を見る。私は思わず息をのむ。

 グレンに何があったの? 嫌な予感が全身を駆け巡っていった。リーシェの前で軽率に訊ねたことを後悔したが、もう遅かった。


 「……グレンさんは、意識不明の状態で、医療所に運ばれた」


 カーティスのかすれ声に、教会堂の空気が凍った。

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