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019 奪還

 重苦しい沈黙が私とグレンの間で漂う。教会堂に戻った私たちは向かい合わせに座って黙り込んでいた。テーブルの上には、リーシェの代わりに見つけた不穏な手紙が置かれていた。


 封筒を見つけた私とグレンは、その場で封を開けていた。封筒の中にはあったのは一通の手紙。娘を返して欲しければ、精霊を寄こせ――手紙の内容は、この一点につきた。


 犯人はあの商人と思しき男性だろうか? そうであるならば、事を荒立てたくないのも不思議ではない。精霊の悪用が法律で禁止されている以上、衛兵に通報されて売り捌けなくなれば困るはずだ。ただ、昨日現れた不審者の仲間がリーシェを誘拐した可能性も捨てきれなかった。


 どれだけ思考を巡らせても情報がない以上、誰が犯人かを判断することはできそうにない。しかし、何をするべきかは明らかだった。


 「要求に従いましょう」手紙を見つめたまま、私自身に向かってつぶやいた。

 「……そんなこと、できるわけがない!」


 グレンが苦しげに叫び、テーブルにこぶしを叩きつける。大きく息を吐き出し、感情を押し殺したような声でつぶやいた。


 「どんな目にあうか、エルティナもわかっているはずだ。そんなこと、僕は認められない」

 「……でも、グレンもわかっているでしょう。リーシェを助けるためには、要求を呑むしかないわ」

 「それは……だけど、エルティナが――」

 「――構わないわ」


 言い淀むグレンの声に被せ、私は言い放つ。悲しげに歪んでいくグレンの顔を見ていられず、私はそっと目を伏せた。


 「私は、グレンとリーシェには感謝しているのよ。自分でも偏屈で面倒な女だとわかっているわ。それでも、二人は優しくしてくれた。とても、嬉しかったわ。……今回の件、私が精霊であるがゆえに起こったことよ。だから、私が責任を果たすべきなのよ」


 感情のままに言葉を重ね、私はゆっくりと視線を戻す。捕らわれた先に訪れる暗い未来から目を逸らし、グレンの瞳を一心に見つめる。

 十数秒後、悔しそうに唇を噛んでいたグレンが重々しく口を開いた。


 「……見殺しにはしないよ。できることはさせてもらうから」

 「ありがとう、グレン」


 私は不安を押し隠して微笑んだ。


 「私は精霊だから、うまく逃げられるかもしれないわ。だから、リーシェを優先して欲しいの。……リーシェはグレンのことが大好きだから、助けてあげたら絶対に喜ぶわ。帰ってきたら、今よりもリーシェと一緒にいてあげて」




 私は周囲を警戒したまま、一歩ずつ歩みを進めていく。明らかに治安の悪そうな裏通り。華やかな中心街ばかりを訪れていたからか、異様な雰囲気にふつふつと恐怖心が沸き上がっていた。


 体に纏わりつくような不愉快な視線を四方八方から感じる。

 数の暴力がいかに恐ろしいか、私は三百年前にすでに学んでいる。襲われれば一体どうなるのか、嫌な想像が脳裏をよぎる。平静を装うことが精一杯だった。

 少し前を歩くグレンに声をかける余裕はとっくに失われている。重苦しい沈黙だけが続いていた。


 あとどれだけ歩けばいいのだろうか? 指定された時刻は午後八時だ。街灯が少なく辺りは薄暗い。たった一人で捕らわれたリーシェはどれだけ心細いのか。リーシェのことを思い、私の胸は締めつけられていた。


 「どうやら、ここみたいだね」


 グレンが足を止める。その横に立った私は建物を見上げた。

 捨て置かれた庁舎なのだろうか、木造二階建ての建物は周囲の建物よりも厳かだった。敷地は広大だったらしいが、今では好き勝手に雑草が生え、廃材が置かれている。

 ……私とグレンを窺う視線は、裏通りを歩いていた時よりも増えていた。


 「エルティナ」


 グレンに呼びかけられ、私は顔を上げる。勇ましい表情のグレンが強く私の肩を叩く。表情を引き締め、私は大きくうなずいた。


 「リーシェを迎えに行くよ」


 短くつぶやき、グレンは堂々と歩き始める。私も横並びになって旧庁舎へと足を動かしていく。


 旧庁舎の中は外にも増して暗がりだった。建物自体の老朽化も激しいのか、一歩踏み出すごとに悲鳴のような甲高い音が響き渡っていく。崩れそうな足元に歩みは遅々として進まず、焦燥感が煽られる。二階の中央に位置する市長室までの距離が永遠に思えた。


 数分後、ドアを失い吹き抜けとなった市長室へ私とグレンは踏み込む。

 室内には男性が三人、そして手足を縛りつけられて寝転がされたリーシェ。猿轡を嵌めさせられ、涙で頬を濡らす姿は痛々しい。殴られたのか、リーシェの頬は赤く腫れていた。


 悲惨なリーシェの姿に怯える心音が急停止する。恐怖から怒りへとスイッチの切り替わる音が頭の中で響く。心がどす黒く染めあげられていった。

 グレンも怒りを滾らせているのか、隣からも不穏な空気が漂い始めていた。


 「その小さいのが精霊か? 顔を見せてくれよ」


 リーダー格らしい長身の男性が下卑た声で笑い、リーシェを乱暴に吊るし上げる。涙を零すリーシェの口からくぐもった悲鳴が漏れ出した。


 何が楽しいのか、男性たちは痛みで暴れるリーシェを声高に嘲笑っていた。


 「――リーシェ」


 奥歯を強く噛み締め、飛びかからんばかりに私の体が傾いていく。その瞬間、グレンに腕を強く引かれ、後ろへと戻された。


 「――こちらの精霊は差し上げますから、どうか娘への乱暴を止めてください! お願いします!」


 グレンが声を張り上げた瞬間、男性たちは今度はグレンを小馬鹿にし始めた。人質にとられた娘のために貴重な精霊を差し出す言いなりの父親――自分たちの優位を疑っていないらしい。


 私のフードをとるためにしゃがみ込んだグレンの瞳は怒りに燃えていた。


 「交渉の余地なしだね。リーシェを任せたよ」グレンが口早につぶやいた。

 「真ん中を倒せばいい?」

 「全員、僕がやる。リーシェの安全確保だけお願い」


 グレンが私のフードを上げていく。私の顔がはっきりと男たちの顔を捉えた瞬間、グレンがリーダー格の男性に向かって疾走する。事前にグレン自身の体に刻んでいた魔法式を使用したのだろう。私が風魔法を発動するよりも一瞬早く、リーダー格の男性を殴り飛ばしていた。


 支えを失い床へと落下していくリーシェを受け止めるべく、私は風を巻き起こす。そして、一気に私の元へと引き寄せる。

 恐怖に支配されたままのリーシェを丁寧に床へ下ろして手足の拘束を外す。前方の敵をグレンに任せ、私は室外へと風を送り込んで他の敵を探り出す。少なくとも二階に敵はいなかった。

 ……もっとも、一階が慌ただしさを増している以上、立て籠もるか逃げるか決断しなくてはならないだろうが。


 「外の敵は?」グレンが鋭く訊ねる。

 「二階にはいない。一階に集まっている。少なくとも十人はいるわ」


 グレンは宙に文字を刻み始める。数秒もかけずに構築された魔法式は光の粒子へと姿を変え、グレンの右手に収束していく。ガラスのない窓枠に向かい、右手を差し伸ばして一気に光を解放する。

 放出された光が夜闇を切り裂いていった。


 「さて、救援が来るまで持たせるよ」


 優しげな笑みを浮かべ、グレンは私とリーシェの元へ近づいていく。視線を送ると、グレンの背後で三人の男性が気絶している。関節を外されているのか、あらぬ方向に手足が向いていた。

 男性たちの末路から目を逸らし、リーシェに顔を向ける。ポツポツと涙の雨を降らせながら、焦点の合わない瞳が床に向けられていた。


 「……リーシェ、リーシェ」


 私は名前を呼びながら、リーシェの真向かいに座る。視界を遮られたリーシェがのろのろと顔を上げていく。その瞳に私を捉えると、くしゃりとリーシェの表情は歪んでいった。


 「リーシェ、ごめんな……いえ、よく頑張ったわね。貴方は頑張ったわ」

 「……エル、ティナ……エルティナ」


 涙をあふれさせたリーシェが感情を爆発させる。勢いよく私に泣き縋った。


 「リーシェ、偉かったよ」


 隣にしゃがみ込んだグレンが愛おしそうにリーシェの頭を撫でていく。私もグレンも安堵の笑みを浮かべていた。




 「――どうやら、来たみたいだね」


 リーシェを慰めていたグレンが突然に立ち上がる。恐怖を思い出したのか、私にしがみつくリーシェの体が小刻みに震え始めた。


 私はリーシェの耳元にそっと口を寄せる。


 「貴方を守るから、少しだけ待っていて。……大丈夫だから」


 ゆっくりと私が立ち上がると、引き留めるリーシェの両腕が力なく落ちていく。座り込んだままのリーシェを庇うように、私とグレンが入口に向かって立つ。

 風魔法で索敵しなくとも、荒々しい靴音が敵の接近を告げていた。


 「僕が前に出て戦うから、討ち漏らしの相手を頼むよ。カーティスたちが来るまでの辛抱だから」

 「わかっているわ。グレン、貴方に武運を」

 「エルティナもね」


 グレンは私の頭を一撫でし、室外へと飛び出していく。数秒後、打撃音と聞きなれない男性の叫び声が響き渡る。私は魔力を放出し、グレンの死角に入った敵を吹き飛ばしていった。


 私とリーシェが陣取る市長室を中心とし、グレンは長い廊下を何度も行き来する。寄せ来る敵を打ち倒し、誰一人として市長室への侵入を許さなかった。


 戦闘が始まってから三分間が過ぎるころ、体に直接叩きつけられるような轟音が響き渡る。グレンの状況を観測していた私は、慌てて風を巻き起こし、一階に叩き落とされつつあったグレンの着地を支えた。

 老朽化した建屋が戦闘に耐えられなかったのか、市長室へと続く一方の廊下が崩落していた。


 グレンの無事を確認し、小さく息を吐いた後、私は急いで室外へと躍り出る。手前に二人、奥に三人。敵意を剥き出しに駆け寄る男性たちの姿が見えた。


 私は大きく息を吸い込み、一気に魔力を放出していく。市長室へ向かう男たちの足場――崩れ落ちそうな廊下を氷漬けにして補強する。


 ここまでの戦いで相手がろくな魔法を使えないことはわかっている。それでも、全ての敵をグレンに集中させれば間違いが起こるかもしれない。半分は私が相手をする必要があるだろう。


 精霊とは言え、私の容姿はただの小娘にしか見えない。大人のグレンよりも侮られても仕方がないだろう。私の姿を捉えた男性たちは走るの止め、嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 恐怖心を煽っているのか、男性たちはゆったりとした足どりで近づいて来る。


 侮蔑を孕んだ笑みを浮かべ、不機嫌を隠しもしない口調で私は言い放った。


 「私とお前たち、どちらが狩られる獲物か教えてあげるわ。見かけだけで私を判断したことを存分に後悔しなさい。私は友人に手を出されて情けをかけられるほど、優しくはないわ。愚か者どもめ、覚悟なさい」

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