016 事情聴取①
「エルティナ、大丈夫なの?」
「……ええ、大丈夫よ。私は何もされてはいないわ。二対一でも負けたりはしなかったのよ」
リーシェの気遣う声を聞き、私は笑顔を作る。再びリビングへと戻ってきた私とリーシェは横並びに座っていた。俯きがちな私を、リーシェは心配そうな面持ちで見つめている。
「それよりも、どうして出てきたの? 隠れているように言ったでしょう?」
「えっ、それは……」
言い淀むリーシェは私から目線を外す。膝上に置かれていた魔法書を気まぐれに何度も撫でていく。私の言葉を忘れていたわけではないようだ。
「大きな声が聞こえたから、エルティナに何かがあったのかと思ったんだ。だから、助けに行ったんだけど……足手まといになったよね、きっと」
リーシェは恥ずかしそうに頬を染め、小さく頭を下げる。想像だにしなかった言葉に、私は目をしばたかせた。
「……私を助けにきたの?」
「そうだけど……そんなに驚くこと? 私だってエルティナを心配しているんだよ。本当は一緒に隠れて欲しかったんだ」
「危ないとわかっていたでしょう? 私の方がリーシェよりも強いのよ。私を倒せる相手に、リーシェが勝てるわけがないわ!」
思わず私は声を荒げる。リーシェの肩がピクリと跳ね上がり、目が大きく開かれた。悲しげに表情を歪めていくリーシェを眺めながら、私は言い知れぬ罪悪感に苛まれる。
「わかっていたけど……行かないとダメだと思ったんだ。気づいたら……エルティナを助けに走ってたの」
リーシェは途切れがちにポツリポツリと言うと、拗ねたように小さく頬を膨らませて顔を背けていく。ありのままに振る舞う姿に、騙されていると一瞬でも疑った私自身のことが恥ずかしくなった。
見知らぬ男と、リーシェたち。どちらを信じるべきかなど明らかだったはずなのに……。
「ごめんなさい。……ありがとう、リーシェ」
私は瞳を揺らしながらリーシェを見上げる。リーシェは横目で睨みつけるように私を見ていた。
「……怒っているの?」私は震え声で訊ねる。
「別に、怒ってなんかないよ。私が心配してることを、エルティナは信じてくれないんだって、寂しくなっただけだから」
「違うわ! 私は信じているの!」
一瞬でも疑った気まずさからか、私は大きな声で言い募る。リーシェが私へとゆっくりと顔を向けた。
「私はエルティナを助けるって、そう言ったよ。……私は弱いから、戦ったりはできないけど、嘘を言ったつもりはないから」
リーシェはお姉さんぶった笑みを浮かべ、目を見開いたまま固まる私の頭を撫でていく。優しい手つきに身を委ねたくなった。
「……子ども扱いしないでよ」
口から衝いて出た私の強がりは、リーシェに聞き入れられることはなかった。
結局、グレンが家に帰ってきたのは午後十時をまわってからだった。
慌てた様子でリビングに駆け込んで来たグレンは、ソファーに座る私とリーシェを見つけてホッと息を吐き出す。一目散に駆け寄り、私とリーシェをまとめて抱きしめていた。
「遅くなって、ごめんね。……ごめんね」
抱きしめるグレンの腕に力がこもっていく。小さな痛みを覚え、私は表情を歪める。身じろぎをするが、グレンの腕が外れる気配はなかった。
「……苦しいよ、お父さん」見かねたリーシェが小さくつぶやいた。
「えっ、ああ、すまない……」
「ずいぶんと、遅かったのね」
呼吸を整えながら、私はグレンを見やる。その瞬間、グレンは深く頭を下げた。
「リーシェを守ってくれて、ありがとう」
「……別に、当然のことをしただけよ。カーティスはどうしたの?」
「ああ、犯人たちを連行していったよ。……それで、エルティナには悪いのだけど、明日、事情聴取を行うことになったから、協力して欲しいんだ」
「それは、構わないわ……」
本当に事情聴取だけで終わるのだろうか? あの男の言葉を思い出し、不安が沸き上がっていく。カーティスは私が人間への憎しみを抱えていることを知っている。危険だと断じるならば、精霊石へと変えられるのではないか。
事情聴取に協力すべきだと理解はできても、気分は重苦しくなる。黙り込んだ私をグレンとリーシェが心配そうに眺めているが、なんと言ってよいのかがわからなかった。
「事情聴取には、僕も参加するよ」
「――リーシェも一緒に行く! エルティナを一人にはしないから!」
グレンの言葉に被せるようにリーシェが宣言する。チラリと二人を覗き見ると、優しく私に笑いかけていた。『心配しなくても大丈夫』、そんなメッセージを二人が送っているように見えた。
私は弱々しいながらも笑顔を作る。リーシェとグレンならば、私から意思を奪ったりはしないのではないか。都合よく捉えているだけかもしれないが、そうであったらいいなと心の中で願った。
「……ありがとう」
消え入りそうな声で私が言うと、リーシェとグランは同時にうなずく。
刻印を打つつもりがあるのか? 私を殺す意思があるのか訊ねることだけは、最後までできなかった。
翌日、グレンとリーシェに案内され、私はイトマラの中心街に位置する衛兵詰所を訪れていた。イトマラには衛兵詰所が三ヶ所あり、私の事情聴取が行われるのはイトマラでもっとも大きい衛兵詰所らしい。頭からすっぽりと被ったフードで顔を隠しながら、周囲を探るが衛兵たちは険しい眼差しを送っている。私を隠すように、グレンとリーシェに挟み込まれてはいるが、衛兵たちの視線を無視することはできなかった。早くも事情聴取を快諾したことを私は後悔していた。
案内された先は小綺麗な会議室だった。十人は悠々と座れるだろう会議室に、カーティスを含めて五人の衛兵が待っている。その中でもっとも階級の高いであろう長身の男が、泰然と歩み寄ってきた。
「わざわざご足労いただき申し訳ありません。私はこちらの詰所の管理を任されております、アルヴィンと申します。お見知りおきください」
アルヴィンの挨拶を受け、グレンが自身とリーシェを紹介していく。グレンは小さく頭を下げて踵を返す。
私の隣で片膝をついたグレンは、私にだけ聞こえるようにこっそりとささやいた。
「悪いけど、少しだけ我慢してくれるかい?」
私が小さくうなずくと、グレンはそっとフードを外す。室内の衛兵たちの視線が私に集中していくのがわかった。
「こちらがエルティナです。昨日、不審者の逮捕に貢献した功労者となります」
グレンは立ち上がりざまに、私を紹介していく。背筋を伸ばし、私は正面を見据えた。
「こちらのお嬢さんが精霊で間違いないですか?」
「ええ、エルティナは精霊です。国には報告を済ませてありますが、もし疑われるのならば、確認していただいても構いません」
「人型の精霊は珍しいですからね……念のために確認させていただきます」
アルヴィンは指先に魔力を込め、宙に文字を刻んでいく。以前にカーティスが見せたものと同じ魔法式を書き終えると、私を閉じ込める光の輪ができあがる。少しずつ近づいていく光の輪は、私の体へ触れ前に霧散していった。
室内の衛兵たちから、思わず声が漏れ出す。騒めきを切り裂くように、アルヴィンが口を開いた。
「エルティナさんには、昨日の状況を確認させていただきます。ご協力いただけますか?」
「……協力します」
私の答えにアルヴィンは満足げな笑みを浮かべた。
中央に不自然に置かれたテーブルへと私を導いて椅子に座らせる。そして、私の正面の椅子にアルヴィンが腰かけた。横目で入口を覗き見ると、カーティスともう一人の衛兵が扉を守っている。グレンとリーシェが私の後ろに案内されたことを考えると、残りの衛兵も後ろに立っているのだろう。
まるで犯罪者のような扱いに、息苦しさを覚える。アルヴィンの獲物を嬲るような眼差しも不快で仕方がなかった。
「エルティナさんは昨日、家に押し入ろうとした二人の男と戦った……間違いありませんね?」
「ええ、その通りです」
「その際に、エルティナさんは男を一人倒している。そして、もう一人の男は衛兵のカーティスが倒した……」
私は再びうなずく。昨日の出来事と、アルヴインの話す内容は一致していた。
「エルティナさんは、男の左側頭部を蹴り飛ばし、両手両足を動かせない体にしたのですね」
「……その通りです」私は躊躇いがちに答えた。
「どのような魔法を使われたのですか? 闇魔法が使われていると報告を受けているのですが……」
この質問に答えてもいいのかしら?
三百年前も闇魔法に対する人間の反応は芳しくなかった。精神や肉体を健常な状態に戻す光魔法に反し、闇魔法は正常な動きを阻害する。どうしても病気や欠損などの負のイメージを想起させるのだろう。それは、恐らく今も変わらない。
「答えられませんか?」
アルヴインはあからさまなため息をつく。次の瞬間、身を大きく乗り出し、私に顔を近づけてくる。私にだけ聞こえるような声でささやいた。
「貴方は男を殺そうとしたのでしょう?」
「――違うわ! 動きを止めただけよ!」
衝動的に私は叫ぶ。アルヴインは楽しげに口元を歪めていった。
「男たちは少し可笑しなことを言ってましてね」
アルヴインは私の激昂など意にも介していないように言葉を口にする。
「エルティナさん、貴方を救うために行った……そう男たちは言っているのです。心当たりがあるのではないですか?」
「――私には関係ないわ!」
アルヴインに図星を指され、私は反射的に否定する。口から衝いて出た言葉に、私はすぐに後悔した。アルヴインの言葉を肯定していることに他ならない。
顔を青褪めさせる私に反し、アルヴインは心の底から楽しそうに笑った。
「エルティナさん、ご協力ありがとうございました」
黙り込んだ私に向かってアルヴインはささやくと、体を戻してカーティスを見やった。
「カーティス、ここからは君が担当してくれ」
「後はお任せください」
席を立つアルヴインと入れ替わるように、カーティスが真正面に座る。アルヴインは満足したのか、最後まで聴取することなく会議室を出て行った。
私は絶望感を覚えながら、アルヴインはの背中を見送っていた。
「心配しなくとも、エルティナの悪いようにはしない。……お前が感情のままに否定してくれて良かったよ」
カーティスが私と顔を合わせずにつぶやく。慌てて私が顔を向けると、真剣な表情でカーティスが見つめていた。
「さて、エルティナさん、再開しましょうか?」
時折リーシェだけに見せていたお兄さんぶった笑みが私に向けられていた。




