014 団欒
「……それじゃあ、いただこうか」
グレンは力なく声を出し、ガックリと肩を落とす。静まり返った食卓からは誰の声も聞こえない。助けを求めるようなグレンの視線が不快だった。自業自得なのだから、自分で解決しなさい! 今にも口から飛び出しそうな暴言を飲み込み、私はグレンをねめつけた。
隣り合って座る私とリーシェの対面に、グレンが座るのはいつもと変わらない。長方形のテーブルを挟み、楽しげに話すリーシェの言葉にグレンと私が相槌を打つ。それが、召喚されてからの私が知っている夕食だった。
グレンの隣にエミリアが座る。たった一つの変化によって楽しい時間は霧散し、息苦しさだけが残った。エミリアを遠ざけたいと望むリーシェの意思の表れか、私とリーシェは対角線を描くようにエミリアから離れて座っていた。
おおかた、エミリアの申し出を断ることができなかったのだろう。リーシェとエミリアの仲が良好だと思い込んでいるならば不思議ではない。……もっともリーシェは取り繕うことを止めたらしい。
リーシェは顔を曇らせ、席に着いてからは一言も口にしない。対照的にエミリアは、何が楽しいのかニコニコと微笑んでいた。一方で、グレンは顔を青褪めさせ、私はそんなグレンを睨みつけている。まとまりのない四人が、同じ食卓を囲んでいた。
リーシェの作った夕食を誰も口にせず、無為に時間だけが流れていく。数十秒後、空腹感を覚えた私が呆れ混じりにつぶやいた。
「食べたらダメなのかしら?」
「――いや、ダメなわけないさ。ほら、食べるよ、食べるよ」
食い気味に答えたグレンは手を叩き、食事を促す。縋るような眼差しを向けてくるグレンを眺め、私はため息をつく。医者として患者の気持ちがわかっても、父親として娘の気持ちはわからないのかもしれない。
隣へと視線を移すと、リーシェは感情の読めない瞳をテーブルに向けたまま動かない。テーブルの下で私のスカートを強く握りしめていた。
「リーシェ、お腹が空いたわ」
体を横に倒してリーシェの軽く体にぶつける。リーシェは我に返ったかのように私へと顔を向けた。
「スープが飲みたいの」
体を起こし、私は小さく口を開く。リーシェはまぶたをパチパチと動かした後、お姉さんぶった笑みを浮かべた。
スプーンでスープを掬い、軽く息を吹きかけて冷ます。そして、ゆっくりと私の口の中へとスプーンを挿し込んでいく。餌づけされる雛のごとく私は口をパクパクと開き、何度もリーシェに食べさせてもらった。
私のお腹が膨れ始める頃には、リーシェは普段の調子を取り戻していた。結局、食事中に会話をしていたのは、私とリーシェだけだった。
横目でこっそりと見ると、グレンは安堵したように表情を緩めている。この場は私に任せることにしたらしい。視界の端に映るエミリアも表面上は笑みを浮かべているように見えた。
「美味しかったわ」
最後の一口を食べ終えたリーシェを見ながら、私は満足げに言う。リーシェは少し顔を赤らめてお腹をさすった。
「ありがとう。……でも、少し食べ過ぎちゃった」
「あら、別に少しくらい構わないでしょう? むしろ、もう少し太った方がいいくらいだわ」
私は悪戯っぽく笑う。リーシェは瞳を揺らしながら「う~ん、そうかな?」と戸惑いがちに口ごもる。
「リーシェはこれから背が伸びるだろうし、もっと食べた方がいいよ」
「お父さんも、そう思うの?」
リーシェは弾むように顔を上げ、グレンに向かって身を乗り出していく。
「うん、そう思うよ。来年には魔法を学ぶのだし、体づくりは大切だからね」
「魔法! 今日はね、エルティナと魔法の練習をしたんだよ!」
グレンは柔らかく笑い、手を伸ばしてリーシェの頭を撫でる。嬉しそうな声を漏らし、リーシェはさらに体を前へと倒していった。
私はほっと胸をなでおろし、父娘の会話の聞き役に徹する。テーブル越しになんてこともない他愛のない話が繰り広げられていく。それは、私の知るグレンとリーシェとの食事風景だった。
ふと顔を横に向けると、エミリアは不愉快だと隠しもしない視線をリーシェに送りながら、口元だけ微笑んでいる。
私に見られていることに気がついたのか、エミリアは再び人好きのする笑みを浮かべた。
「どうかしたの、エルティナさん?」
「……いいえ、何でもないわ」
エミリアは小首をかしげ、私を見つめてくる。まず真っ白な髪に目をやり、右から左へと私の腕を確認していった。
まるで値踏みするようなエミリアの視線に、私の心の中からどす黒い感情が沸き上がっていく。私の目はスッと細められていった。
たっぷりと十数秒をかけて観察したエリアルは重々しく口を開いた。
「エルティナさんは、精霊ですか?」
「……何が言いたいのかしら?」
表情筋を総動員し、私は平静を装う。エミリアの質問に、グレンとリーシェの楽しげな声も止まった。
「精霊なのですね?」
エミリアは問いを重ねると、ぐるりと食卓を見渡していく。グレン、リーシェ、私。順々に表情を確認し、もう一度リーシェの表情を眺めた後、エミリアは大きくうなずいた。
「グレンさん、エルティナさんのことは報告されたのですか?」
「……何が言いたいのかな?」
グレンは静かに瞑目し、エミリアへ向き合うように座り直した。
「僕がエルティナを実験に使うとでも言いたいのかい? それとも、エルティナが僕とリーシェを殺すと言いたいのかい?」
「ちが、違います、そんなこと、私は! ……私は、グレンさんを心配しているだけなんです」
「見くびらないで欲しいものだね」
グレンは多分に呆れを含んだ声でつぶやく。エミリアの体は小さく震えていた。
「国への報告など、とっくの昔にすませているさ。エミリア、君も見ていただろう? リーシェとエルティナはとても仲がいいんだ」
エミリアは口を強く引き結び、憎々しく私を見下ろす。どうやら、リーシェに続いて私も敵と認定されたらしい。
「僕もリーシェも、エルティナを歓迎しているんだ。……エミリア、今日はもう帰りなさい。冷静でないと、自分でもわかっているね?」
グレンは言い聞かせるような口調で語る。エミリアは何かを言おうと口を開くが、弱々しく顔を俯かせていく。数秒後、小さくうなずいた。
不安定な精神状態のエミリアを一人で帰すわけにはいかず、グレンが家まで送り届けに行ってから、ゆうに一時間は経過していた。食器を片付けたリーシェと供に、グレンの帰宅を今か今かと待ち続ける。リビングの掛け時計は午後九時を示していた。
「……お父さん、遅いね」
「そうね」
隣り合ってソファーに座るリーシェは顔を俯かせたままポツリとつぶやく。所在なげに足をふらふらと揺らしていた。
寂しげなリーシェの横顔を眺めながら、私はひっそりと息を吐く。恐らくグレンはまだ帰ってはこないだろう。リーシェが見ている手前、エミリアを叱りつけることができなかったのだから。……もしかしたら、私にも気を遣ったのかもしれない。
エミリアが考えていたことに心当たりはある。
四日前、警戒心を隠しもせずに睨みつけていたカーティスの顔がエミリアと重なって見えたのだ。躊躇いがちに私は口を開いた。
「……精霊は嫌われているのね」
リーシェは勢いよく顔を上げる。大きく開かれたリーシェの瞳に、情けない顔をする私が映っていた。
「グレンも国に報告したと言ってたわ。……精霊は、いえ、私は、管理されないと生きられないのね」
「エルティナ……」リーシェは苦しげに表情を歪めた。
「ごめんなさい、リーシェ。……四日前、カーティスを挑発するような真似なんて、するべきではなかったわ。従順にふるま――」
「――おかしいよ!」
リーシェが声を荒げ、私をねめつける。口から漏れ出ていた私の言葉は、強いリーシェの言葉で掻き消されていった。
「エルティナが我慢する必要なんてないんだよ! 精霊を嫌っている人はいるよ。……でも、私はエルティナのことが好きだから、だからね、我慢なんていらないんだ!」
興奮しているのか、リーシェの顔は赤みを増していく。
数秒間、小さく肩で息をしながら、リーシェは一心に私を見つめていた。ふと身を大きく乗り出していることに気づいたのか、ソファーに勢いよく腰を落とす。
心に灯りがともるのを感じながら、私は恐るおそる訊ねた。
「リーシェは、私が恐ろしくないの?」
「……どうして?」呆けた声を漏らし、リーシェは首をかしげる。
「私は人間を恨んでいるわ。……カーティスだって、恐ろしい顔で私を見ていたでしょう? あれは、リーシェを心配していたのよ」
リーシェはさらに大きく首をかたむけていく。目をパチパチと動かした後、考え込むように黙り込んだ。
「前にも言ったけれど……」
体を元の位置に戻しながら、リーシェは不思議そうにつぶやく。私が何を不安に思っているのか理解できないらしい。
「私もエルティナと同じだよ。私もエミリアを恨んでいるんだから」
「……ええ、そうなのね」私は歯切れ悪く相槌を打つ。
「エルティナが人間を恨むのも、私がエミリアを恨むのも、そんなに変わらないと思うんだ。……エルティナは、私が怖いの?」
私は首を大きく左右に振る。リーシェの言い分はもっともなことに思えた。
「よかったよ」リーシェは安堵したように微笑む。「私とエルティナは友達なんだから、遠慮はいらないんだ」
「その通りね」私も無邪気に笑った。
「あっ、でもね、私のことを『お姉ちゃん』と呼んでくれてもいいからね。『お姉ちゃん』に甘えてもいいんだよ」
「――呼ばないわよ」
得意げに胸を張るリーシェに苦笑しながら、私は短く切り捨てる。不定の言葉が気にならないのか、リーシェはお姉さんぶった笑みを浮かべた。
「私はね、お父さんやエルティナみたいに魔法は使えないよ。だけど、エルティナが私に言ってくれたみたいに、私もエルティナが間違った道を行くなら止めてみせる。私が助けるからね」




