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010 不審者

 修道士や修道女が給仕をしていたらどうしようか。私の内心の不安は、杞憂に終わった。貴族にでも仕えていそうな老執事が、にこやかな笑みとともに料理を配膳していく。リズベラパンが小さく切り分けられているのは、老執事のサービスらしい。お礼を言うリーシェに向かって、老執事は茶目っ気たっぷりのウィンクを送っていた。

 配膳だけでなく料理にも携わっているのだろうか。二人で遅い昼食に舌鼓を打ち、表情を綻ばせていく。午後三時を告げる鐘の音が聞こえるころ、私とリーシェは追加注文した食後の紅茶を楽しんでいた。


 「お嬢さん方は、よくここに来るのかい?」


 商人と思しき男性が唐突に声をかけてきた。驚くあまり肩を跳ねさせて振り返ったリーシェを横目に、私はゆっくりと体を向け、教会堂内をぐるりと見渡していく。老夫婦はすでに席を離れ、目の前の男性と年若い衛兵の男性の二人だけが教会堂に残っていた。

 値踏みするような視線と、チラチラと探るような視線。私とリーシェへ向けられた二つの視線には、薄々と気づいてはいた。ただ、私とリーシェのどちらを狙っているのか確証を持てずにいたのだ。

 それも、今ははっきりとわかった。狙いはリーシェではなく、私だ。ねっとりした男性の視線は、私にだけ注がれていた。


 リーシェを狙うならば人攫いの可能性が高いが、私を狙うならば精霊狩りで間違いないだろう。

 金色の髪を煌めかせて可愛らしく笑うリーシェと、両腕を失いフードで素顔を隠している私。容姿が整っているかもわからない私を狙うのは、愚行でしかない。そんなリスクは犯さないはずだ。


 どこかで私が精霊だと気づいたのかもしれない。精霊狩りが禁止されている以上、直接的な接触はないのでは? ……私はどこかでたかをくくっていたのだ。苦い後悔が沸き上がってきた。


 男性への警戒を強めながら、視線を遮るように顔を俯かせていく。

 この場はリーシェに任せるべきか? それとも、危険を承知で私が対応するべきか? 一瞬の逡巡の後、私は――リーシェに託すことに決めた。


 突然のことに固まったリーシェに向かって、私は体を強く押し当てる。思わず呆けた声を漏らしたリーシェは身じろぎした。戸惑うリーシェを一瞬だけ見上げ、逃げるようにリーシェの体へと頭を沈めていく。

 状況を察してくれたのか、リーシェは私を抱き寄せる。まるで怖がる幼子を宥めるように、フード越しに私の頭を撫でた。

 リーシェの手に押され、フードで私の頭は覆い隠されていく。


 二度三度と私の頭を撫でていたリーシェの手が、そっと離れていった。


 「……この子は、怖がりさんなんです。突然話しかけられたから、びっくりしちゃったのかな?」

 「それは、申し訳ないことをしたね。小さなお嬢さん、どうか突然の無礼を許してくれないかな」


 男性は片膝でも床につけたのだろうか、上から聞こえていた声が近くに聞こえる。私を抱き寄せるリーシェの腕に、力がこもっていくのがわかった。


 「あの、そんなに謝らなくてもいいですから、頭を上げてください」

 「いや、それでは私の気持ちがおさまらない。しっかりと謝らせて欲しい」


 頑なな男性は一向に引こうとしない。私に謝罪する――その一点張りだった。


 謝罪は不要だと、リーシェが言うのは何度目だろうか。リーシェの物言いは、徐々に険を含んだものへと変わっていく。ついには、口を閉ざしてしまった。


 ……我慢比べのつもりかしら? 私の反応を待っているのか、男性は黙り込んだまま動こうとしない。私にもリーシェにも話す気がないため、気まずい沈黙が数十秒間も続いていた。


 いっそのこと、魔法で排除できればどれだけ楽か。ふと浮かんだ考えに、ひっそりとため息をつく。私も焦れてきているのかもしれない。


 魔法を使えば、私が精霊だと確信を与えてしまう。

 精霊かもしれない――不確実であるがゆえに、この男性は動かないのだろう。私の予想通り精霊狩りを目的とするならば、男性一人だけとは思えない。恐らく仲間がいるはずだ。


 私とリーシェの足で逃げ切れるとも思えない。食事代を支払い終わっていない以上、教会堂から逃げ出せば食い逃げ犯となってしまう。男性に私とリーシェを捕らえる大義名分を与えるのはまずい。捕まったが最後、衛兵に引き渡されることもなく、連れ去られることになるだろう。


 必死に思考を巡らせるが、堂々巡りを繰り返すばかりで、打開策は思いつかない。私はぐりぐりと頭をリーシェの体に押しつけていた。


 数秒後、リーシェが顔を俯かせ、私の耳元へと顔を近づけていく。優しげな声でリーシェがささやいた。


 「もう大丈夫だよ」


 私の見上げた先には、得意げな表情で笑うリーシェがいた。ポンポンと軽く私の頭を叩くと、リーシェは顔を正面へと向けていく。視線は男性よりも、さらに奥へ向けられていた。

 思わず顔を上げ、私はリーシェの視線を追う。爽やかな笑みを浮かべながら、老執事が近づいて来ていた。その一歩後ろを教会堂に残っていたもう一人の客――衛兵と思しき男性が椅子から立ち上がって追ってくる。厳しい眼差しを男性へ向ける姿は、歴戦の勇士に思えた。


 「お客様、何をなされているのですか?」老執事の落ち着いた声が響いた。

 「いや、少しお嬢さん方とお話をさせていただいていただけですよ。……もっとも、小さなお嬢さんを怖がらせてしまったみたいですが」


 老執事へ振り替えることもなく、男性はあっけらかんと答える。

 人好きのする笑みを浮かべ、私を見つめている。ハッとした私は慌てて顔を背けた。


 「嫌われてしまったかな?」

 「申し訳ございませんが、お引き取りいただけますね」

 「仕方ありませんね。旅の思い出に、可愛らしいお嬢さん方とお話がしたかったのですが……残念なことです」


 男性は深くため息をつきながら立ちあがる。


 「お嬢さん方、今日のところは、これで失礼させてもらうよ。楽しみは次の機会にとっておくとしようか……」


 穏やかな口調で語った後、男性は踵を返して歩き出す。老執事は「遅れてすみませんでした」と短く謝罪し、男性の後を追っていく。

 私とリーシェ、衛兵の男性。三人だけが残された。


 「すぐ助けてくれると思ってたのに」


 リーシェが不満げにつぶやく。非難を込めた視線は、男性に向けられていた。


 「無理を言わないでくれ。あの男はまだ、何の罪も犯していなかったんだぞ。研修中とは言え、衛兵の俺が、個人的な理由で動くわけにはいかないんだ。……当然、あの男が手を出せば、即座に止めるつもりだったけどさ」


 眉尻を下げて男性は答える。リーシェの知り合いなのだろうか、二人の間には気安い空気が漂っていた。

 リーシェに寄せていた体を起こし、私は椅子に座り直す。言い争いを始めた二人をぼんやりと見上げていた。

 ふと私の視線に気づいたのか、男性が優しげな眼差しで見つめてきた。


 「自己紹介が遅れたな。俺はカーティス。そこにいるリーシェとは長い付き合いの……お兄さんみたいなものだ」

 「――ただの友人!」リーシェが声を荒げた。

 「まあ、仲は悪くないんだ。すぐに助けてあげられなくて、悪かったな」


 唇を尖らせるリーシェを気にする様子もなく、カーティスは笑い混じりに答えた。はた目からは、カーティスとリーシェがまるで兄妹のように見える。からかい好きな兄と、素直になれない妹。お姉さんぶった態度をとるリーシェは、そこには居なかった。


 リーシェの兄同然の――カーティスが教会堂にいたのならば、私が動かなくて正解だったのかもしれない。私を見つめていたのも、リーシェを心配していたからだろうか。私はカーティスへの警戒を解き、表情を緩めていた。


 「リーシェ、ありがとう」


 私はリーシェに微笑む。目をパチパチと動かすリーシェは照れ臭そうに頬を掻いていたが、悲しげに表情を歪めていく。私からカーティスへと目を動かした。


 「私は時間を稼いだだけだよ。……助けを呼んだのは、カーティス」

 「おいおい、リーシェが目線で合図を送ったんだろ? 助けを呼んだのは、リーシェで間違いないさ。リーシェが動いたから、俺は魔法を使ってあの執事を呼び出したんだよ」


 優しげな口調で語るカーティスの言葉には、どこか断定するような響きがあった。私が横目でカーティスを覗き見ると、カーティスは小さくうなずいた。


 「二人に助けられたわ。二人とも、ありがとう」


 リーシェとカーティス、それぞれに視線を送り、深く頭を下げる。そして、私はゆっくりと頭を上げていった。

 お姉さんぶった笑みを浮かべるリーシェと、そんなリーシェをにやけ顔で見つめるカーティス。二人の様子に、私からは自然と笑みがこぼれていた。

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