表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/46

001 敗戦

 剣戟の音が遠くに響き渡る。美しかった風景が荒れていく姿を眼下に収めた私、エルティナは深くため息をついていた。刻一刻と大きく鳴り響く滅びの音を無視することはもうできない。アルスメリア王国は滅びの時を迎えていた。


 水の王国アルスメリア――豊かな水源に恵まれたこの国では、人と精霊が供に支え合って暮らしてきた。精霊信仰の根強いアルスメリアでは、精霊には敬意が払われる。そして、人々の信仰に対して精霊たちは応え続けてきたのだ。

 火、水、土、風、光、闇……世界の根源たる自然、イプスを操る魔法は、精霊だけに扱うことのできる奇跡の力だった。


 長い時を供に過ごした精霊と人間の関係が変わるとは誰も思っていなかった。

 精霊と人間の関係が急変したのは三十年前――ある男が初めて魔法を使ったときからだろう。


 精霊よりも高度な魔法を披露し、人間はもちろん精霊からも尊敬を集めたという。どうして魔法が使えるようになったのか、誰もが疑問に思っていた。

 そんな周囲の期待をよそに、男は黙秘を続けていたらしい。知識の独占を嫌った人間たちは、男を非難して責めたてた。とうとう耐えきれなくなったのか、男はようやく重い口を開いたと言われている。


 『精霊を煎じて飲んだ』


 男のたった一言が、精霊狩りの始まりだった。


 精霊の姿は小さな子供と変わらない。ただ精霊の体には、イプスを操るために必要な魔力が宿っていた。この魔力の有無が、精霊と人を明確に区別していたのだ。

 体格的に劣る精霊は、単純な力では人に勝つことはできない。それゆえに、力と魔法を手にした人にとって、精霊は単なる獲物でしかなかった。


 各国で精霊狩りが横行し、逃げ惑った精霊たちの最後の拠り所が、アルスメリア王国だった。……私もアルスメリアに逃げ込んだ精霊だ。


 私は静かにまぶたを下ろし、アルスメリアで過ごした日々を思い返していく。

 始まりは、精霊狩りに捕らわれていた私をアルスメリアの騎士たちが救い出したことだった。留学先から帰国途中の王女――フィーネが立ち寄った街で、指名手配されていた男を偶然見つけたのだ。フィーネの判断の下、精霊狩りの常習犯のアジトを騎士たちが強襲して保護された。それ以降、私はフィーネに仕えてきた。


 勉学を学び、フィーネ付きのメイドとして身のまわりのお世話を担当した。王城付きの精霊には魔法を教わりもした。精霊狩りに怯え、逃げまわった十年間のことはもう覚えていない。私にとってアルスメリアで過ごした三年間こそが、全てだった。


 ――だから、私はこの選択を後悔していない。後悔なんてしない。


 目を開けた私は、振り返って部屋を出る。入口のそばには、フィーネのドレスを身にまとったメイド仲間の姿があった。ちらりと一瞥してから、私は廊下を歩き出す。偽王女は深く頭を下げ、私の後ろをついてきた。


 「……最期まで生き抜きましょう」私は小さくつぶやいた。

 「エルティナ様、フィーネ様は王都を脱したと伺っております。……どうか供に逝くことをお許しください」


 背中越しに震え声が聞こえてくる。私には振り返ることはできなかった。

 私たちを、精霊を切り捨てれば、アルスメリアが滅亡することはなかったのだ。侵略した周辺国が一番の悪だが、精霊に罪がないわけではない。

 最期まで戦うことで、罪滅ぼしとなるのだろうか。死んでいった者たちが許してくれるかは、私にはわからなかった。


 黙り込んだまま、私と偽王女は階下を目指す。燃え広がる城内に留まるつもりはない。フィーネから少しでも注意を逸らすべく、敵陣へ最期の突撃を敢行するつもりだった。下へ下へと進むにつれて、覚悟を決めた兵士と精霊たちが一人二人と集っていく。

 誰もが結末を理解していた。それでも、引き返す選択肢はなかった。


 城から飛び出したアルスメリア軍に向け、無数の魔法が飛来する。精霊にしか魔法が使えないアルスメリア軍と、全ての兵士に魔法が使える敵軍とでは、戦力差は歴然としていた。

 

 アルスメリアの滅亡は当然の帰結だった。



 「――まだ息をしている!」


 唐突に男の悲痛な叫び声が聞こえ、痺れるような痛みが頭に走る。全身から魔力を抜かれてしまったのか、全身が気怠く視界もぼんやりと薄暗い。どれだけの時間が経ったのかも、男が誰であるかも、私には判断できなかった。


 アルスメリアはどうなったの? フィーネは逃げきれたの?

 男に聞きたいことはたくさんあった。それでも、声の一つもあげられない。沸き立つ焦燥感だけが、私の胸を焦がしていく。


 突然、私は男に抱きしめられた。


 「……すまない、すまなかった」


 男の悲しげな声が響き、私の頬にポツポツと男の涙が落ちていく。零れた涙が私の頬に幾筋もの道を作っていった。


 ……どうして泣いているの?

 状況が把握できず、私は混乱していた。


 「少しだけ、我慢してくれ」


 涙混じりに男の硬い声が聞こえる。次の瞬間、頭の中が真っ赤に染め上げられる。イタイ、イタイ、イタイ――。

 右腕に激痛が走る。左腕に激痛が走る。私は限界まで目を大きく開き、断末魔を迎えた獣のようなうめき声を口から発していた。


 痛みで暴れる私を、男は強く抱きしめる。


 「すぐ、楽にしてやるからな」


 男はつぶやくや否や、私の右腕に触れる。痛みで悶える私を押さえつけながら、男は私の右腕に指先を滑らせていく。男の指先が触れた場所から、私の体に魔力が流れ込んでいった。


 魔法式が体に刻まれていることに気づいた瞬間、全身から血の気が失せた。


 殺される! 認識した瞬間、私は激しく暴れ出す。男の魔力が私の体内を蹂躙していく感覚に、本能的な危険を覚えずにはいられなかった。


 精霊と人が扱う魔法は本質が異なる。自身の魔力を溶け込ませてイプスに働きかける精霊の魔法に反し、人間の魔法はイプスを服従させることを旨とする。自身の魔力をイプスに流し込み、イプスを屈服させることで思いどおりの結果を得る――それが人間の編み出した魔法だった。

 同じ結果を得るにしても、精霊と人とではイプスへの向き合い方が違う。今、私に使われているのは人間の魔法だった。


 放して! 殺さないで! うめき声からは私の恐怖も絶望も男には伝わらない。止まることなく私の右腕に文字が刻まれていく。


 敗色濃厚とは言え、独りではなかったから勇気を奮い起こせた。満足に目を開けることもできない今は、状況もわからず完全に独りきりとなっている。

 死を受け入れていた、虚飾の覚悟はもろくも崩れ去っていた。直前に迫った死の予感に、私は恐慌状態に陥っていた。


 男は右腕から手を離すと、私の左腕に触れる。

 体を固くする私を嘲笑うように、男の指が文字を刻み始める。私の左腕から男の魔力が流し込まれていった。

 力の限り叫びながら、手足をバタバタと動かす。精一杯に私は反抗するが、拘束が解かれることも、魔法式を刻む指先が止まることもなかった。


 左腕から男の手が離れる頃には、私は抵抗を諦めていた。

 カチカチ、と恐怖で歯を鳴らしながら体を震わせる。零れていく涙を抑えることもできない。


 「痛かったよな? あと少しで終わるから、もう少しだけ我慢してくれ」 


 ……ああ、私も殺されるのね。

 今が昼であることが残念でならない。夜であったならば、この男に一矢報いることもできたのに。私は力なくまぶたを落とし、死の瞬間を待った。


 男の大きな手が私の胸の中央に触れる。

 次の瞬間、火が噴き出したかのように体中が熱を帯びていく。私の意識は燻るように少しずつ失われていった。


 「これからの君に、多くの幸せが訪れることを願っているよ。……すまない、フィーネ。この精霊しか――」


 私の意識は、完全に途切れた。



 ここはどこなの? 私は殺されたのではないの?

 次に目覚めたとき、私の前には闇が広がっていた。立ちあがろうとするが、足が動かない。腕も同様だった。


 周囲を確認しようと首を動かすと、ジャリジャリと甲高い音が響いた。

 恐るおそる体を前へと傾けていくと、首を絞めつける感覚が強くなっていく。首輪がつけられている――その事実に気づいた私は、恐怖で体を震わせることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ