もう一人の父親とトラウマ
体育館の裏に来い。
少年は愚直にそこへと向かった。
工事の終わった体育館の裏では、ハンマーやインパクトレンチといった、さまざまな工具が置いてあった。
そこで、少年の悲劇は始まった。
「……えっ?」
少年の体は硬直した。数年前に意を決して告白し、中学校、高校と今まで一緒にいた彼女が……知らない男と体を重ねている。
とち狂ったかのように快楽に溺れ、嬌声を上げる少女を目の前に、少年は立ちすくんでいた。
これが、俺の愛した人か?
そう、少年の最愛の人は目の前で奪われたのだ。
「やめろッ!」
悲痛な叫びがこだました。そんな彼を見てニヤニヤ笑っている少年。
「ぎゃははッ!お前なんかには相応しくねぇよ!」
「にゃろ……ッ!」
少年は怒り、その右手側にある巨大なハンマーらしき物体を掴んであざ笑う男の薄汚い睾丸目掛けて振り回そうとし……
そこで紅月は目を覚ました。
ここは……?
紅月は記憶を手繰り寄せた。
不意に全身に痛みが走った。
「痛ッ……!」
「おう、気がついたかね」
「なんだ、アンタは……ぐっ」
「おまはんはまだ完治してねぇんじゃ。完治するまで寝とけ、寝とけ!飯は胃に優しい薬膳粥じゃぞ?」
「いや、俺は別に施しを……」
「いいから、いいから!」
紅月は若干押しに弱い男だ。他人の親切は受け取らざるを得ないとも考えている。
「……かたじけない」
「いいって事よ!困ったら助け合いがこの村のルールじゃしな!村八分は行なわない主義を言ってるしな!」
支離滅裂だろ、と言おうとした矢先、急に体が空腹を訴え始めた。
ぐるるぅう、ぎゅるるる……
空腹を抑えきれない紅月は、粥をよそってもらう。
紅月は戸惑っていた。
相互扶助の社会である村社会に居ていいのか?それよりもここに毒は入ってないよな?
だが、空腹は空腹だ。
「いただきます……」
一匙掬い、口へと運ぶ。米に似た穀物特有の甘みと、鶏ガラでとったような出汁の味が口の中で解けた。後から効いてくる薬草の風味が食欲のスイッチを連打する。
美味い。
心が死んでいた頃は、何を食べても美味しくなかった。大好きだった蕎麦も、食感すら感じなかった。そんな紅月が、心を閉ざしてから初めて『美味しい』と感じたのだ。
食べているうちに紅月は、米とは別の甘味を感じた。
ピーナッツの味を柔らかくしたような味と、仄かな甘み。そして僅かな苦味。
「主人よ、質問をしていいだろうか?」
「かまへんよ?」
「この粥、クコの葉と実、松の実、それになつめが入っているよな?」
「そうそう!これ、わっちらが住んどる村の薬膳料理の中でも初歩の初歩やぞ?」
この滋味溢れる美味しいお粥で、初歩の初歩?
紅月は目を丸くした。が、その後はキッと顔を戻すと、また食事に集中した。
噛み締める度、滋味が舌の上で広がる。そして、真心の味も感じた。
気が付けば、紅月は涙を流していた。
「……失礼、目から塩水が……」
「涙じゃ、知らへんのか?」
「……涙、か。泣いたのは久しぶりだ……」
「……わっちの身の上でも聞くかえ?」
彼はサイガと名乗った。
曰く、彼は妻を寝取られ、娘を犯された挙句殺され、息子は音信不通。そんな矢先に、息子によく似た少年……紅月が現れた。
彼の話を聞いているうちに、自らの父親を紅月は思い出していた。
心が死んでいた頃には、側にいて支えてくれていた優しい父親。ちょっと間が抜けていて、ポンコツで、それでも純真さを一切忘れずに、優しさを教えてくれた父親。最後は最愛の妻を奪われ、悲観しながらでも家を守るために強盗に立ち向かい、その尊い命を奪われた紅月晴仁のことを思い出したのだ。
「父さん……ッ」
「わっちはおまはんの親父さんじゃないけど、辛いことがあったのは見て分かる。今日からおまはんはこの地で住むんや、何も迷惑やない」
「う……っ、ぁあ……!」
方や最愛の妻と娘を奪われ、息子の行方も知れず、全てを悲観していた男性。方や最愛の人を盗られ、母親を癌で亡くし、妹共々父親を殺された元高校生。
涙を流す紅月を抱き締めるサイガ。その姿は、まるで親子のようだった。
◇◆◇
「ところで、なんやけどな」
サイガは紅月に声をかけた。
「なんだ?」
「あそこで寝てる女の子はおまはんの連れか?」
「……女?いや、俺は一人で来たはずだが……?」
紅月はきょろきょろと辺りを見渡す……
すると、亡くなった妹と瓜二つの少女が、簡易的なベッドの上で眠っていた。
紅月の目からハイライトが消えた。
「嘘だろう?」
「うみゅ……?あ、おはようござ……」
「黙 れ」
「!?」
サイガは面食らったような貌で紅月を見た。
そして、威圧されたほうの少女は……。
「……えっ?」
目尻に涙を浮かべていた。
そんな彼女の心を読まず……と言うよりも、心を知りたくないのだろうか。紅月は追い討ちをかけるように言葉を綴った。
「目障りなんだよ、キャンキャンギャーギャー喚き散らして人生めちゃくちゃにさせやがって」
「しかも自分の都合が悪くなったら『ポリティカル・コレクトネス』とか訳の分からん御託を並べやがって」
「え、その、わたしはただ」
「五月蝿いんだよ、下郎が」
紅月の目は、憎悪で満ち溢れていた。どす黒い感情は、その鋭い眼光から漏れだしていた。
「貴様らがギャースカギャーギャー喚き散らしたせいで我が故郷は実質的に女尊男卑へと変化してしまったんだ」
もはやただの言いがかりである。だが、紅月の怒りは止まらないようだ……
「テメェが俺をストーカーしてたのはあれか?いつでも殺せるぞってアピールか?それともあのくそったれた独裁者の差し金か?追跡されっと昔のことを思い出して堪らねぇんだよ。お前にわかるか?私物がどんどん消えていき、宛先不明の手紙が大量に届く。その恐怖が分かるってのか?」
紅月はひとつ呼吸を置くと、冷酷に、そしてどす黒い言霊を込めて言葉を放った。
「ぶ っ 殺 し て や る よ 、 脳 み そ ス ッ カ ス カ の イ カ れ た ク ズ 女」




