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7.水瓶の少女(前)

 火曜会のサロンは、スラウゼン学院でも最も見晴らしのいい、南翼の三階にある。


 最上階にあるその部屋はことさら高く天井が取られ、巨大なシャンデリアが設えられた天井から視線を繋げるように、あちこちに絵画や彫刻品が飾られていた。


 部屋の奥に設置された暖炉は、それ自体が芸術品のように美しく、ソファセットもまた優美な刺繍が施されている。

 テーブルは天然木材を使用した艶やかなもので、そこに乗った茶器の類もまた、王家御用達の窯で焼かれた一級品。要は、このサロンには美しく貴重なものしか無かった。


「ようこそ、火曜会へ。知っているかと思うけれど、わたくしは、イサベル・フォン・シュタウディンガー。この会の主催者の一人としてあなた達を歓迎するわ。どうぞイサベルと呼んで頂戴」


 出迎えてくれたのは、真珠のように光沢のあるドレスに身を包んだイサベルだ。

 既に社交界デビューを果たした女性らしく、燃えるような赤毛は美しく結い上げ、丁寧に紅を刷いた唇できれいに微笑んだ。


 ルドルフは丁寧に名乗り、ライルも小さく名を告げ礼を取る。


 イサベルの気まぐれか何かで自分も入会させられてしまったが、今の自分はこの学院の生徒ですらないことを考えれば、静かにさえしていれば不要な注目は集めずに済むだろう。


 ライルのその考えは、半分当たり、半分外れた。


 イサベルはすぐに踵を返してしまい、無用な関心を集めずには済んだのだが、その理由はけしてライルの大人しい佇まいなどではなかったからだ。


「時にイサベル様。この方々は……?」


 ルドルフが戸惑いの声を上げたのも無理はない。

 サロンにはなぜか、大小様々な美術品を抱えた学生たちがひしめいていたからである。


 イサベルははあっと溜息をつくと、「サミュエル、どうにかして!」と悲鳴のような呟きを漏らした。


「おや、冷たいねイサベル。こいつらはみんな、麗しき我らがイサベル様のために集まってきたと言うのに」


 眉を上げて軽やかに返すのは、サミュエル・ツー・アルテンブルクだ。

 高貴な猫を思わせる艶やかな茶髪を掻き上げて、彼はいかにも優雅に肩を竦めてみせた。


「そこなルドルフくんよりも、我こそ火曜会に相応しいと息巻いている、気高い挑戦心を持った勇者たちだ」


 男子生徒の持つ筆を剣に、キャンバスを盾に見立てての発言だろう。


「……相変わらず、ちゃらい」


 思わず、ぼそっと呟きが漏れる。


「どうした、ライル?」

「いえいえ、格好いい方だなあと」


 ライルは先の発言を、心にもない言葉でごまかしたが、ルドルフは丁寧に「そうだな」と頷いた。


「アルテンブルク先輩は、その容貌や学業の成績は勿論、優れた剣術で知られるお方だ。学院を出られたら、大鷲騎士団への入団も決まっているという。男なら憧れずにはいられないお方だな」

「……へえ」


 三軒隣の奥さんが目玉焼きは半熟よりもよく焼き派、という話くらいには興味が持てる。


 二人が呑気に会話している間にも、イサベルの苛立ちは募っているようだった。


「わたくしは、公正な審査を経て彼らを選出したのよ。あなた方が放棄し、わたくし一人が運営した審査を経てね! それを無視して押し掛けるなど、ルドルフたちへだけではない、わたくしへの侮辱だわ」

「いや、彼らにも言い分はあってね。――ジークハルトの差し金だそうだ」

「なんですって?」


 やたら驚いている様子のイサベルに、ライルはそっと聞き耳を澄ませた。


「……よほど、彼女(・・)の場所を奪われたくないということね」


 しかし、扇に隠れた小さな声までは、残念ながら聞きとることはできなかった。


 だがひとまず状況はわかった。


 どうやら今日も不在の主催者の一人、ジークハルト・フォン・クラルヴァインが、イサベルの人選に難色を示し、これを追い払うべく他の志願者の再挑戦を受け入れたのだ。


(相変わらず、やり口があくどい……)


 ライルは、いつだって自分では動かない、悪魔のように美しい顔をした貴公子の姿を思い出し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


 だが、火曜会の中でも最も警戒していた彼がこの場にいないというのは、僥倖でもある。


 なんなら再志願者に大活躍いただいて、自分はさっさとお役御免になってくれたらいいと願いながら、静かに状況を見守っていた。


「――わかったわ」


 ややあって、深い溜息を落としたイサベルが扇を閉じる。

 彼女は優雅にソファに腰を下ろし、ルドルフたちに申し訳なさそうな一瞥をくれたうえで、志願者に話しかけた。


「あなた方は、ジークにどのように唆されたのかしら。教えてくださる?」

「はっ!」


 跪かんばかりにイサベルへと憧憬の眼差しを向ける男子生徒の内、最も大ぶりなキャンバスを抱えた青年がはきはきと答えた。


「イサベル様に最もふさわしい美術品を捧げられる者が、そこの庶民に成り代わり、会に加わってよいとのことです」

「そう」


 一見、イサベルの相槌は穏やかだ。

 しかしその実、彼女の赤毛のように苛烈な怒りの炎が、その美しい顔の下で燃え盛っていることにライルは気付いていた。


(そんな扱い、イサベル様の一番の逆鱗だろうな)


 贈り物を受け取る代わりに、男に勝利を授ける。

 古い神話では女神が果たすようなその役割は、女性の自主独立を信じる彼女にとっては唾棄すべき行為だ。

 しかも、イサベルは庶民というだけで相手を見下すような態度をひどく嫌う。「庶民」というラベルを「女性」というそれに書き替えても、まったく同じことが言えるからだ。


 美しい笑顔を貼り付けたまま、繊細な指に嵌められた指輪をいじっている彼女を見て、ライルは肝の冷える心地を覚えた。


 しかし。


「ならば、そういたしましょう。せっかく素敵な美術品を持ってきてくださったのですから」


 ぱらりと扇を開いた彼女は、ジークハルトの企みを受け入れることにしたらしい。


 ただし、と彼女は蠱惑的な笑みを浮かべた。


「ルドルフとライルの入会はわたくしが決めたこと。今さら覆すようなことはいたしません。ですので代わりに、今日最も素晴らしい美術品を見せてくださった方には、わたくし自ら、夕食後のお茶を振舞うことを約束いたしましょう」

「――――! イサベル、それは……」

「よろしいわね? サミュエル」


 何かしら思い当たることのあったらしいサミュエルが、もたれていた壁からぱっと背を起こしたが、イサベルににっこりと微笑まれて、再び身を引いた。


「……わかったよ。イサベル様の仰せのままに。俺は席を外すんで、後はご自由にどうぞ」


 そう言って、飽きたように踵を返し、さっさとサロンを出て行ってしまう。

 素っ気ない幼馴染の対応に、イサベルはほんのりと苦笑を浮かべた。


 一方、入会こそ認められないものの、茶会への招待をちらつかせられた学生たちは大盛り上がりだ。


 なんといっても、イサベルは美姫中の美姫。

 その彼女手ずから、しかもこの経緯からすると二人きりでお茶を淹れてもらえるなど――それはつまり、本来なら彼女の夫となる男にしか許されない栄誉のはずであって、一介の学生にとっては夢のような話だ。


「……俺たちも何かしら持ってきた方がよかったのだろうか」


 我先にと列を作りだした男たちを見て、ルドルフが少し不安そうに尋ねてきたが、ライルはそれにあっさりと首を振った。


「イサベル様の言に則れば、私たちは、少なくとも現時点では会の正式メンバー、外様は彼らです。イサベル様と一緒に、捧げられる美術品を高みの見物でもしていればいいでしょう」

「しかし……」

「だって、あんな馬鹿高いような美術品を、今すぐどこかから持って来れますか?」


 ライルが指差したのは、早速一人が誇らしげに掲げたいびつな茶碗だ。


 不思議そうに「なんだあれは」と首を傾げたルドルフに向かって、ライルは乾いた笑みを浮かべた。


「最近流行りの、東大陸風の茶碗ですよ。独特な宗教観を反映したアシンメトリーの美と、年を経るごとに色が変わっていく味わい深さが人気で、あれだけで金貨五十枚」

「五十……!」


 ルドルフがぎょっとしたように叫んだ。

 しかしイサベルは平然としたもので、「どのあたりが私に相応しいと考えたのかしら?」と至極真っ当な質問をし、たじたじとした相手を即座に追い払った。


 そこからは、イサベルに相応しいかどうかはともかく、値の張るという点では見本市のような光景が続いた。


 ダイヤモンドを散りばめた南大陸独特のスカル、様々な角度から捉えられた顔面が一緒くたになった肖像画、黒地のキャンバスにただ一つ赤い点を落としたアバンギャルド、髭の一本一本まで再現された龍の彫刻に、何カラットあるか想像もつかない巨大なルビーの指輪――。


 理解の範疇を遥かに超える美術品を次々と目の当たりにしたルドルフは、ライルの解説を聞きながら目を白黒させていた。


 と、その時、


「私はイサベル様のごとき、麗しき乙女の肖像をお持ちしました」


 おもむろに差し出された絵画を見て、ライルははっと顔を上げた。

ルドルフもようやく理解できそうな対象物を見つけ、真剣な顔で額に収まった絵を見つめる。


 それは、あどけない少女の顔が特徴的な、美しい肖像画であった。


 白く滑らかな肌は、頬だけが上気して桃色に染まり、黒目がちな瞳は潤んでどこか遠くを見つめている。

 清らかな白い服はゆったりと弧を描きながら少女の腕や肩を覆い、そのほっそりとした肢体を際立たせていた。


 彼女の左手には可憐な野薔薇、右手には水瓶。花を活ける水を変えようとでもしたのか、井戸を前に佇んでいる。


 ささやかな影を落とす白い胸が今にも上下に動きだしそうな、水瓶に僅かに走る繊細な亀裂にすら触れそうな、見事な筆致であった。


「美しいな……」


 恐らく、絵画らしい絵画を初めて見たのだろうルドルフの感想は、とてもシンプルだ。


 しかしライルは、


「…………」


 静かに唇の端を引き上げたイサベルの姿を認めて、眉を寄せた。


(イサベル様……?)


 内心で疑問の声を上げるが、空気を震わさないそれは、誰にも気付かれない。


 やがて、時間をかけて全ての美術品を見終わったイサベルは、ぱちんと扇を閉じて立ち上がった。


「皆さま、どうもありがとう。とても有意義な時間でしたわ。この中から一人だけを選ばなくてはいけないというのも心苦しいけれど、ジークハルトが決めたこと。一回限りとはいえ、約束を反故にするわけにはいきませんもの」


 しっかりと、「不本意な結果になっても責任はジークハルトにある」「同様のことが二度とあると思うな」と釘を刺しつつ、


「あなた」


 水瓶を持つ少女の肖像を掲げてきた、体格のいい男子生徒をイサベルは指名した。


「あなたがいいわ。夕食後、またサロンにいらして」


 がっしりとした体躯に、ニキビの目立つ顔をした彼は、喜びを隠しもしなかった。


「は……! はい……! はい! 必ず!」


 貴族に多い金髪に、茶色がかった緑の瞳をした青年。

 しかしその瞳に一瞬、濁った欲望の色が兆したのをライルは見た。


(イサベル様、何を考えている――?)


 疑問には思ったが、それをぶつけてイサベルの関心を引くことも避けたい。


 結局、再志願者の品評を行う内に定刻となり、この日のサロンはお開きとなった。


 考え込む様子を見せたライルに、ルドルフがしきりと「どうした?」と尋ねてくるのを躱しながら、二人は寮へと戻ったのである。

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