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20.ルヴァンツの傲慢(後)

「いいですか? 行きますよ。――……っと」

「……らよ!」


 ライルが柵の隙間から投げたパンを、イーヴォは見事に口で捕らえた。

 そのまま器用に唇を動かし、頑丈そうな歯で咀嚼していく。

 その姿を見て、ライルは複雑そうに首を傾げた。


「……そんな状況じゃないってわかってはいるんですがね。なんでしょう、その姿、実に癒されますよ」

「ゴヒハひゃねーぞ」

「ええ、ゴリラではないですよね。どちらかといえばイーヴォ()そのものです」


 かつてライルの飼っていたイーヴォもまた、芸はさっぱり覚えない癖に、「取ってこい」だけはやたら上手かった――投げるのが食べ物の場合だと、その場で食べてしまうのだが。


 ライルのそんな郷愁交じりの思いなど知らぬ気に、人間のイーヴォは着々とパンを飲み下していった。


「いやー、ここ数日ロクに食ってなかったからな。このパンうめえ。ちょっとそこのスープ浸して、もう一個くれ」

「はいはい」


 堂々とした要求に、ライルは粛々と応える。

 彼女の側には豪勢な夕食が用意されているというのに、イーヴォにはない。それが原因で先程ジークハルトと一戦を交え、ライルは部屋から彼を追い出したばかりだった。


「――……イーヴォ」


 呑気にうめえうめえとパンを頬張る元従業員に向け、ぽつりと呟く。

 彼はその大きな鼻と口が目立つ顔を上げて、「ん?」と聞き返してきた。


「……どうして、私をそこまで庇ってくれるんですか」


 彼女は柵の間に差し込んでいた腕を引っ込め、両手でその鉄の塊を握り締めた。鉄はひやりとした感触だけを返して来る。


「飽きるまでとは言ったけれど、それならもう充分でしょう。そもそも、私にはあなたに、こうして守ってもらう資格も理由もなかった」


 ライルの低い呟きに、しかしイーヴォは暫く答えなかった。


「んー……」


 やがてパンを再び食べ終え、ひとしきり視線を天井に彷徨わせた後、彼はぽつんと答える。


「仕方ねえよ、気の乗らねえ仕事をサボろうとしたら、あんたに遭遇しちまったんだもん」

「え……」


 ライルが戸惑ったように瞳を揺らすと、イーヴォは当時の状況をぽつぽつと語りだした。


「次期当主サマも言ってた通り、俺ん家は代々クラルヴァイン家に仕える傭兵――密偵の一族だ。ま、俺は専ら工作よりも武力部隊だったがな。当主の命に従い、ある時は政敵を脅し、ある時は国境を守り」


 イーヴォの家族は、軒並み当主一族に心酔しているのだという。

 天使のように気高い彼らに仕えることを至上の喜びとし、ふんだんな報酬と気まぐれな労いを求め、何の疑いも無く忠誠を捧げてきた。

 ――獣のような容貌を持つ、イーヴォを除いては。


「埃色の髪と、ゴリラみてえな顔を持った俺は、一家の恥だった。ずさんな扱いを受けてきたせいかはわからねえが、俺はただ一人、この一族への忠誠を疑問に感じるようになっていった。……特に、何の罪も無い女の子を連れ去ってこい、なんて命令に対してはな」


 彼は、鎖に繋がれた両腕を事もなげに眺めて、諦めたようにライルに告げた。


「それで嫌気が差して、他の奴らが探さなかった、ターゲットの辺鄙な実家を探すふりでもしとこうと思ってたら、まさかその女の子がのこのこやってくるんだもん。仕事しろってことかよと」

「……そりゃ、申し訳なかったですね」

「でも、そいつは、泣きそうな顔で体育座りしてたんだ。しょげてる女の子にはよしよしってしてやるのが男っつーもんだろ?」


 気負いない、まるで、朝になったら起きるもんだろ、というくらいの、答え。


 ライルは、心臓の奥から熱が込み上げてくるのを、慌てて押さえこんだ。


「――それに、あんたには鮮やかな世界ってもんを、教えてもらったしな」

「え?」


 付け加えられた言葉は、小さく低すぎて、ライルには聞き取れなかった。


「今なんて? 私の手料理にはすっかり胃袋を掴まれたしな、って言いました?」

「どんな大胆な聞き間違いだよ! 天地がひっくり返ってもありえねえよ!」


 イーヴォが唾を飛ばす。喉が渇いたであろう彼に果物を投げ込みながら、ライルは首を傾げた。


「え? イーヴォ、いつも美味しそうにがつがつ頬張っていてくれたじゃないですか」

「おぞましそうにがんがん流し込んで、の間違いだろ? なるべく俺の繊細な味蕾に、あの人外な味わいが触れないよう、掻き込んでたんじゃねえか」


 ゴリラめいた彼に人外呼ばわりされたライルは、「そんな……」と胸を押さえた。


「今……人生で五本の指に入るくらいショックでした」

「人生なめんな」


 イーヴォは素っ気ない。

 彼は器用に食事を続けながら、「ていうかさ」と今度はライルに呼び掛けた。


「あんたこそ、なんで、次期当主サマをそこまで嫌うんだ?」

「はい?」


 今現在拘束され、ひどい扱いを受けている人物から出てくるとは思いもしなかった質問だ。

 盛大に顔を顰めたライルに向かい、イーヴォはひょいと肩を竦めた。


「そりゃだって、俺に対する扱いはこの通りだし、デフォルトで相当お黒いお人ってのはわかるがよ、お貴族サマなんて大なり小なりそんなもんだぜ。それに、少なくともあんたに対しては、相当心を砕いてるご様子だ。あの美貌、あの家柄、あの能力で、そんだけ大切にされたら、ちっとはよろっと来たりしねえのかなって。別に助かりたいから言うわけじゃないぜ。純粋な疑問」

「…………」


 ライルは仏頂面で黙り込んだ。


 確かに、イーヴォの言うことには一理ある。

 ジークハルトほどの権力と能力の持ち主なら、ライルの言い分など聞かず、もっと手っ取り早い方法で従わせることは可能だろう。

 例えば――考えるのもおぞましいが――純潔を散らすだとか、そういった方法で。


 しかし彼は、監禁もするしイーヴォには害も加える一方で、ライルには美しいドレスと豪華な食事、快適な部屋を与え、まるで割れ物のように丁寧に接してくる。一般にはそれを、破格な好意と受け取ることもできただろう。


 しかし、ライルにはそれができなかった。


「……彼は、私を支配したいだけでしょう」

「支配?」

「そう。懐かないから怒った。言うことを聞かないから閉じ込めた。きっと、逆らわれるのも、無視されるのも、彼にとっては初めてのことだったから。それだけですよ」


 イーヴォは嘆息した。


「……あんたが去った時の次期当主サマの様子を、あんたは知らねえからなあ……」


 小さな呟きは、しかし考え込んでいるライルには届かない。

 彼女は「それに」と続け、先程ジークハルトが暇つぶしにと持ち込んだ画集を開きはじめた。


「彼は、あのくそ忌々しいルヴァンツに、そっくりなんですよ」

「ルヴァンツ? ……って、合い言葉だよな。えーと、どんな奴だっけ」


 一年に渡って文具店兼贋作屋の従業員として勤めていたはずのイーヴォは、こてんと首を傾げる。


 ライルはこれまで絵画教育を施さなかった自分の怠惰を遠い目で反省しつつ、彼に向かって画集を広げた。


 そこにあるのは、二十以上に及ぶ絵画の連作。

 数十年前の他国の王妃の生涯を、神話に託して描いたもので、ルヴァンツの代表的作品である。


「あ、これ、土産物屋の絵はがきで見た事ある。有名だよな」

「……あなたの認識の、吹けば飛ぶような軽やかさは一旦置いておいて、そうですね。非常に有名な作品です」


 ライルは一枚一枚、モデルとなった王妃の生涯と照らし合わせながら、その絵がどのような意味を持っているのかを解説した。


「一枚目は、王妃が生まれる前。天上の神々が集まって、彼女の運命を打ち合わせている場面ですね。ほら、この女性、運命の糸を紡いでいるでしょう」

「ほんとだ」

「二枚目は、誕生し、王妃としての生涯に導かれる様子を。彼女に手を差し伸べているのは、彼女の故郷を示す擬人像です。三枚目は、王妃としてふさわしい教育を受ける様子。足元に散らばっている画材や楽器が、彼女の芸術性の象徴ですね。四枚目で見合いし、五枚目で挙式し、と、延々彼女の生涯が神格化されて描かれていきます」


 イーヴォは腕を繋がれたまま首を伸ばし、ふんふんと頷いている。


「――……で?」


 そして、ことんと野太い首を傾げた。

 ライルはきゅっと眉を寄せ、軽く唇を噛みながら、画集に視線を落とす。


「……ルヴァンツは、この通り、とても才能に溢れ、器用で、神話をはじめとする教養も深く、何より人を操ることに長けた画家でした」

「はあ」


 贋作屋の合い言葉まで「ルヴァンツが大嫌い」などと設定している割には、手放しの評価だ。

 話の見えなかったイーヴォは、曖昧に頷きを返した。


「例えば、ここ。見合いの場面では、プロポーズする際男性が揃える衣食住の象徴として、ドレスと果実と聖堂がさりげなく描かれています。一般的には、絹のハンカチとパンと鍵という記号で充分なのですが、豪奢を好んだ王妃の要望を読み取り、彼はそういった微細なチューニングまで行った」


 王妃は実際には、愚鈍と評されるイタい人物であったが、ルヴァンツは神話をモチーフにすることでそれをカバーし、かつ、依頼主の要望に先回りして応えるような柔軟さがあったのだ。

 ライルは指先で見合いの場面をぱんと弾き、溜息を吐きながら続けた。


「そのコミュニケーション能力と、政治的な手腕。しかも彼は、それを実に短い期間で仕上げてみせた。他の作品も手掛けながらです。なぜそれができたか。それは、彼は巨大な工房を構えていたからです」

「工房?」

「そう。この絵画は、全てを彼によって仕上げられたわけではありません。この女性は誰が、背景は誰が、色の調合は誰が、といった具合に、非常に細かく作業は細分化されていた。実際のところルヴァンツの仕事は、依頼主との調整と、構図の決定、あとは最終の仕上げくらいのものでした」


 ヴェレス一の大画家の栄華は、そのようにして支えられていたのだ。


 ライルはその翡翠の瞳を細めた。


「構図だけ決めて、自らは動かず、巧みな話術で人を操り結果を出す。こういう在り方が、どこかの誰かにそっくりだと思いませんか?」

「……いや、確かにそう聞くと感じ悪いけどよ、なんだ、こう、大局を見渡すとか統括的なことが得意ってのは才能だろ?」


 戸惑ったように聞き返すイーヴォに、ライルは拗ねたように口を尖らせた。


「――私の父は、元はルヴァンツの工房で働いていた、徒弟の一人だったんです」


 彼女は画集を閉じるとベッドに腰掛け、柵に背中を預けて足を引き寄せた。


「大画家と、その徒弟でしかなかった父が、同時に母に恋をした。彼女が選んだのは父だった。ルヴァンツには大層な屈辱だったでしょう。自分が見渡していた世界の部品でしかない、ただ背景の青を塗る道具でしかなかった存在の、それはある意味叛乱です」


 彼女はまた、ジークハルトのことを思った。

 家柄も際立った才能もない、路傍の石のような少女が、完璧な彼の誘いを断った。それはきっと、彼の世界で初めて起こった叛乱だったのだろうと。


「彼は父を執拗にいじめたと言います。それで父は、母と逃げた。そして私が生まれた。しかしそうしたらルヴァンツは、今度は母娘と父を引き裂いた。まるで、そうなるのが当然だと言うように」


 ぼんやりと部屋を見回す。

 ここには埃の影は無かった。きっと綺麗に掃除されているのだ。

 部屋中を見渡す人物によって、視界に障る汚い存在は、ぽいと摘まみ上げられ捨てられる。


「父は気の弱い人でしたが、優しかった。母は奔放な人でしたが、気高かった。懐いてくれるイーヴォもいて、私は幸せだったんです。たとえ人から見たら、埃のようにささやかで、しみったれた生活でも」

「…………」

「人の鮮やかで幸せな日々を、薄汚れた、捨てられて当然の物として扱ったルヴァンツを、私は許したくありません。――同じ理由で、ジークハルト様も」


 イーヴォは何も言わなかった。


 ライルはしばらく抱えた膝に顔を埋めていたが、やがて顔を起こすと、ベッドから身を起こした。

 部屋中を見回し、壁に、机に手を這わせていく。


「何してんだ?」

「武器になりそうなものはないかと。ねえ、脱出しましょうよ。埃の意地を見せてやらないと」


 しかし彼女はその愛らしい顔を盛大に顰めた。


「筆はあれど、ペンは無し。絵画も釘で固定されるのではなく、壁に埋め込まれていますね。紐の類も無い。硬い物、尖った物、巻きつけられる物は全てこの部屋のコード外ということですか。忌々しい」

「戦うつもりかよ。言っとくが次期当主サマは、あれで剣の腕前も相当だぜ」


 イーヴォが呆れたように呟く。

 戦うことを諦めているというよりは、相手の力量と己の境遇を冷静に見極めているのだろう。


 ジークハルトは地の利があり、腕が立ち、頭も回る。

 対してこちらはゴリラと少女の連合軍で、互いを人質に動きを封じられ、ここがどこかもわからない。


 しかしライルは諦めなかった。


「直接立ち向かうだけが方法ではありません。スコップ代わりの物があれば、床か壁を掘れる。すぐに脱出できなくとも、陽光が差し込めば、時間とおおよその場所や方角がわかります」

「おいおい、ライ」


 もはやイーヴォは呆れを隠しもしなかった。

 そんな彼を、ライルはきっと見据えた。


「私が折れれば済む話なのに、あなたを巻き込んでしまったのは申し訳なく思います。でも、私はもう譲るとか諦めるなんてことしたくないんです。なんとか脱出の手筈を整えるから、付き合ってくれませんか?」

「や、だからさ」

「お願いです」


 ライルが懇願すると、彼は何を思ったか、ずり、と尻の位置をずらした。


「……イーヴォ?」


 なぜか腰をくねらせたイーヴォが、「ほれ」と首で自らの背後の壁を指す。


「ここがどこかを知りたいんなら、そんな破壊活動しなくたって、もっと文化的な方法があるぜ?」


 ライルは指し示された場所に向かって目を細め、次の瞬間、その瞳を大きく見開いた。


「…………!」


 イーヴォの巨体に隠れていた、その、石の壁には。


「ここ、あんたの家だった場所だ」


 ライルが幼い時分に刻みつけていた、身長を表す傷があった。


「…………はは」


 額に手を当てて、乾いた笑いを漏らす。


 一瞬で脳裏を駆け巡った様々な考え、そして想いを、ライルは自らの意志の力で抑え込んだ。


「ライル?」


 まさか。そんなことって。でも、もしかしたら。


「…………」


 やがてライルは、思考を切り替えるように頭を振ると、おもむろに机に向かった。


「おい、どうした?」

「……方法を変えます」


 そうして、素早く机の上にあるものを検める。


 画集、スケッチブック、水彩道具一式、インク壺、美しい便箋まである。

 尖ったペンは、恐らくジークハルトが付いている間のみ貸してくれるということだろう。


「方法を変える?」


 怪訝そうに首を傾げたイーヴォに、ライルは「ええ」と頷いた。


「助けを乞う、手紙を書きます」

「そんなの、次期当主サマが許さないだろう」

「いいえ、彼は私のわがままを止めたりしない。逃げ出したりさえしなければね」


 翡翠色の瞳がきらりと光る。淡く色づいた唇が、久々に不敵な笑みを象った。


「アナグラムでもあぶり出しでも、他の方法でも。彼の裏を掻いてメッセージを(したた)めるのが、これからの私の仕事です」


 ライルの表情は、まるで闇に笑う猫のようだった。

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