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1.裏通りの贋作屋

 学問と芸術の都、ヴェレス。

 王国でも最大の学院を抱えるこの街は、今日も多くの人で賑わっていた。


 子どもと一緒に観劇を楽しむ母親や、学問の聖人が祀られている教会に礼拝に来た学生、また、彼ら相手に間食や果物を売り込む屋台の主人たち。

 どこの街でも見られる光景であるが、学院の城下町であるという自負がそうさせるのか、彼らの瞳は心なしか知的な好奇心で輝いている。


 知識の光に触れよ、芸術の風を感じよ。常に古い殻を打ち破り、正しいもの、美しいものを求める彼らは、どこか伸びやかだった。


 ――が。


 無邪気な学徒のような雰囲気が漂うのは表通りの話であって、そこから一歩裏道に踏み込めば、そこは学問にあぶれ、先端を競うレースから脱落した者たちが溢れている。


「ふあ……あああ」


 陽も差しこまず、微かに湿ったかびの匂いが立ち込める店内で、怠惰の手本のような欠伸を漏らした人物もまた、その一人であった。


 太陽も既に高く昇っているというのに、眠そうに目をとろけさせている。

 主人の気持ちに寄り添うように、力無く垂れている猫毛の髪は黒、ぼんやりと潤ませた瞳は日向ぼっこをする蛙のような緑。


 唯一陽に焼けた肌色だけが快活な要素を感じさせる――いや、それすらも全体から漂うぼんやりとした空気が帳消しにする、無気力を体現したかのような少年であった。


「あー……昼、でしたか……」


 皆からはライルと呼ばれているその少年は、ぽりぽりとうなじの辺りを掻きながら、ふらりと店のカウンターにもたれ、ドアに取り付けられている小さな窓から差し込む陽光を検分する。

 時計も無いこの店においては、それが唯一の時を知る方法だった。


 ライルはそのまま溶けるように再び眠りにつきそうになったが、うつ伏せた頬にべっとりと絵具が付いているのに気付き、ちり紙を求めてぼんやりと周囲に腕を伸ばした。

 力無い腕はぼたぼたと周辺の小物を薙ぎ倒した後、なんとか目当てのものに行き当たる。


 カウンターから腕の届く半径の内側に、生活に必要な全てが揃えられている辺りに、そのだらけきった生活が垣間見えるようであった。


 狭く、暗い店である。


 四角い窓から差し込む光がきらきらと舞う埃を輝かせ、それ以外のものはひっそりと息を殺して横たわっている。

 絵筆、キャンバス、イーゼルに、パレットや額縁、絵具。

 比較的きれいに並べられたそれらの商品の間に挟まるようにして、レターセットや事務用品、封蝋やインク壺などが、肩身狭そうにひしめいている。


 画材店のようにも見えるここは、不思議なことに、「ヴェレス裏通り文具店(・・・)」と言った。


「ふは……『グレッツナーの薔薇色』、うまいこと配合できましたねえ……」


 と、ちり紙に顔を埋めていたライルが、何かを思い出したように締りのない笑みを浮かべた。

 何がそんなに嬉しいのか、ぐりぐりと埃っぽいカウンターに頬を擦りつけ、くふふと笑っている。それはちょうど、人間が三夜ほどを寝ずに過ごした時にふと訪れる、ハイな状態であった。


 そう、その幼い外見からは想像もつかない生活リズムだが、ライルはつい先ほどまで、七十時間ほど連続してカウンターの奥のアトリエに籠り、とある作業に没頭していたのである。


 そしてライルはうつ伏せたままひとしきりくふふと悶えると、ふと顔を上げて「さて、寝ましょう」と呟いた――真昼間に呟かれるべき言葉ではないが。


 ふらりとした足取り、焦点の合っていない目という、どこかサスペンス的な様子で玄関に近付く。扉の外に掛かっている札を「閉店」にひっくり返すためであった。


 裏通りの、それもかなり品揃えに偏りのある文具店に、平日の昼間から訪れる客などそうそういない。

 従業員も、今買い出しに出ているライルの友人一人しかいないため、店を開けるも締めるも店主の気分次第であった。


 が、ライルが曇りガラスの嵌まった扉を開けた時、


「あ」


 なぜかその先には、地図を握り締めた少年が立っていた。


「あれ」


 ライルは眠い目を擦って首を傾げる。

 常に経営難のこの店では、客が居ないことよりも居ることの方が、よほど驚くに値することだった。


と、


「……ここは、ヴェレス裏通り文具店ですか」


 立ち尽くしていた少年が尋ねてくる。

 咄嗟に「はあ」と曖昧な相槌を返しながら、ライルはぼんやりと相手の姿を眺めた。


 年の頃は、ちょうどライルと同じか、少し下くらいであろうか。

 成長途上らしいしなやかな体つきに、真一文字に引き結んだ薄い唇。顔立ちはなかなか精悍に整っているものの、硬そうな黒髪や冷たい青灰色の瞳が、どことなく人を寄せ付けない空気をまとった、少年である。


 彼は、声変わりを済ませたばかりであるらしい低い声で、


「私は、ルドルフ・クレンペラーと言います」


 と丁寧に名乗ってきたが、とにかく眠かったライルは「はあ、素晴らしいですね」と実に適当な相槌を打った。


「ご丁寧にどうも、私はライルと申します。というわけですので、当店はただいま閉店時間となりました」


 文脈も何もあったものではない。

 だが小銅貨数枚にしかならないであろう売上と、数日ぶりの睡眠を秤にかけた結果、ライルはこの少年――ルドルフを追い払うことに決めたのだった。

 したいことはする、したくないことはしない。

 それがライルのモットーだ。


「閉店? そんな。今は昼だし、覗いていた限りでは、君は今さっきになって、ようやく店に出てきたばかりではないか」


 驚いたらしいルドルフは、素と思しき口調で呆れたように呟く。

 ライルはそれに軽く肩を竦めながら、


「当店は、火曜の営業時間は三分と決まっているんです。ええとほら、お客さんあれでしょう、鉛筆とかをお求めに来たんでしょう? 火曜は鉛筆もなかなか活きの良いのが入らないもので」


 明らかに作り話とわかる言い訳で煙に巻こうとした。


「俺が求めているのは鉛筆などではない」

「ではインク壺? すみません、インク壺はね、あれなんですよ、ここのとこ急に寒くなったものだから、高騰しちゃって。品薄なんですね」

「ここは鮮魚店か何かか? 店の主人を出してくれ。話があるんだ」


 ルドルフは焦っている様子である。

 ライルはへらっと笑いながら、「一応、ここの主人は私なんですけどね」と告げてみたが、彼はきっと睨みつけてくるだけで、信じてくれなかった。


「冗談はやめてくれ、急いでいるんだ。子どもと話している暇はない」

「……いやあ、鏡をよくご覧になった方がいいかとも思いますけどね」


 ライルが丁寧な口調で「てめえもガキだろ」といった主旨の内容を告げると、彼は困ったように眉を寄せた。


「大人でないと依頼出来ないということか? 金なら用意してある。俺は、『ルヴァンツの』――」


 口早に紡がれた言葉は、しかし途中で途切れる。

 ふいに纏う空気の変わった相手に、ルドルフが驚いたからであった。


「『ルヴァンツの』、なんですか?」


 それまで眠たげでしかなかったライルの瞳は、今はきらりと光りを宿している。さながら闇に笑う猫のようだった。


 ルドルフは気圧されたようにごくりと喉を鳴らし、しかしややして我に返ったのか、はっきりとした口調で告げた。


「俺は、『ルヴァンツの絵は大嫌いだ』と、言いに来たんだ」


 若草色と、青灰色の瞳が交錯する。


 やがて、ふっと口許を綻ばせたライルが、「やれやれ」と呟いた。


「もしや、今日は四徹の危機とか言いませんよね」

「え?」

「いえ、こちらの話で」


 軽く手を振りながら、ライルは「裏」の客であるルドルフを扉の内側に招き入れた。

 ついでに、扉を閉める直前、札を「閉店」に返しておく。


 そうして、薄暗い店内をきょろきょろと見まわしているルドルフに振り返ると、にっこりと笑みを浮かべた。


「ようこそ、ヴェレス裏通り文具店――改め、裏通り贋作屋へ」

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