強襲! 水の魔導書ッ!! ②
見上げる中空。
一面に広がる蒼穹を背に、その男は“浮かぶ水を足場に”、僕たちを見降ろしている。
「まあ、それはそれで、これはこれで良しとしましょうか。得のない殺しはワタクシの理念に反しますし――さて、どうでしょう? あなた方が、この場で起きたこと“忘れてくれる”と言うのであれば、ワタクシは危害を加えないことを約束します。しかし、邪魔立てするなら……それは言わずとも、おわかり頂けますね?」
「…………っ」
僕は苦虫をつぶし、仮面の男を凝視する。
その格好は紳士的で白いスーツにシルクハットを被った、一見して奇術士のような格好をしてはいるが……しかし、その全貌は果たしてわからない。
何故なら――“絶っていた”という表現を用いたのもそこに起因する――男の姿の要所要所が、まるで蜃気楼に包まれたかのように、薄らぼやけて、透き通って、途切れ途切れのチグハグになっていたからだ。
実態があるのかさえ不詳。
そこにいるのかさえ不確実。
人に用いるにはおかしい、“不明瞭”という言葉が一番しっくりくる――
「……ジンタ様、あの男は……」
「うん」
言うまでもなく異常だ。
考えるまでもなく怪異だ。
人間があんな芸当をできるはずもない。
だから当然、『魔導書』――『魔法使い』と見て、間違いないだろう。
「……しかし、いったいどのような力をもって、あんな霧のような状態にいるのか……見当もつきませんね。『サブタイトル』でも見れば正体がわかるのかもしれませんが……こうやって目の当たりにしていても漠然ともしない……これでは迂闊には動けません」
「でも……」
かといって、悠長に敵を分析している暇もない。
アルルが水に攫われていなかったら、それも選択肢としてあるけれど――彼女は今も猛スピードで川を流れ、恐らくは水に包まれて、呼吸も出来ない状態にあると判断していいだろう。
だったら一刻の猶予もない。
この状況を早急に対処しなきゃいけない。
だけど、目下(実際には上だけど)にある問題こそがこの男――
「あのもし、ワタクシの話を訊いていましたか? 相談話をする余裕などは与えませんよ。即決してください――さもないと――」
言いつつ、仮面の男はパチンと指を鳴らす。(指パッチンだ。いつか僕も出来るようになりたい)
川の流れが止まった、と思うや否や、川の水がうねりを上げて持ちあがる。
それは渦を巻いて――まるで物質のそれのように――鋭く尖った切っ先を向け、十、二十と数えきれないほどの水槍となって僕たちを取り囲んだ。
「……っ!」
「――ほら。こんな風に串刺しにしてしまいますよ。それとも、地上で溺れるのがお望みでしょうか?」
さらにはグニャグニャと蠢く、アメーバのような水玉が目の前に現れる。
これで口を塞がれてしまえば――なるほど、地上で溺れ死ぬことになるだろう。
僕たちは圧倒されてしまった。
僕だけならまだしも、ニーナさんまでもがこうも簡単に封殺されてしまうのは――この『魔法使い』が前に戦った『炎の魔導書』とは違い、完全に上位の次元にいる強敵、ということか……。
愚直に攻めるだけではない。
この敵は高い知性と、恐るべき力を持っている……。
「…………」
どう出るべきか……僕は黙考する。
けれど、ニーナさんは、
「わかりました」
と。
およそ迷いを感じさせない、即断即決とはまた違う――僕の意見を完全に無視して、独断専行にそう言った。
アルルを見捨てるような真似はできないと、背中におぶられる僕はわめこうとした。
けれど、ニーナさんの髪が僕の口を塞いで声にはならなかった。神の見えざる手――というか、髪の見えざる毛というか、ニーナさんの髪はどうやら本人の意思によって自在に動かすことが出来るらしい。
「……ずいぶんと聞き分けが良いのですね? もっと反発だとか、抵抗するものだとワタクシは思っていましたが……」
「勘違いしないでください。あの小娘とはほんの先ほど出会ったばかり――助けるような義理も無ければ、私たちの旅の邪魔にすらなる厄介者でしたから。手荒であることは褒められたものではありませんが、引き取ってくれると言うなら願ってもいないことです。……さあ、そちらの意思に沿ってあげたのですから、早くこの物騒な水をどけてください」
「やけに高圧的に聞こえますが……この状況を理解していますか?」
「無礼に礼節をもってあたれと? それこそ冗談でしょう。それとも今この場で戦闘へと発展することがお望みでしょうか? 先に言っておきますけれど……この御方に危害を加えるようなことがあれば……私ことニーナが、如何なる手段を用いてでも、あなたを殲滅せんとすることを誓います」
静かに拳を握るニーナさん。
水の槍に囲まれ、どう見たってこちら側が圧倒的に不利に思えるけれど、しかしニーナさんの口調は厳しいものだった。
観察するような目で、僕らを見据える、仮面の男――『魔導書』。
互いに無言で睨みあう二人。
ちりっと乾いたような――そんな錯覚すら覚える。
一触即発の空気に、先に口を開いたのは、果たして仮面の男だった。
「……いいでしょう、わかりました。あなたもウィン、ワタクシもウィン、互いにウィンウィンの関係とあらば、たしかにあなた方を無駄に襲う理由はありません。……ですが、あの娘を追ってくるというのであれば、また話は違う。これは警告です。もし、ワタクシの邪魔をするというなら……そのときは命はありませんよ。肝に銘じておきなさい」
そう言葉を残し、男は文字通り雲散霧消していなくなった。
忽然と――まるで何事もなかったかのように。
現実か夢か曖昧になる一瞬の後、残された川の水――僕たちを取り囲む条水の槍が、ドッと崩れて道を濡らす。水の弾ける音の中――ようやくニーナさんの髪から解放された僕は、彼女の背中から飛び降り、口頭一番に叫ぶ。
「ニーナさん、どういうつもりなの!? アルルを見捨てるだなんて、そんなこと僕が絶対に許さないからね!!」
「……落ちついて下さい、ジンタ様。まずは勝手に話を進めてしまったことをお詫びいたします」
深々と頭を下げるニーナさんは、「ですが――」と言葉を繋いで、
「あの状況を治めるには、ああするのが一番適切であると判断しました。即時戦闘に移り『魔導書』を倒すのも確かに一つの手ではありましたが……不意を突かれ、水に包囲されたのは痛手でした。あのまま戦っていれば、いくら私とてジンタ様をお守りするのは難しい……」
「だからアルルを見捨てたの? そんなの言い訳になってない!!」
「ジンタ様、話は最後まで聞いて下さい。思い返してみてください、そもそもからしておかしいのです。あの魔法使いがアルル様を殺すつもりなら、川へ引き摺り込むという面倒なことはせず、水圧で押しつぶせばいいだけの話ではありませんか? しかし、あの男はそうしなかった。それはつまり、アルル様に“人質としての価値”があるということに他なりません」
「……人質?」
……そういえば、たしかに。
気が動転して考えもしなかったけど……殺すだけだったなら、わざわざ拉致・誘拐のような真似をする必要はない。それに男は、妙に話を早く切り上げたいような、そんな節もあった。
考えさせないために判断を急かした――のか?
だとすれば、
「アルル様はまだ無事です。加えて、利用価値が潰えるまで、殺されるようなこともないでしょう。だからこそ、解決を後回しにしてでも、私たちが不利となる状況を脱し、体勢を立て直すことが最優先と判断したのです」
「そう……だったのか。ごめんね、僕、そんなことも知らずに怒鳴っちゃって……」
「いいえ。我が主の意向に背いたのですから、謝られては私が困ってしまいます。それにジンタ様、危機は脱しましたが、アルル様が危険な状態にあるのは依然変わっておりません」
「そうだ! 早くアルルを助けなきゃ! ……でも、いったいどうやって……」
「お任せを。私に秘策があります」
と。
ニーナさんはドレスの胸元に手を差し入れる。
もにょもにょと。
たゆんたゆんな胸をはずませ。
やがて取り出したそれは、アルルを着替えさせるときに出した、ガマ口のポシェットだった。
「ふふ……まさかあの意味の無さ気なくだりが、こんな伏線を孕んでいたと誰が想像できましょう? このポシェットは、我が野村国の科学力を詰め込んだ英知の結晶、『超ニーナ五次元ポシェット』です」
「…………」
「急事ですので、委細詳細は省きますが……簡単に言うと、様々なお役立ちアイテムを取り出すことができます」
「…………う、うん」
……なんだろう。これ。
改めて見てみると……なんか、どっかで見たことがある気が……。
ポケットがポシェットになっただけで、理屈としては二十二世紀から来た某ネコ型ロボットのアレと大差ないような気がする……気のせいだろうか? それに、僕とは全く関係のない場所で、利権問題に発展しかねない気もしなくもなくもない。
けれど、急を要する事態には違いないので、僕は喉から出かかっている言葉をぐっと我慢する。
「……あれ、ジンタ様? どうされましたか? いつもなら怒涛の突っ込みが入るところだと、ニーナは思っていたのですが……」
「……いや、状況が状況だからね。突っ込んでなんかいらんないよ」
「なるほどたしかに。遊んでいる場合ではありませんものね。失礼いたしました」
では――と、ニーナさんも真剣な顔をする。
「これに手を突っ込みまして……取り出すのは……」
ごそごそとポシェットをまさぐるニーナさん。
やがて目的のものが見つかったのか、
「テレテテッテレー♪ 『どこへでもドア』ーっ!!」
「――ふうぉおおおおおおっおおおおおおおおぉぉぉいっぃ!!!? それまんまパクリだよね!? まんま某ネコ型ロボットの四次元的なポケットとかドアを言い換えただけだよね!? 結構シリアスで緊迫したこの場面でよくそんなぶっこみができるね!? 掛け値なしにアウトだよ!! 完全完璧十全に首尾貫徹の問答無用でスリーアウトチェンジだよっ!!」
「……おおっ。やっと突っ込んでいただけましたか。なんだか無視されているような気がして、ニーナはちょっぴり切なくなってしまいましたよ」
てへへ、といじらしく微笑むニーナさん。
「……ですが、パクリなどと言われる覚えなどありません。よく聞いて下さいね。これは『どこ“へ”でもドア』です。利便性は勿論のこと、文字数的にも上位にあるのですよ」
と。
「このニーナの『超ニーナ五次元ポシェット』、『どこへでもドア』には、四次元に加えることの新たな軸、『視点』――言い換えると『観測点』があります。ですので、大抵のご都合主義的な展開に対応することができ――……おっと、いけないいけない。危うく盛大に国家機密漏洩をしてしまうところでした。……つまりですね。簡単に言えば、“次元に干渉”することができるのです」
とも。
「まあ、某ネコ型ロボットのそれと類似点があるのは認めます。ですが、パクリではありません。せめてオマージュと言って下さい」
オマージュ。
それは魔法の言葉。
……いや、僕は別段どうだっていいんだけどね?
アルルを助けられるなら、それこそ手段なんか選んではいられない――
「そしてもう一つ、念には念を――」
さらにニーナさんはポシェットから、真っ黒いタイツのようなものを取り出す。
どこかの2時50分が着ていそうなあれだ。
「この『音響探知型光化学迷彩』――通称、『スケスケスーツ』を装着なさってください。漫画とかアニメとかでは、簡単に透明になったりしますが――しかし、残念ながら現実に透明人間になると、人の目は光を受け止めることができず、視覚が利かなくなってしまいます。目が見えなくなっては本末転倒。そこでソナーを搭載した、このスーツの出番なのです!」
「ううむ、なるほど。さっきから、なに言ってるのか全然わかんない」
「流石はジンタ様、理解が早くて助かります。このスーツ頭部マスクには『環境処理VARゴーグル』――通称、『音見えるんです』が搭載されています。私、ニーナが中継基地の役割を果たし、感知した反響を演算処理後、ヴァーチャル・オーグメント・リアリティ――簡単に言えば3Dマップでゴーグルに風景として展開しますので、ジンタ様は普段と変わらず振舞ってもらって構いません」
「つまりどういうことなの?」
「流石はジンタ様、理解が早くて助かります」
なにこの言葉のドッチボール。
「いや、だからさあ!」
「流石はジンタ様、理解が早くて助かります」
なにこのポンコツロボット。
「――なっ、なんてことを言うんですかっ! ニーナは酷く傷つきました!」
「……こ、心を読まれた……だとッ!?」
閑話休題。
というか、なんだかいきなりSFチックになってきた気がするんだけど、気のせいだろうか。
……いや?
考えてみれば、ニーナさんの存在事態がSFのそれか。
とまれかくまれ。
僕はニーナさんが出したスーツを着、『どこへでもドア』のノブに手をかけた。
ここをくぐれば、アルルのところに出るのだろう。きっとあのシルクハットの魔法使いもそこにいるはずだ。
あいつがどんな能力を持ち、水をあんな風に操っていたのか――それは依然としてわからないけれど、相手が『魔導書』なら、戦うことも当然想定しておかなければならない。
僕は深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
「……行くよ、ニーナさん」
「はい、ジンタ様」
――待っててね、アルル。
きみは、僕が絶対に助けるから。
■魔導書の男
スキル:『指パッチン』←new!
・カッコいい
スペル:『???』
・水を操る?
アイテム:『シルクハット』
『仮面』
■ニーナ
職業:王の使い メイドロボ
スキル:『超超絶スーパーニーナ砲』
アイテム:『超ニーナ五次元ポシェット』←new!
・さまざまな便利アイテムを収納している
『どこへでもドア』←new!
・どこへでも繋がるドア
『スケスケスーツ』←new!
・スケスケになって透明になるスーツ
『音見えるんです』←new!
・音の景色が見えるようになるゴーグル